自分は一人で生きていけると思っていたのに・・・

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私は日本を出てからというものの、
人間の暖かさをとても感じるようになりました。

居住国の言語である英語をうまく操れないというのは
様々なハンデを背負うことであり、
日本では自分一人で何の問題もなくできていたことができなかったりします。

うまく話せず理解してもらえなかったり
相手が言っていることが分からなかったりして、
一人前の扱いをされない屈辱を受けたりもします。

オーストラリア滞在六ヶ月目に銀行に口座開設に行った時は、
自分が質問しているのに、行員は私の隣に座っている
ネイティブの配偶者の方ばかり向いて答えていて
自宅に帰ってから悔し泣きし、配偶者に当たり散らしていました。

同じ週に手の皮膚が荒れていたので薬局に行きたかったのですが
説明が分からないかもしれないので配偶者についてきてもらい、
薬の塗り方や頻度など私の横で聞いてもらいました。

自分では3割ほどしか分からなかったので・・・。

29歳にして自分に処方される薬、
自分の体のことなのに説明を理解できないことが
とても情けなく、悲しい気持ちでいっぱいでした。

その一方で、来たばかりの国には家族や親戚、友人がいないので、
自然と見知らぬ他人の好意に接する機会が多くなります。

方向が分からずに道で地図を広げていると
「大丈夫?」と色んな人からにこやかに声を何度も掛けられました。

降りるべきバス停を乗り過ごしてしまって運転手に尋ねると、
他に乗客がいなかったので
タクシーのように目的地の目の前まで運転してくれました。

多くの人が自分の拙い英語を一生懸命理解しようと耳を傾けてくれたり、
ゆっくりと話してくれました。

他人の好意に頼らなければ生きていけない環境に身を置いたことで、
自分は初めて人の温かさに気づきました。

日本では母国で勝手が分かっており、ビザや言語の制約もなく、
「自分は一人で生きていける」と思い込んでいましたので・・・。

日本では道端で知らない人と目が合っても目をそらすだけですが
こちらの人は微笑み合うことが多く、
それがきっかけで少しの間お喋りをすることさえもあります。

とにかく人との距離が近いです。

私は日本にいた頃には知らない人には話しかけませんでしたが、
こちらに来てからはかなり話しかけるようになりました。

全ての人がそうというわけではないですが、
ほとんどの人にとって互いに100%善意で接するのが普通なので
懐に飛び込むのが怖くないという感じです。

日本で「人が冷たいなぁ・・・」と感じている人は
オセアニア地域を訪ねてみても良いかもしれません。

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