日本を出てからの約五年半を振り返ってみて

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写真は私と彼が出会ったバックパッカーです。

ふと思い立ってパソコンの写真の整理をしていると、
もうかれこれ五年ほど事実婚をしている
アイルランド人のパートナーと初めて出会った日に
二人で撮った写真が出てきました。

金欠でシェアからバックパッカーに移動した初日に
これからの人生を共にする配偶者と出会うとは、
人生とは本当に分からないものです。

出会った二年後には二人でまたワーキングホリデービザで
ニュージーランドに滞在していて、
そのまたさらに一年後には彼がワークビザを取り
私を事実婚の配偶者としてワークビザを取らせてくれました、

 

 

私たちは二人とも技能も資格もお金もない外国人で
“Both of us are a bit shitty!(俺達二人ともダメだね)”
“I know!(知ってる!)”と
オーストラリアで何度も自分たちを笑っていました。

彼は始めた当初は右も左も分からない大工という職種で、
周囲の人達から毎日何十回も怒鳴られながら、
時には心も体も彼の限界を超えて出社拒否を起こしながらも
歯を食いしばって仕事に行き続けてワークビザを取ってくれました。

彼は元から大工という仕事には興味がなく、
ニュージーランドに来てから仕事を探し始めて
一番最初にオファーをもらった仕事だったからというだけでした。

彼は私が日本の放射能汚染を気にしているのを知っていて、
南半球に住みたい私のために踏ん張ってくれました。

「君がいなければ俺はオーストラリアのワーホリの後は
東南アジアを適当に旅してアイルランドに帰ってたよ。
俺がこうして頑張ってるのは全部君のためなんだよ」と
話してくれました。

時には肋骨にひびが入っているのに
「新しい現場で休んだら解雇されてしまうから。
解雇されたらワークビザが取り消しになってしまう」と
働き続けていたこともありました。

彼の頑張りには感謝する一方で、あまりに彼の仕事が辛そうな時は

「こんなにもう頑張らなくていい。
私はアイルランドに行ってもいいし、
どこか東南アジアの国で英語教師をしたいなら、そこに行ってもいい。
二人で一緒ならどこに行ってもいいよ。」

と伝えたことも何度もありました。

あともう少しだけ、あともう少しだけと彼が頑張ってくれ
気が付けばニュージーランドに来てから約三年半が経ちました。

最初は怒鳴られてばかりだった彼も仕事を覚え、
今では怒鳴る方になってしまったそうです(笑)

私は彼が配偶者としてスポンサーしてくれた
オープンワークビザのおかげで
現地の日系企業で秘書として働ける機会を得ました。

秘書は技能職なので、三年の職務経験があれば
ワークビザが申請できます。

三年の職務経験と関連する資格、
そして年収$49,000以上の仕事のオファーがあれば
永住権を申請できます。

五年半前に自分達を笑っていた私たちは0から全てを積み重ね、
今ではニュージーランドの永住権が射程距離に入っています。

 

 

彼とは今では言葉と文化の壁を乗り越えて
お互いの一番の理解者になりました。

今では安定した仕事にお互い就いて、
将来のキャリア展望の話をできるところまで来ました。

まさか自分が、自分達がここまで来れるとは思いませんでした。

今の仕事や環境に文句を言っていたりしますが、
ふと五年半前の、オーストラリアで彼に出会う前に
英語がろくにできず金欠で孤軍奮闘していた自分、
バックパッカーの地下で壊れた古いソファに座って
“We are a bit shitty!”と笑っていた自分達を思い出すと
何だか胸が熱くなって少し目頭が熱くなります。

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