日本語教師になってみた



「『は』と『が』の違いは何ですか?」

「何で『よんふん』じゃなくて『よんぷん』なんですか?」

ワーキングホリデービザにてニュージーランドに渡って一月後、
日本語を教えた経験もなく、
日本語教師の資格もなしの私は
パートタイムの日本語教師として教壇に立っていました。

ニュージーランドにワーキングホリデービザで来て
すぐに仕事を探し始め、
「大学院で高度な日本語運用能力を身に付けたので
日本語を教える仕事ができるかもしれない」と思いつき、
オークランドの日本語コースがある語学学校に
手当たり次第メールで履歴書を送っていました。

そのうちの一校から返信があり面接に呼ばれ、
何とパートタイムの日本語教師として採用されました。

当時、その語学学校は開校したばかりの
新しい学校でした。

元英語教師として日本を含めた色んな国に住んだ経験がある
20代後半のニュージーランド人女性が校長で、
今度新しく日本語のコースを開設するので、
そのコースの日本語教師第一号になって欲しいとのことでした。

その当時は学校の生徒数がまだまだ少なく、
フルタイムで人を雇う余裕もなかったため
その校長が受付もしていました。

今は生徒数がかなり増え軌道に乗ってきたので、
フルタイムの従業員を二人雇い、
新しい教師募集の面接の際にも模擬授業をやらせたりと
かなり本格的になってきているようです。

私の時は校長が面接の仕方を良く分かっておらず、
ほぼ世間話をしただけで採用になったようなもので
模擬授業など一切ありませんでした。

というか、模擬授業があったら採用されなかったと思います(笑)

これも縁ですね。

お給料は60分の個別レッスンだと時給25ドルで、
90分授業でなぜか30ドルでした。

採用から数ヶ月経った後荷値上げ交渉をして時給27ドル
90分授業で32.5ドルとなりました。

【「いきなり先生」就任】

幸か不幸か日本語コースが私の採用と共に開講されたので、
生徒数が最初は一人でした。

一人だとその生徒に合わせて教えればいいので、
日本での塾講師経験すらない自分には幸運でした。

いきなり何人もの生徒相手に団体授業というのは
外国語としての日本語を知らない自分には
無理だったと思います。

その生徒は20代のニュージーランド人の男子大学生で、
JET Programを利用して英語教師として日本に滞在したいので
日本語を学んでいるとのことでした。

その数ヶ月前に友達と日本の北海道へ旅行に行き、
その際の滞在先のホストファミリーと仲良くなり、
日本が大好きになったのだとか。

その彼は日本語をそれまで全く学んだことがなかったというのも、
私には幸運でした。

一緒に一から学んでいけますから・・・。

私は日本人なので日本語を母語として話せますが、
第二言語として日本語を学ぶ人相手に理詰めで教えられるような
知識を持ち合わせていません。

例えば、なぜ「練習試合」を「れんしゅうしあい」ではなく
「れんしゅうじあい」と読むか、など。

日本語ネイティブは子供の時から日本語に囲まれて
大量に記憶して脳が勝手に規則性を見つけて
自然に法則を身に付けますが、
外国語として日本語を学ぶ人にはルールが分からなければ
なぜ「1分」が「いちふん」ではなく「いっぷん」なのかなど
分からないのですね。

日本人が英語を学ぶ際に
「英語の語順は主語、動詞、目的語」
「副詞は形容詞の前に置く」
「命令形は主語を抜いて原型の動詞から文を始める」など
運用のルールを学ばないといけないのと同じです。

【「いきなり先生」辞任騒ぎ】



最初は1人だった生徒が3人、4人と増えていき、
日本語コースを開講した翌年の一月、
爆発的に生徒が増え9人のクラス1つと6人のクラス2つを
教えることになりました。

生徒が1人や2、3人なら何とかなってきましたが、
9人となると飲み込みが早い生徒と遅い生徒がいたり、
また一番下の初級のクラスは5週間でしたが
5週間で上のクラスに上げても問題がない生徒と
10週間経っても上のクラスに上げられない生徒が出てきたりと
クラス運営がとても難しくなってきました。

かといって、日本語の教師は自分一人なので
周りの教師に助言を求めてみるも、
ドイツ語やイタリア語など似た系統の言語の教師は
ひらがなやカタカナ、漢字などを教える必要がないので
あまり参考にならず。

韓国語、中国語、アラビア語の教師は同じ時間帯に授業がないので
顔を合わせる機会がなく助言を得られませんでした。

校長に相談すると、スペイン語の教師がベテランなので
彼女から助言を得られるよう場を設けると言われたのですが、
二ヶ月経っても実現の兆しがありませんでした。

何時間もかけて授業の準備をしているのに
うまくいかない授業計画しか作ることができず、
教室で生徒の分からなさそうな顔を見ながら
毎週三回の授業をすることに耐えきれなくなりました。

ある日、校長にメールで

「経験も資格もない自分にはうまく授業が出来なくて、
生徒に申し訳ないため辞任したい。
後任が見つかるまでは続けるので、
出来るだけ早く後任を見つけて欲しい」

と伝えると、すぐに半泣きの校長から電話が来て慰留されました。

「あなたはとても良い先生だからやめないで!
本当にあなたが自分で言う通りのダメな先生なら
生徒はとっくに退学してるはず!
パートタイムの学校だから生徒はいつでも辞められるのに
それでも彼らが残ってるのはあなたの授業に満足してるからよ!」

と言われ、少し心が揺れたので一日考える時間をもらいました。

確かに欠席率が高かったとはいえ、
それまでの生徒でやめたのは一人だけだったし、
生徒は大半が社会人となると仕事も忙しいだろうし、
週1回1時間半のレッスンなので
単に面倒になりやすいというのもあるのかなとも思いました。

さらに冷静に考えてみると、
バナナファーム倉庫でのような人手仕事じゃない限り、
仕事に何らかの困難は絶対についてくるものだし、
プロでも不十分な環境でパフォーマンスをすることが多いだろう、
それでは今後いわゆるReal Jobに就いた際の練習になるのでは?
と思い直し、辞めずに続けることにしました。

結局、その騒動の後すぐにスペイン語の教師から研修を受けられ、
たくさんの役立つヒントを貰って
多人数の生徒の授業をこなせるようになっていきました。

【辞任騒動から学んだ文化の違い】

校長から引き止められた時に言われたことは、
私は何でも真剣に捉えすぎている、ということでした。

いくらプロであってもいつでも100%出来るわけじゃないし、
訓練を受けてないとか資格がないというのは本当だけど、
毎回学んでいってるじゃない!と。

よく考えてみれば、これが本当のOJTだったという・・・。

日本では上述の私のような状況になった時には
頑張るか、辞めるか、手の抜き方を覚えるか、ですが、
西欧圏には「不貞腐れる」というオプションがあるそうです。

自分に出来ることであればフォローをして挽回しようと
頑張ったり謝罪をしたりして何とかしようとするのですが、
フォローが不可能となると、不貞腐れて何もしないのだそうです。

「自分に出来ることはやった。
だから、今の状況は自分のせいじゃない」
と。

そして、そのまま平気で仕事を破綻させてしまうのだそうです。

私のアイルランド人の彼氏も、

「君は最善を尽くしてるんだから、
あとはもううまくいかなくても仕方ない。

自分のせいじゃないんだし、堂々としてたらいい。

授業がうまくいかないとか、色々と真剣に捉えすぎ。

その学校はフルタイムじゃなくてパートタイムなんだし、
学生ビザも出してないんだから、みんな気軽に来て、
何か楽しいアクティビティーでもして学んだ気になりたいんだよ。

本気で勉強したいなら多分フルタイムの学校に行くよ。

別に生徒の出席率が悪くても退学さえしてないんなら
生徒は在籍し続けることに文句はないわけで生徒はハッピー、
学校にお金が入り続けるわけだし学校はハッピー、
君もお給料が入るからハッピー。ほら!Win-win-win!」

…と、その時の私に以下のアドバイスをしてくれました。

これが西洋の仕事に対する考え方か、と。

その時点で海外に出て約二年半経ち、
あらかた西洋文化を知ったつもりでいましたが
毎日新しいことの勉強だと改めて感じました。

だから、この場合の私の対応は
「授業やってて上手くいかなくても、私のせいじゃない」と
傲然としておく、というのが何と正解だったようです。

日本人にはなかなか難しいですが・・・。

文句言われるかもしれないけど、
文句を言っている人も仕事に人格や能力をリンクさせないので、
そこまで気にしていないからこちらが気にする必要もないと。

【円満退社にて「いきなり先生」辞任】

結局、日本語教師は一年半続けたのですが、
やはりパートタイムで貯金をすることが困難だったので、
フルタイムの仕事が決まったことをきっかけに辞めました。

といっても、そのフルタイムの仕事は
校長が紹介してくれたおかげで決まったのですが・・・。

フルタイムの仕事を探していると話していた私に、
日系の会社がバイリンガルの日本人を探しているという話を
私に持ってきてくれたのです。

校長には本当に良くしてもらってばかりでした。

フルタイムの仕事が決まってからも
しばらくは掛け持ちで日本語教師の仕事も続けていたのですが、
新しい仕事が始まって二週間目に
色々あってその当時住んでいたシェアを追い出されることになり
バックパッカーに引越しか、
そうでなければホームレスになるかという状況になりました。

自分は仕事を始めたばかりで休みが取れず物件の見学に行けない、
彼氏は追い出されて気落ちしていて
動けずあてにならないという状態で、
私はストレスで発狂しそうになっていました。

そんな私の状況を知った校長が、何と

「私とパートナーは数日後から一か月間日本旅行でいないから、
その間行くところがないならタダで住んでいい。
どうせもともと誰も住まわせる予定がなかったから
家賃は自分たちで払うつもりだったし」

と申し出てくれました。

校長がその申し出をしてくれた時に
学校で話していたのですが、

「外国に住んでいると、家族から何も助けを得られないでしょう。
家族はとっても役に立つの。いっぱい助けてくれるし。
あそこにある教室にあるテーブルは、
私が子供の頃に夕食を食べていたテーブルなの。
私がこの学校を始めた時も家族はたくさん助けてくれた。
助けが必要だったら何でも言って。
あなたは家族なしで外国に住んでいて、それはとてもしんどいこと。
だから私が助けてあげる」

とニコニコと言われて、涙を堪えるのが大変でした。

その後すぐに授業があったので
泣いて顔をぐちゃぐちゃには出来ない、と思い
「ありがとう・・・」と絞り出した涙声でお礼を言うのが精一杯でした。

今でも思い出すと泣きそうになるのですが(笑)、
人ってここまでしてくれるんだ…と暖かかったです。

さすがに家賃は出すと申し出ましたし、
結局は新居が早く見つかったので
校長の家には滞在することはなかったんですが、
そうして助けを申し出てくれたことが嬉しかったです、

辞めることになった時も、
「後任の人が体調不良などで来れない時には
いつでも呼ぶから、まだこの学校の一員だから送別会はなしね!
あなたの最終日は永遠に来ないのよ!」
と言われ、
本当に人に恵まれた職場だったなと胸が温かくなりました。

今の自分があるのは、
その学校で仕事をしていたおかげだと思います。

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