プロフィール


菊川美代子

2012年3月に同志社大学大学院博士課程単位取得退学、2012年5月にオーストラリアへワーホリビザで渡航。
オーストラリアで2年間のワーホリ、NZで1年のワーホリを経て、現在はパートナービザ(Work Visa Based on Partnership)にてNZに滞在しています。
オーストラリアで出会ったアイリッシュのパートナーと永住権目指して奮闘中。
私のオーストラリアワーホリ体験談はこちら

→詳しいプロフィール

ご連絡はmiyoko.kikukawa★gmail.comまでどうぞ。(★を@に変えてください)

日本を出てからの約五年半を振り返ってみて

 

写真は私と彼が出会ったバックパッカーです。

ふと思い立ってパソコンの写真の整理をしていると、
事実婚をしている彼と初めて出会った日に
二人で撮った写真が出てきました。

金欠でシェアからバックパッカーに移動した初日に
これからの人生を共にする配偶者と出会うとは、
人生とは本当に分からないものです。

出会った二年後には二人でまたワーホリビザで
ニュージーランドに滞在していて、
そのまたさらに一年後には彼がワークビザを取り
私を事実婚の配偶者としてワークビザを取らせてくれました、

 

 

私たちは二人とも技能も資格もお金もないワーホリで
“Both of us are a bit shitty!(俺達二人ともダメだね)”
“I know!(知ってる!)”と
オーストラリアで何度も自分たちを笑っていました。

彼は始めた当初は右も左も分からない大工という職種で、
周囲の人達から毎日何十回も怒鳴られながら、
時には心も体も彼の限界を超えて出社拒否を起こしながらも
歯を食いしばって仕事に行き続けてワークビザを取ってくれました。

彼は元から大工という仕事には興味がなく、
ニュージーランドに来てから仕事を探し始めて
一番最初にオファーをもらった仕事だったからというだけでした。

彼は私が日本の放射能汚染を気にしているのを知っていて、
南半球に住みたい私のために踏ん張ってくれました。

「みよこがいなければ俺はオーストラリアのワーホリの後は
東南アジアを適当に旅してアイルランドに帰ってたよ。
俺がこうして頑張ってるのは全部みよこのためなんだよ」と
話してくれました。

時には肋骨にひびが入っているのに
「新しい現場で休んだら解雇されてしまうから。
解雇されたらワークビザが取り消しになってしまう」と
働き続けていたこともありました。

彼の頑張りには感謝する一方で、あまりに彼の仕事が辛そうな時は

「こんなにもう頑張らなくていい。
私はアイルランドに行ってもいいし、
どこか東南アジアの国で英語教師をしたいなら
そこに行ってもいい。
二人で一緒ならどこに行ってもいいよ。」

と伝えたことも何度もありました。

あともう少しだけ、あともう少しだけと彼が頑張ってくれ
気が付けばニュージーランドに来てから約三年半が経ちました。

最初は怒鳴られてばかりだった彼も仕事を覚え、
今では怒鳴る方になってしまったそうです(笑)

私は彼が配偶者としてスポンサーしてくれた
オープンワークビザのおかげで
現地の日系企業で秘書として働ける機会を得ました。

秘書は技能職なので、三年の職務経験があれば
ワークビザが申請できます。

三年の職務経験と関連する資格、
そして年収$49,000以上の仕事のオファーがあれば
永住権を申請できます。

三年半前は
“Both of us are a bit shitty!” “I know!”
と笑っていた私たちは0から全てを積み重ね、
今では永住権が射程距離に入っています。

 

 

彼とは今では言葉と文化の壁を乗り越えて
お互いの一番の理解者になりました。

今では安定した仕事にお互い就いて、
将来のキャリア展望の話をできるところまで来ました。

まさか自分が、自分達がここまで来れるとは思いませんでした。

今の仕事や環境に文句を言っていたりしますが、
ふと五年半前の、孤軍奮闘していた自分、
バックパッカーの地下で壊れた古いソファに座って
“We are a bit shitty!”と笑っていた自分達を思い出すと
何だか胸が熱くなって少し目頭が熱くなります。

国際結婚暦2年の経験者が語る国際結婚の現実

 

国際結婚は苦労するだけだから止めた方がいい、
とまことしやかに言われていますが
果たしてそれは本当でしょうか?

国際結婚は離婚率が高い、文化の違いが大変、
食の好みが合わなくて辛い、
好きな気持ちが落ち着いて現実が見えると苦労ばかり、など。

確かに苦労は多いのは間違いないです。

 

 

うちの場合は彼が日本語を一切話さないので、
私が常に第二言語の英語で話さないといけません。

彼の主食はじゃがいもで、私の主食はお米。

滅多に魚を食べない国出身の彼と
頻繁に魚を食べる国出身の私。

母国の福祉が充実しているので貯金の必要がなく
貯金する習慣がない彼と、
貯金がないと野垂れ死に一直線の国出身で
貯金に熱心な私。

彼にとっては人前でのスキンシップは当たり前で、
自分の手が振り払われるのは
自分が相手から恥ずかしく思われているということ。

私にとっては人前でのスキンシップは恥ずかしいもので、
私への敬意に欠けると感じること。

母国が別々なので、帰省の費用がとにかくかかること。

このような「現実」は挙げていけばきりがありません。

 

 

正直、「彼が日本人だったらもっと楽なのに」
何度も思いました。

特に付き合いたての頃は喧嘩が多く、
またお互いの考え方や違いに衝撃を受けました。

 

 

アイルランド文化では飲酒が付き物で、
付き合い始めた当初彼の飲酒量とお酒への散財に
「もしかしてアルコール中毒なの?」と尋ねた私に
「俺がアメリカ人ならアルコール中毒だろうけど、
ただアイルランド人なだけ」
と笑顔で答えられた
ことは今でも忘れられません。

英語では相手が話し終わるのを待たずに
自分が話し始めるのが普通
なので、
日本人的な「相手の話を取ってはいけない」というマナーを守っていると
会話でいつまでも自分が話せる番が来なかったり。

「相手がちゃんと話し終わるまで待って!」と抗議すると
「えっ、『この人話し終わったな』ってどうやって分かるの?」と
真面目に聞かれ
戸惑ったりしました。

私が料理担当でお米のご飯がしばらく続いた時、
彼が寝言で「じゃがいも・・・」と言い
口をモグモグさせていて申し訳なく思ったこともあります。

今では付き合って4年半、事実婚をしてから2年経ち
お互いのことが分かるようになったので
文化の違いから来る衝撃や喧嘩はほぼなくなりました。

育った文化や習慣の違いを超えて信用できて、
一緒にいて楽な相手なので本当に貴重です。

いくら文化や習慣、言葉が違っても
お互いがその人との関係性を諦めず、
根気強く話し合っていけば妥協点を見出せるのだ、と。

今でも彼を「これだから○○人は・・・」と
色眼鏡で見てしまいそうになったりしますが、
文化も習慣も言葉も違っても、
結局は「目の前にいる人が良い人なのかどうか」
ということに尽きるということを
体感として学べたのは本当に良い経験でした。

私は配偶者がたまたまアイルランド人だっただけで
最初から国際結婚を目指していたわけではありません。

相手との相性は二の次で、
とにかく国際結婚を目的にして結婚した場合は
しんどくなるかと思います。

もちろん、相手を愛して結婚したとしても、
やはり乗り越えられない違いが存在して
現実的に別れを選ばざるをえない場合もあるかもしれません。

それでも、苦労してでも一緒にいたいと思える人と
巡り合えた幸運に私は感謝しています

国際恋愛4年半の経験者が語る英語の必要性

 

「国際恋愛をするには英語を話せないといけない!」と
思われているかもしれませんが、場合によります。

日本で出会ったのであれば相手が日本語に既に堪能であったり、
外国で出会ったとしても、
昔日本に住んでいたなどの理由で
日本語を話せる場合がありますので。

それ以外の場合で、相手が英語しか話せない、
というのであれば英語は必須
です。

相手に日本語を学ぶ気があれば別ですが、
語学の上達には時間がかかるので、
相手の日本語が流暢になるまでやはり英語が必要です。

そして、残念なことに英語の母語話者の多数派は
英語以外話せないですし、
他の言語を習おうとする人自体が滅多にいません。

どの国の人でも英語を勉強して当然、
自分には英語を話してくるのが当然、
英語を話せない人間はバカだ、と思っている人すらいます。

そういう考えの人が国際恋愛の相手であったら、
英語は必須といえるでしょう。

私が昔ニュージーランドの接客業でバイトをしていた時、
イギリス人の中年男性のお客さんがグループで来たのですが、

「この間ベトナムに旅行に行って、
現地でベトナム人に道を聞いても
全然英語を理解しなくて答えられない。
腹が立つから、Are your stupid?(お前はバカか?)と
そいつに言ってやったよ、わはは」

などと馬鹿にして笑いながら話している人がいました。

それを聞いて諌めるでもなく、
一緒に笑っている他の中年男性達。

その時お店では私と、
もう一人スウェーデン人の女の子が働いていたのですが、
その子にもその発言が聞こえて
“A**hole!”とその子は怒っていました。

 

同じ西洋の人でもイタリア人やフランス人など
英語が母語でない国の人たちは
彼女が日本人などの国際恋愛の場合、
彼女の母語を頑張って勉強してくれる男性が少なくないようです。

オーストラリアでイタリア人男性のシェアメイトに
「私の彼は日本語を勉強してくれない」と話すと、
「英語が母語の奴らは皆そうだ。
あいつらは作るご飯も不味いしBastardだよ」

忌々しそうに吐き捨てていました(笑)

私の彼にも日本語を習って欲しいと
付き合い始めて最初の二年ほどは言い続けていましたが、

「俺は日本にこれからも住まないし、
日本経済も落ち目で習得してもメリットはない。

日本語を学ぶくらいなら中国語を学ぶ。

それに君は英語を話すので
君と話すためには日本語を学ぶ必要はない。」

という主張を曲げません。

「言葉は文化と密接に関連しているので
日本語を学ぶというのは私の考えや行動様式の
文化的背景を理解することでもある、
パートナーの文化を理解したいと思わないのか?」

と私も言い返すのですが、
彼の心には響かないようですので、私はもう諦めました。

日本人の私と付き合って4年半が経過しても、
彼が話せる日本語は

「いただきます」
「マクドナルド大好きです!」
「ありがとう」
「どういたしまして」

のみ。

「マクドナルド大好きです!」は
私がシドニーで語学学校のIELTSクラスに通っていた頃の
担任の先生とプライベートでばったり出会った時に
一緒に食事をすることになり、その先生から教わったものです。

その先生は日本に英語教師として長年住んでいた経験があり、
「これさえ覚えれば日本人にバカウケさ!」
「マクドナルド大好きです!」を彼に教えたのでした。

ちなみに、その先生も国際恋愛から国際結婚で、
相手の奥さんは日本人なのに日本語は
多くない数の単語しか知らないような状態です。

彼女が日本人だ、と言うたびに
「じゃああなたも日本語を話せるのか?」と
彼は色んな人からいつも聞かれていて、
「あ、僕は全然・・・」と気まずそうにモゴモゴと返事し、
「どうして!?」と驚かれているのを見て
「いい気味」と思う私は性格が悪いのかもしれません(笑)

海外避難生活の裏側

 

財布に2ドル入っていれば余裕を感じ、
9年間大切に履き続けてきた靴を一ヶ月で履き潰した・・・

オーストラリアにワーキングホリデーで渡ってから二ヶ月、
私はシドニーで赤貧の日々を送っていました。

【衣食住に困らなかった日本での日々】


日本での私は実家で暮らしていた大学院生で、
衣食住には困らない生活を送っていました。

大学院生だったためバイト代は全て自分のお小遣いとして
研究のための文献の購入や学会費の支払い、
また外食やお茶代、洋服などに充てていました。

その当時の自分にとっては「お金がない」というのは
それらのお金がないというだけであって、
衣食住に困るという意味ではありませんでした。

両親の持ち家に住まわせてもらい
毎日母親が三食を作ってくれて、
洋服はたくさんは買えませんでしたが
外出の時に着ていく服がないということはありませんでした。

 

生活費を自分で出したことがなかった私は、
29歳にしてお金の使い方を良く知りませんでした。

世の荒波に揉まれたことのない、世間知らずでした。

【元箱入り娘が過ごした赤貧の日々】


オーストラリアでは住宅費が高いので
他人とアパートの部屋や一軒家をシェアして暮らすのが
普通です。

オーストラリアに到着してから
私もすぐにシェアで暮らし始めたのですが、
そのシェアは何と門限がありました。

60代の研究者の女性だったシェアのオーナーからの、
夜は早くに寝たいので22時までに帰ってきて欲しい、
という理由で。

この門限は見学の時に説明を受けていたのですが、
英語力が低かった自分は分かったふりをしてしまい、
入居してから気づいたという体たらくでした。

それでも、実家でも門限が23時だったので
「何とかなるだろう」と楽観的に考えていましたが、
これが赤貧の日々の幕開けでした。

【バイトが見つからず苦戦】

23時が門限だった実家住まいだった時も
問題なくバイトは見つけられていたので
22時でも何とかなるだろうとたかをくくっていました。

 

しかしいざ仕事を探し始めると、
語学学校にフルタイムで通うので昼間は働けない、
手に職もなく英語もできない、
同一の雇用主の元で半年しか働けないビザの自分は
日本人経営の日本食レストランでしか
働き口がない
ことが分かりました。

そしてレストランだと22時や23時に閉店するので
門限が22時だと雇ってもらえないか、
雇ってもらえてもあまりシフトに入れてもらえませんでした。

さらに悪いことに、
日本食レストランは法定最低賃金を払わず
当時のNSW州の法定最低時給15ドルに遥か満たない
10ドルの時給しか払わない所ばかりです。

「英語もろくにできない短期ビザ保持者を
雇ってやるのだから」と。

私が働いた数件の日本食レストランも例外ではなく、
説明もなしに「研修期間は時給8ドル」と言われ
一ヶ月ほど8ドルの時給で働きました。

どんなに安くても、働かないよりは少しでも収入があるので・・・。

時給8ドルや10ドルで、しかもあまりシフトに入れてもらえず、
手持ちのお金がどんどん減っていきました。

オーストラリアに到着してから一ヶ月ほどで貯金が底をつき、
私のエージェントをしていただいていた田村さん
借用書を書いて700ドルを借りるということもしました。

 

この頃は財布に2ドル入っていたら余裕を感じるほどで、
スーパーで買い物をする際には
セント単位でお金を計算しながら買い物をしていました。

日本では実家住まいなことに甘えて料理もしたことがなかったので
作れる料理のレパートリーも貧しく、
またどの食材をどう調理していいか分からず、
最初の二ヶ月はお肉を一切食べずに
玉ねぎと人参とパプリカと白米ばかり食べていて
7キロも太ってしまいました(笑)

こちらでは仕事を探す時には自分から働きたい場所に
履歴書を配って回るのが普通なので
「日本食レストラン以外の仕事を見つけよう!」と
頑張って週末の度に履歴書を配っていましたが
一か月の間に80枚は配ったのに面接にすら呼ばれませんでした

そうこうしているうちについに借金までしたお金も尽き、
家賃150ドルの支払いができなくなり、
残りの有り金87ドルのうち63ドルをオーナーに渡し、
「150ドル÷7日で一日約21ドル、
すみませんがお金がないのであと3日でここを出ます」と告げ
23ドルを持ってそのシェアを出ました。

【29歳にして門限がない自由を初体験】

 

引っ越し先はRozelleというサバーブにある
Balmain Backpackersというバックパッカーでした。

その当時、そこは初めての宿泊の人に
10日間まで一泊10ドルという破格のキャンペーン中だったからです。

しかもシェアと違い商業施設なので
日本から持ってきたクレジットカードで宿泊費の支払いができるため
「これで門限がなくなるのでたくさん働ける。
カードの支払期限までにお金を稼いで
日本の自分の口座に国際送金すればいい」と考えていました。

しかし、今まで閉店作業をしたことがなかったバイトを
いきなり閉店時間までシフトを入れてくれるかというと
当然そんなことはなく、結局シフトはそんなに増えず
カードの支払期限が迫ってきました。

結局親に頭を下げて日本の自分の口座に
お金を送金してもらい、
レントの支払いや食料品、日用品の購入をカードで行い、
自分が稼いだドルは手元に置いておくことにしました。

「もう日本には一生帰らない」と啖呵を切って出たのに、
わずか二ヵ月後には親にお金の送金を頼むとは・・・と
恥ずかしく情けない気持ちでいっぱいになりました。

【救世主の登場】

学校が終わってからバッパーに引っ越して初日の夕方、
駐車場の近くにあるソファーに座ってボーっとしていると
異様に感じのいいアイルランド人男性が話しかけてきました。

結果から言うと彼が私の現在の配偶者(事実婚)で、
事情を知った彼が材料費も彼持ちで夕飯を毎晩作ってくれ、
お金がなくて遊びに出かけたことがないという自分を
全て奢りで遊びに連れ出してくれたりしてもらう内に仲良くなり、
初めて会った日から二週間で付き合うことになりました。

買い食いも、カフェやレストランでの飲食も
赤貧状態でこの二ヶ月間したことがなかった私には
救世主のような存在でした(笑)

日本食レストランでの仕事しかできないと、
違法低賃金なので貯金をするのがかなり難しいです。

普通なら飲食業で働くと賄いで食費が浮きますが、
日本食レストランでは
出される賄いに東日本製の食材や調味料が使われており
私は賄いを食べられなかったので
賄いによる食費の節約が出来ないという要素もありました。

また、賄いを食べられないと
他の従業員から奇異の目で見られたりして
馴染むことができないという辛さもありました。

【熱帯地方で「細腕繁盛記」】

 

彼と出会ってから二か月ほど経った2011年の10月、
一年目のワーキングホリデービザが2012年3月で切れる彼が
二年目のビザを取るために季節労働へと旅立ちました。

オーストラリアのワーキングホリデービザは
政府が指定する田舎の地域で農場での労働などの
季節労働に13週間または88日間従事すると
もう一年延長することができるからです。

彼は友達のツテを辿り
クイーンズランド州北部の熱帯地方にある
Innisfailというバナナ農場がたくさんある町に行き、
私も彼が旅立った一か月ほど後に同じ町に行きました。

Innisfailでは彼と私は
ワーキングホステルに滞在していました。

ワーキングホステルとはバックパッカーなのですが、
チェックインの際に「仕事を斡旋してほしい」と伝えると
順番待ちのリストに入れてもらえて、
順番が早い人から仕事に空きが出た時に仕事がもらえます。

その町には複数のバナナファームがあり、
それらのファームから求人が出ると
ワーキングホステルに連絡が行き、
ホステルがそこに宿泊している人を斡旋していました。

その町は私達が滞在する二年前に
ハリケーンにより損害を受けていて、
それ以来不作が続いていました。

不作であるということは仕事が少ないということで、
私が到着した時点で彼は一か月間順番を待っていました。

 

また、その町のバックパッカーの宿泊費はどこも異常に高く、
一か月間働けずにいた彼の貯金はすぐに底をついていました。

私が到着した翌日に彼は仕事をもらえたのですが、
私もやはり一か月仕事がない状態でした。

待機期間も宿泊費、食費、雑費がかかるので、
仕事をもらうまでに時間がかかりそうなら
本当はさっさと違う町に移動した方が良いです。

しかし、彼と将来事実婚をしようと約束していた私には
別居の選択肢がなかったので
同じ所に滞在することにしました。

ようやく仕事をもらえた彼と私でしたが、
彼が派遣されていたバナナ農場は仕事が少なく、
週5日働けることは稀でした。

私が派遣されていたバナナ農場は仕事が比較的あり、
基本的に毎週5日間働けていました。

 

上述の通り、その町のバックパッカー宿泊費は高額だったので
彼は宿泊費しか払えないような状態で
私がその他の食費や雑費を二人分出す日々が始まりました。

時には、彼が宿泊費すらも払えないような週もありました。

彼をそうして少し養う傍らコツコツと貯金をし、
田村さんからの借金も少しずつ返していき完済しました。

この町に滞在している間、
国の福祉が充実しているので貯金をする習慣がない国出身の彼とは
金銭感覚の違いで何度も激しい喧嘩をしました。

彼が日本語を一切話せないので
私はずっと英語を話さなければならず、
感情的になった時には特に英語がつっかえる自分に対して
私が話し終わるのを待たずに
母語で自分の主張をスラスラと言う彼に追い詰められ、
気が狂いそうになり泣き叫びながら日本語で怒鳴り返して
過呼吸になったことも一度ありました。

そんな様子の私を始めて見た彼は慌てふためき
震える私の口にビニール袋当てて介抱してくれましたが、
私は内心妙に冷静で
「体の調子が少し悪いからと病院に行って
『余命一か月です』といきなり宣告されたら多分こんな感じ」
と頭のどこかで面白がっていました(笑)

そうこうしているうちに13週間の終わりが見え始め、
私の仕事も週4、3とだんだん減ってきていたので
ちょうど13週間でバナナ農場の仕事を辞めることにしました。

その後は彼がすぐに仕事を得られるツテがあった
シドニーに戻りました。

【再びシドニーで赤貧の日々】

 

彼は彼の幼馴染が指揮を執っている
電気会社のセールスの仕事を得て、すぐに働き始めました。

私は履歴書を毎日配り歩くも、
音沙汰がない日々が続いていました。

そのセールスの仕事は基本給がなく出来高制で、
セールスの仕事が苦手な彼には
とても低いお給料しか支払われませんでした。

それでも彼は仕事が見つからない私を養うために
毎日頑張って仕事に行ってくれていたのですが、
ある日「仕事に行けない…」と言って
動けなくなってしまいました。

頭では仕事に行かないと、と思っているのに
体が言うことを聞かない状態でした。

私はといえば日本食レストランではもう働きたくないという
我儘を通し彼に養っていてもらっていたので、
その時の二人合わせての貯金が450ドルほどでした。

結局、出社拒否になってから三日目に
以前働いていた会社から仕事のオファーがあり
無事にセールスの仕事を収入の心配がなく辞められました。

私はシドニーに戻ってきてから履歴書を再び配っていたものの
前回のシドニー滞在分と合わせて200件以上配っても
やはり何の音沙汰もなく毎日落胆していました

そして鬱々と過ごしていたある日、
「今の状況から自分は何か学ぶことがあるから
神の采配か何かで仕事がないのだろうか?
もし自分に仕事とお金があったら今頃どうしているだろう?」

とふと考えることがありました。

そうして考えを巡らせてみると、
「正直、今の私はお金がないから彼の元を飛び出さないだけで、
おそらくお金があったら、とっくに彼と別れて別の街にいるだろう。
それでは、今の状況はお金を得ても彼と別れてはいけない、
彼と人生を共にする腹を括れというお告げかもしれない」
という
結論が自分の中で出てきました。

そこから「彼とは金銭感覚や文化、言葉の違いで苦労するものの
不器用だけどまっすぐな愛情をくれる人で、
彼が私の運命の人なのかもしれない。腹を括ってみよう」と思い
仕事と収入を得ても彼と別れない決意をした翌日に
何と三件もの仕事が同時に降ってきました。

一つ目は日本総領事館での在外選挙の短期バイト、
二つ目は清掃員の仕事、
三つ目は倉庫での梱包作業の仕事でした。

 

結局、倉庫での仕事を選び、
そこでは気のいい同僚に恵まれ毎日楽しく働くことができました。

収入は高くはなかったですが
彼に養ってもらう必要がなくなり、
自活でき貯金もできるようになりました。

【元箱入り娘の叩き上げの原動力とは?】

 

私は不器用で要領が悪いですが、
失敗から学べるという強みがあります。

貧乏だった期間では、
そもそもお金がなぜ必要なのかということを考え、
お金との付き合い方を学び、その学びを徹底的に実践しました。

問題や事象に真摯に向き合って本質を掴み、
他の問題に応用するというのは
私が大学院で得た知的技術です。

 

この知的技術こそが私をして原発事故後の日本政府を疑わせ、
放射性物質の危険性にいち早く気づかせてくれました。

知的技術を駆使して出した自分の結論を信頼できたからこそ、
親の葬式以外は日本の土をもう踏まないのだと腹を括れて
最初は知り合いすらいなかった外国で泥臭く踏ん張れました。

最初は日本食レストランでの仕事しかできなかった私ですが、
たくさんの失敗をして学んでいった結果、
時間はかかりましたが渡豪一年後にはローカルの仕事ができ、
ニュージーランドに移ってからはバリスタの仕事をやり、
日本語教師の仕事をやり、
そのツテで今では日系企業で秘書をしています。

仕事探しで度々苦労して「手に職さえあれば」と
数えきれないほど悔やんだ反面、
知的技術は咀嚼され私の血肉になっていて
それこそが私の「手に職」以上のスキルであり、
あるいはスキル以上のものなのだと今では考えています。

アイルランド人が「白い黒人」と呼ばれる理由

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アイルランド人は白人ですが、
かつて隣国のイギリスから800年間の植民地支配を受け
苦難の歴史をたどった民族です。

ニュージーランドの先住民族のマオリ人は
お酒が入って酔っぱらうと
「白人は長期不法滞在者。俺たちの国から出ていけ」
白人の文句を言います。

ところが、アイルランド人には
「お前達はwhite nigger(白い黒人)で俺達の仲間だ」
友好的です。

マオリ人の肌の色は褐色で黒人ではないのですが、
マオリ人は自分たちのことを黒人と呼びます。

また、niggerという言葉は「黒人」という意味の蔑称であり
基本的には使ってはいけない言葉です。

黒人ラップ歌手の歌の歌詞には
自分達黒人のことをniggerと呼んでいるものもありますが…。

白人は有色人種を迫害してきた、
しかしアイルランド人も肌の色は白いが白人から迫害されてきた、
だからアイルランド人はいわば白い黒人で、
自分達マオリ人と仲間だ…
ということらしいです。

 

 

ではアイルランド人が白人からどう扱われているかというと、
今ではかつてほどの差別はないようです。

しかし、白人であると他の白人から頼りにされるらしく、
人種差別が嫌いな白人はそれで苦労をすることがあります。

私のパートナーは建設現場で大工として働いていますが、
同僚にはマオリ人やトンガ人などの有色人種が多いそうです。

建設現場に白人のエンジニアが来ると、
彼の周りにいる職歴が長いベテランの有色人種の大工達ではなく
職歴が短い彼にばかり質問や頼み事をしてくるそうです。

 

ただ、白人だというだけの理由で…。

 

 

「自分にはわからないから、
ベテランの人達に聞いて下さい」と頼んでも、
「君に聞きたいんだ」と開放してくれないんだそうです。

彼が言うには、「自分が彼らの立場だったらどう思うか?
『自分の方が経験豊富なのに、
白人だからというだけであんな小僧にばかり聞いて!』って
怒るだろうな。
俺だって分からないって言ってるのに、
こんなの誰にも良くないよ。」と…。

悲しいことにニュージーランドにも人種差別はあり、
根深い問題です。

国際結婚生活でどうしても我慢できないこととは?

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国際結婚(正確に言うと事実婚)をしていて最も辛いのは、
やはり食べ物の志向が合わないことです。

パートナーはアジア料理が好きだし、
私も西洋料理は別に食べられるので
私が健康な時は基本的に問題はありません。

ただし、私が長期的に体調を崩した場合は
この問題が出てきます。

私は先週の木曜日からインフルエンザにかかり、
昨日までほぼ丸一週間仕事を休み、自宅で静養する日々でした。

食欲がほとんどなく、少し何か食べたいと思っても
体が動かないので自分で料理をすることができませんでした。

ですのでパートナーに料理を作ってもらっていたのですが、
出てくるのが鶏肉のクリームスープ
(ヨーロッパで風邪をひいた時の定番)やハムのサンドイッチ等で
私が病気の時には食べられないものばかりでした。

パートナーが平日の日中は仕事に出かけるので
その間にお粥を自分で頑張って作ろうとしても
お粥を作れる材料が台所にありませんでした。

いつも仕事が早く終わる彼が買い物と料理を担当しているので
彼好みの食材と調味料=西洋料理の食材と調味料
しか家にありませんでした。

 

 

鶏がらスープの素もなく、
料理酒もみりん代わりに使える白ワインもなく…。

(インスタントの海鮮系の出汁は被爆を避けるために
使わない主義なので、普段から家にありません)

かといって買い物に行ける元気もなく。

少しでも何か食べたいのに食べられる物が家に全然なく
何かアジア料理のデリバリーを頼むかと
絶望しながらネットで探してみるも、
私の自宅エリアに配達をしてくれるのは
タイ料理と日本食の二件のみでした。

しかも最低注文金額が40ドルからで、
配達料金が9ドル弱かかるので合計50ドル弱。

結局頼みませんでした…。

自分が食べたいご飯が体調が悪い時に全く食べられず、
本当に辛かったです。

今回はかろうじて果物で凌ぎましたが…。

パートナーと付き合い始めて3年8か月、
これまで軽い風邪しか引かずに過ごしてきて
数日単位で寝込むということがこれまでありませんでした。

元気な時は何でも食べられますが、
体調をひどく崩すとやはり食べ慣れた故郷の味しか
受け付けられなくなります。

体調を崩した時に、配偶者が日本人じゃなくても
せめて食文化が近いアジア人だったら良かったのに…
そうしたら病気の時にアジア料理を作ってもらえるのに…
と一瞬思ってしまいました。

しかし、これは向こうにとっても同じで
彼が体調を崩した時に私が作った物を
受け付けられなかったことがあります。

 

3年前に彼が体調を崩した時にお粥を作ってあげると、
「この米たっぷりの変な汁は何だ?こんなもの食えるか!」
と拒絶され、結局元気な自分が食べたということがありました(笑)

アイルランド育ちのパートナーは
お粥が何かすらも知りませんので…。

話し合いの結果、この食文化の違いの問題は
私にはインスタントのお粥(ベトナム産)と缶詰の果物、
鶏がらスープの素と白ワイン、
彼にはインスタントの鶏肉のクリームスープを
念のため常に備蓄するようにすることで解決となりました。

 

国際結婚にはこういう文化の違いが山積みなので、
やはり1つ1つ地道に妥協点を見つける必要があります。

「ダーリンはアイルランド人」

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オーストラリア人の彼氏を捕まえるはずが、
アイルランド人の事実婚の配偶者になってしまいました。

 

 

何のスキルもない私が永住権を取れる最速かつ簡単な道は
結婚移民のはず・・・。

オーストラリアに二年も滞在していれば、
オーストラリア人の彼氏ができて
そのまま結婚して永住権を手に入れられるかもしれないという
甘い目論見を持っていたこともありました(笑)

 

ところが、実際には彼氏はできたものの、
それはオーストラリアのバッパーで出会った
「ワーキングホリデーの外国人」という同じ立場の
アイルランド人でした。

その二年と少し後には、お隣のニュージーランドで
ワークビザを取った彼の事実婚の配偶者として
ニュージーランドに滞在していますから、
人生わからないものです。

どちらも外国人である国で暮らすのは、
たくさんのハンデを背負うということでもあります。

永住権を手に入れるためにはスキルを持っていなければならず、
ビザ申請費用も二人分で高額だったりします。

片方は母語が英語で言葉の壁がないとはいえ
それでもやはり外国なので法律がわからなかったり、
地元の人なら誰もが知っている当たり前の情報を
二人とも持っていないというのが不便です。

さらに、お互いにとって外国である国で暮らすというのは
どちらからの家族の助けもないので簡単ではありません。

二人とも外国人状態になり苦労が見えてる相手と
どうして事実婚の配偶者にまでなったのか?とたまに聞かれますが
「そういう縁だったから」としか言いようがありません(笑)

【「ド貧乏インテンシブコース」履修】

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私は日本ではずっと実家暮らしで、
学生だったので貯金する余裕がなかったものの
お金に苦労したことがありませんでした。

 

放射能からの避難のために
ワーキングホリデービザでの渡豪を決めた時点で、
私は博士課程三年目の学生でした。

「これまで実家から出たことすらないのに
海外でやっていけるだろうか?」という不安がありましたが、
後に渡豪以来人生のメンターとなる田村さんから
「日本食レストランですぐに仕事を見つければ
黒字は無理でも赤字にはならない」と背中を押してもらい
渡豪を決めました。

そしてシドニー到着後10日以内にシェアに引越し、
二週間以内に近所の日本食レストランで
ウエイトレスの仕事が見つかりました。

これでもう赤字にはならないと一瞬思いましたが、
これが本当の試練の始まりでした。

バイトの初日に仕事を終えて23時に帰宅すると、
オーナーが毎晩21時に静かな環境で寝たいので
このシェアは門限が21時であること、
21時までに必ず帰宅して欲しいことを伝えられました。

これはこの時に初めて言われたのではなく、
実は見学の際に言われていました。

それなのに、当時の私の英語力ではそれが理解できず
シェアがなかなか決まらずあせっていたので
ただ「OK」や「Yes」などと言って
分かったふりをしてしまっていたのです。

当時通っていた語学学校では中上級のクラスでしたが
読み書きはそこそこできたものの会話が問題でした。

そんな状態でさらに特に技能があるわけでもない
1つの職場で最大半年しか働けない人間を
いくらたくさんの所に応募し続けているとはいえ、
非日系のローカルの職場が雇ってくれるはずもありません。

平日は語学学校が朝から16時まであり、
夕方からしか働くことが出来ません。

どのレストランもディナーのための営業開始は
17時か18時から。

唯一雇ってくれた日本食レストランは18時開店で、
その門限でクビにされるということはありませんでしたが
21時15分に上がるしかなくなってしまいました。

そもそも、研修中のスタッフを毎日入らせてくれるはずもなく
週2日や3日ほどの勤務が続き、一回3時間15分のみの勤務。

さらにそのレストランは政府に税金を払っておらず
最低時給15ドルのところを違法低賃金の基本給10ドル、
しかも研修中だからと何の断りもなく8ドルにされていました。

他の日本食レストランを当たっても、
結局はどこも忙しい22時か23時まで入ってくれる人材が欲しい、
ということで断られたり、
雇ってもらってもシフトに入れてもらえないことが続きました。

そうこうしているうちに赤字はどんどん大きくなり、
渡豪から二ヶ月が経つととうとう有り金が尽きて、
近所のバックパッカーに移動しました。

シェアだと家賃を現金払いか口座振込みで払う必要がありますが、
バックパッカーだと日本から持ってきたクレジットカードで支払え、
バイトでもらう現金を手元に残しておけるからです。

といっても日本円でも手持ちもなかったので
親に頭を下げて私の日本の銀行口座にお金を振り込んでもらい、
宿泊費を何とか払っていました。

さらに、その時点で田村さんから
700ドルも貸していただいていましたが、
それも尽きて移動したという借金持ちにもなっていました。

 

普通はバックパッカーの宿泊費の方が
シェアの家賃より高いのですが、
その当時、そのバックパッカーは初回の宿泊者に限り
10日間まで一泊10ドルというキャンペーンを行っていました。

 

 

【救いの手が差し伸べられた瞬間】

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人生初のバックパッカー暮らしになったその日の夕方、
出入り口近くのガレージに置いてあるソファーに座っていると
ギターを持った青年がたまたま通りかかりました。

 

「今日引っ越してきたの?俺ブライアン!よろしくね!
スキヤキっていう日本の歌知ってるよ」と人懐っこい笑顔で語り、
「上を向いて歩こう」という邦題の歌を弾き語りし始めました。

興味のない歌の弾き語り終了後に「どうだった?」と聞かれたので
「その歌を知らないけど、良かったと思う」と適当に答えると
「日本人がこの歌を知らないなんて嘘だ!」と粘着され、
「あっち行ってくれないかな・・・」と内心鬱陶しかったのですが、
この青年が私の未来の事実婚の配偶者になるとは
人生とはわからないものです。

その翌日と翌々日に泥酔した彼が私に失礼な振る舞いをしたので
彼を避けよう、できれば二度と話すまいと思っていたのですが、
語学学校の帰りにスーパーで買い物をしていると
仕事帰りの彼に声を掛けられました。

 

「なぜここに・・・逃げないと」と必死で考えていると
「良かったら、今日俺が夕食作るから一緒に食べない?」と
何故か室内なのに大量に汗をかいている彼に誘われ、
貧乏だった私は三秒ほど迷いましたが
タダ飯につられOKを出しました。

あとから聞いた話では、
料理が得意な彼は先日の無礼を料理で挽回しようと考え、
私に夕食をご馳走してお詫びしようと
仕事帰りに職場近くのスーパーに行き、
材料を買い出ししていたんだそうです。

 

すると買い出しに行ったスーパーにたまたま私がいて
思わず話しかけたそうです。

つい話しかけたものの、嫌われてるだろうな・・・と思うと
緊張して汗をかき始めてしまったのだとか(笑)

その日を境に一緒に晩御飯を食べるようになり、
気がつけばそれが私の仕事がある日以外は
ほぼ毎日になっていました。

彼が材料の買い出し、料理、洗い物の全てをしてくれるという
至れり尽くせりの状態でした。

といっても私は心を開かず、
彼の質問に答えるだけで自分からは質問せず、
タダ飯を堪能するとすぐに自分の部屋に戻るという
失礼な態度でしたが・・・。

その当時は今よりも英語が出来なかったので
英語でどう会話していいか分からなかったというのもありました。

一緒に食事をするようになり何日か経ち、
食事中にふと「今日仕事はどうだった?」と聞くと、
彼が驚いた顔で食べるのを止めてフォークをお皿に置き
「やっと俺に質問してくれたね!!」と感激していました(笑)

 

 

当時私はバックパッカーからバスで1時間ほどの場所にある
日本食レストランでバイトをしていましたので、
私がバックパッカーに帰る時間には
朝が早い仕事の彼はすでに寝てしまっていました。

そんな日は、彼は台所に作った夕食を取って置いてくれていました。

慣れないウエイトレス仕事で疲れた帰り道に携帯電話を見ると

「台所に今日の夕飯があります。
アルミホイルをかけてあるボウルの中に入っているので、
帰ってきたら暖めて食べてください」

などという彼のテキストがいつも入っていました。

「母親みたい。何でここまでしてくれるんだろう・・・」と
心を動かされる日々が続き、次第に心を開いていくようになりました。
その間の週末は、私が貧乏なことを知っていた彼が
全部支払ってくれてデートに出かける日々でした。

こうして書くと長い期間のように見えますが
結局は出会ってから一ヶ月で付き合うことになり、
その二週間後にはバックパッカーを出て同棲を始めました。

同棲を始めて一ヵ月半ほどで
ワーキングホリデービザの二年目の権利を取りに
彼はクイーンズランド州にあるバナナファームへと飛び立ち、
その一ヵ月後に私も彼を追って同じ所に行きました。

【リアル「細腕繁盛記」】

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彼は「ワーキングホステル」という、
宿泊することで仕事の斡旋が受けられるバックパッカーに
滞在していました。

 

オーストラリアでは、政府の指定する田舎へ行き
そこで季節労働をすると二年目のワーキングホリデービザの
権利がもらえます。

彼の一年目のビザの期限があと五ヶ月と迫っていたので
彼は私より早くファームへと旅立ったのでした。

私と彼はそれぞれ違うバナナファームで仕事をもらって
働き始めました。

私が働いているファームは仕事が週5日ありましたが、
彼が働いているファームは不作で
仕事が徐々に少なくなっていきました。

仕事が減り続け彼のお給料が少なくなり
最後の一ヶ月はシドニーでの立場が逆転し、
私が彼を養っていました。

しかし、滞在していたバックパッカーのレントは高額で、
彼を養うと貯金が全く出来ないどころか
崩していかないといけないほどでした。

 

毎日金欠で二人とも余裕がなくなり、
それまでは表面に出ていなかった価値観の違いが露出し始めて
喧嘩ばかりするようになりました。

金欠でストレスを感じると喫煙してストレスを解消し
飲酒して現実逃避をしたい彼と、
金欠の時は煙草やお酒などの嗜好品を止めて
できるだけ節約したいので、散財することがストレスになる私。

お金が入ると、今を楽しむためにパーッと使いたい彼と
できるだけ貯金しておきたい私で毎日喧嘩していました。

金銭問題の他にも、
行動の単位がカップルである文化と個人である文化、
自分のして欲しいことを口に出す文化と
あまり口に出さず空気を読んでもらう文化、
日焼けをすることがかっこいい文化とそうでない文化の違いで
衝突することが多く、お互いに物凄くストレスを貯める日々でした。

 

 

ある日、色々と鬱積していたものが二人の間でついに爆発し、
怒鳴りあいの大喧嘩に発展しました。

その時の私はまだ渡豪後一年も経っておらず
感情が高ぶると英語がつっかえて出てこないことが多々ありました。

うまく話せない私を彼は流暢な母語で罵り、
言い分を伝えきれないもどかしさと彼に対する怒りで
一気に限界に達した私は初めて日本語で怒鳴り返し、
興奮のあまり過呼吸になりました。

過呼吸になった私を見た彼が我に帰り喧嘩が収まりましたが、
過呼吸になっている最中に
「もし自分が単なる風邪だと思って病院に行って
癌で余命一週間と宣告されたらこんな感じなのかな?」と
冷静に眺めているもう一人の自分がいました。

日本語が分からない相手に思わず日本語で怒鳴るほど怒っていても
この程度の冷静さとは保てるのだな・・・と
過呼吸を起こしながらも妙に感心するという新しい体験でした。

付き合い始めて約三年半経った今では
こんなに喧嘩をすることもなくなったので、
今となってはいい思い出の一つです。

 

 

【究極的には、国籍は問題ではない】

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私が書いた彼との衝突の内容を見ると
外国人相手だとやはり日本人が相手だとしなくてもいい苦労があって
国際恋愛・国際結婚は辛いように見えるかもしれません。

実際、上に書いたこと以外にも、
乗り越えなければいけないことはたくさんあります。

魚をほとんど食べずお肉ばかり食べる国の人と暮らすと
意識的に食事を別にする日を作らないと
毎日お肉ばかりになりお腹がもたれます。

どちらの国に住んでも、あるいは第三国に住んでも
どちらにせよ両方の帰省が海外旅行になってしまうので、
飛行機代がどれだけかかるか分かりません。

また、海外に住んでいると
家族に何かあってもすぐに駆けつけることが出来ません

言葉の壁もやはりあり、
細やかなニュアンスが伝えられなかったりして
もどかしい思いをすることもあります。

日本語しか話さない家族と英語しか話せない彼では
私の通訳なしでは一切会話が出来ません。

もちろん、いい点もあります。

愛情表現が豊かで、
他人の前でも謙遜せずに配偶者を褒めてくれます。

人によりますが、家事を積極的にしてくれます。

「家事は妻の管轄で、夫はあくまで手伝い」という意識がなく、
主体的にやってくれます。

 

 

また、いい意味で雑なので
お弁当の彩りなどは一切気にしなくていいのは助かります(笑)

それに、違いがあることが最初から当然とお互い考えるので、
分かってくれて当然という期待が最初からなく
お互いへの許容度が上がります。

今までまったく関わりがなかった、
あるいは興味がなかった国や歴史を
自分に関係の深いものとして見れる面白さもあります。

何と言っても、違う国出身の人相手でも、
言葉の壁があったとしても
お互いの人格をぶつけ合って付き合えるということを
身を持って体験できるのは
私にとって国際恋愛をして良かったなと思える一番のことです。

当然過ぎるほど当然のことですが、
日本にいた頃には外国人というと
「この国の人はこうなのかな・・・」と色眼鏡で見たり
一般化して接しがちだった自分には目が開かれた体験でした。

もちろんお国柄や文化も人格に強い影響を及ぼしますが、
結局は人間対人間の付き合いで、
問題は目の前にいる人がいい人か悪い人かそれだけなのだ、と。

貯金をしなさ過ぎて外国でホームレスになりかけたアイルランド人の話

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アイルランド人は貯金をする習慣がない!という記事を以前書きましたが、
先日は私のパートナーの少し年下で幼馴染の弟分が
メルボルンでワーホリ中なのですが、夜遅くに
「ホステル追い出されてあと6ドルしかない、
泊まる所がない…どうしよう」
と泣きながら
パートナーにSkypeで電話をしてきたという出来事がありました。

 

 

話を聞くと、ワーキングホステルという
そこに宿泊していると仕事が斡旋してもらえるバッパーに
滞在していたそうなのですが、
人数が足りているからと雇い止めになり追い出されたと。

そして、お金がないし行く所がなくて図書館にいると。

お給料は金曜日支払いで、
前払いを頼んだものの無理だと言われたと。

 

 

 

パートナーは

「まだ寒くないし一晩くらい野宿すれば?
図書館の横がWifi使えておすすめだけど」

「そもそも、なんでお前貯金ないの?」

「お前は外国にバックアップなしで一人でいるんだから、
ちゃんと貯金しておかなくちゃだめだろう!」

と突き放したり説教をしたりしていましたが、
やはり弟分は可愛く、最終的にはWotifというサイトで
彼がいる近くにある一泊30ドルのバッパーを
予約してあげることに。

私から借りたお金で…。

 

 

パートナーも給料日前で数ドルしかなかったんです(笑)

同じく貯金の習慣がないアイルランド人ですし、
彼は今年に入ってからは諸事情があって経済的に大変なので…。

日本人の感覚でこの話を読むと
「完全にただのだめんずを養っている人」ですが、
アイルランド人というか、
ヨーロッパの人はあまり貯金をする習慣がありません。

社会福祉がしっかりしているので、
国からの手当てが厚く、失業保険も手厚いし
老後も国が面倒を見てくれるので貯金の必要性がないのです。

だから、貯金をしなくても生きていけるんですよね。

完全に文化の違いです。

もちろん、同じヨーロピアンでも人によるかとは思います。

近くのバッパーを予約したから今から行け、
お給料が入ったらWestern Unionから送金してこのお金は返せよ、
とパートナーが伝えると弟分は
「本当にありがとう!バッパーに行ったらまた親切な誰かが
お金貸してくれると思う!!

とパートナーにFBでメッセージを送ってきていました(笑)

バッパーを予約した後に気づいたのですが、
預り金としてチェックイン時に10ドルが要求されるようだったので
「手持ちがなくて払えないと正直に申告して
パスポートをカウンターに預けると言って交渉したらいい、
そしたら逃げないと思って信用されるから…」
とアドバイスしておきました。

結局、チェックイン翌日から新しい仕事でバリバリ働いて、
無事に金曜日にお給料が支払われたそうです。

自分の国にいるなら社会福祉が手厚いので
貯金の習慣がなくても大丈夫なのでしょうが、
外国ではそのような国民の恩恵は受けられないので
貯金をしないと怖いだろうに…と個人的には思います。

それでも習慣とは恐ろしいもので、
ついついお金が入ったらパーッと使ってしまうんでしょう。

彼と付き合い始めた三年半前は
このような習慣についていけませんでしたが、
最近ではすっかり慣れてしまいました。

国際恋愛で思わず和んだ出来事

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国際恋愛・結婚をすると文化の違いでよく揉めます。

揉めますが、日本人相手では体験できない面白さも味わえます。

 

 

笑えるという意味で…。

 

 

アイルランド人の主食はジャガイモですが、
ご飯もたまに食べます。

付き合った当初は、
いつもご飯粒をたくさんお皿につけたままごちそうさまをする彼に
ある時私が「ご飯粒、まだ残ってるよ」と言い、
「それがどうかした?」と不思議そうにされたことがありました。

「日本ではお米の一粒一粒にブッダがいるから、
お米を粗末にしちゃいけないって
子供のころに親から教わるんだよ」と言うと
じゃあ次からなるべく残さないね、と言ってくれました。

今では私がたまにご飯粒をお皿に残していると
「まだブッダ残ってるよ」と教えてくれるほどになりました。

米粒をブッダと呼ぶ発想は日本人にはないな、と…。

また、英語圏では人が話し終わる前に自分が話し始めて
かぶせて話すことが普通
です。

日本では人の話が終わるまできちんと聞く、
人の話を取らない、と躾けられるので
これは日本人には大変戸惑う文化です。

この人が話し終わったらこれを話そう、と思って待っていたら
いつまでも自分の番が来ず会話が終了した、ということも。

この文化の違いを最初はお互いに知らず、
私が話している途中でいつも話出し
最後まで聞いてくれない彼に怒ったりしていました。

また、怒られた方の彼からすると、
普通に話していただけなのになぜ私が怒り出すのかが
理解できませんでした。

付き合い始めて三か月後くらいにその文化の違いに気づき、
「日本では相手が話し終わるまで待って、
それから自分の話をするのが礼儀」と言うと、彼が神妙な顔に。

何だろう?と思っていると、神妙な顔の彼が
「相手が話し終わったかどうかって、どうやって分かるの?」という
日本人には思い浮かばない質問を投げかけてきました。

そう言われてみれば私は相手が話し終わったかどうか
どうやって分かっているのだろう…?

空気を読んで…?

空気を読むとは英語でどう言えば?

雰囲気?雰囲気を読むのもおかしな話…

 

 

と何秒か考え込んでしまいましたが
「何となく、としか言えない…」という答えしか言えず。

しょうもない答えを言っている私を
彼は何とも言えない目で見ていました。

書き出すとキリがないのですが、
特に付き合い始めの頃は毎日が喧嘩ばかりだったので
たまにこういう面白い質問が出た時が
思わぬタイミングで和める息抜きの時でもありました。

違うベッドで寝るのは離婚しそうな夫婦だけ?

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パートナーのいびきに悩まされて三年経ち、
ようやく念願の寝室が二つある部屋を借り
安眠の日々が続いています。

 

 

あまりに彼のいびきがうるさくて眠れないので、
「いつかシェアではなくて自分達だけの所に引っ越す時は
寝室が二つの物件を借りて別の部屋で寝たい」と頼んだら
激怒され、首を縦に振ってもらうのに二年もかかりました。

彼が激怒したのは、
「西洋ではカップルや夫婦が別室で寝るのは
破局か離婚寸前の場合だけだから」
だそうです。

だから絶対に別室で寝るのは嫌だ、と。

かといって同室で寝ると、平日はまだましなものの
週末になると睡眠時無呼吸症候群の地響きのようないびきで
私は一睡もできず。

眠れず免疫力が落ちて体調を崩す日々が続き、
毎週末ノイローゼのようになっていました。

騒音の発生源の本人はいい気分で寝ているし、
「そのうち慣れるよ!」と言うばかりで
睡眠時無呼吸症候群なのに病識もなく治療の意思もなく、
眠れないこちらは殺意が湧くしで大変でした(笑)

半年前まではシェアに住んでいたので
毎週末、彼と同額の家賃を払いながら
シェアメイトが寝静まるのを待ってから
居間のソファーで身を縮めて寝る日々でした。

それを悪く思った彼が居間のソファーで何回か寝てみるも、
彼のいびきがうるさくて
居間の周りの部屋の人が眠れなかったことも(笑)

ほぼ毎週末、時には平日すらも居間のソファーで三年間寝つつ
時には体調不良になったさまを見せつけつつ
「一人ずつベッドがあるところに住めたらな…」と
お願いし続けること三年間。

ようやくいつでも別室で寝れる環境を手にした時の喜びは
忘れることができません。

国際恋愛・結婚だと文化の違いにこうして悩まされますが、
このケースのように時間をかければ歩み寄りが出てきて
解決できることもあります(笑)