プロフィール


菊川美代子

2012年3月に同志社大学大学院博士課程単位取得退学、2012年5月にオーストラリアへワーホリビザで渡航。
オーストラリアで2年間のワーホリ、NZで1年のワーホリを経て、現在はパートナービザ(Work Visa Based on Partnership)にてNZに滞在しています。
オーストラリアで出会ったアイリッシュのパートナーと永住権目指して奮闘中。
私のオーストラリアワーホリ体験談はこちら

→詳しいプロフィール

ご連絡はmiyoko.kikukawa★gmail.comまでどうぞ。(★を@に変えてください)

学術的訓練は現状の危機を認め、警鐘を鳴らしうるのか?

 

私が大学院で修士課程で研究していたのは、
日露戦争を始めとして国民の大多数が主戦論であった時に
内村鑑三という人物は非戦論を貫けた要因でした。

また、博士課程での研究テーマは
内村鑑三の弟子達もまた、全員ではないにせよ、
第二次大戦時の国家主義全盛の時代に
なぜ政府の非を責め、非戦論の立場を取れたのかということでした。

当時の私は、修士課程の研究に対しては、
内村は日清戦争時で主戦論を唱えていたが
美辞麗句に彩られた戦争の実質は侵略戦争であったことに
ショックを受けた内村は戦争の本質を学んだからだ、
と修士論文で結論を出しました。

博士課程での研究に対しては、博士論文は結局書かなかったものの
内村の非戦論の薫陶を受けそれを継承した弟子達が
主戦論者と非戦論者に別れたのは
彼らの聖書解釈(特にイザヤ書)の差異にあると
結論を出していました。

しかし、聖書解釈の差異が要因といっても、
なぜそのような解釈をするに至ったのかと考えてみると
内村のように日清戦争で戦争の内実を見たという
明確な転機がないのであれば、
最終的には本人の生育暦や性質、性格、嗜好などに
原因が求められることになります。

また、侵略戦争であるという事実を突きつけられても
それを否認し認められない種類の人も存在しますので、
美辞麗句に彩られた戦争の実際を見分しても
それが転機になるかはやはり人によるとも言えます
(ドイツや日本の歴史修正主義者を見れば分かります)。

したがって、結局は聖書解釈の差異が生じた要因を割り出せず、
また割り出せとしてそのような再現不可能な要因を共有はできても
実践するのは不可能であり、また意味があまりあるとは思えないので
何ともモヤモヤした感じで研究を終えました。

原発事故以降、アカデミアの人間が
安全神話を語るのを目の当たりにして私は本当に驚き、また絶望し、
学術的訓練とは一体何なのだろう?と考えさせられました。

本人達は「神話」ではなく
「科学的・学術的事実」と思っている訳ですが。

もちろん全員がそんな風ではなく
私のようにそうではない者もいますし、
私よりも早く気づいて警鐘を鳴らした/今も鳴らし続けている
研究者もまたいます。

原発事故と戦争とでは状況が違いますが、
政府が誤った行いを美辞麗句で隠蔽している状況は同じです。

 

私は自分の体に起きた変化で
事故後半年して気づいたという鈍さでした。

気づいてからは怒涛の勢いで調べ出して、
政府が間違っているとすぐに気づき
「政府を信用しないなんて」と笑う周囲をよそに
気づいてから約8ヶ月には
大学院を退学してオーストラリアにワーホリビザで飛び
海外への避難を完了していました。

それでも、体調不良が起こらなかったら
今でも日本の急激な右傾化には気づけていたでしょうが
その右傾化は原発事故が根本的要因であることに
気づけているかはどうか怪しいかもしれません。

研究者の多数派が政府の対応に全幅の信頼を置き
自分の研究から得た教訓を何ら生かせず
むしろ現状を肯定する安全神話に加担したのは
学術が権力に戦いさえせず敗北した
ように感じられました。

 

 

こうした状況を振り返って、私が内村の思想を研究して

「時代の主潮が国家主義であった時に
それに呑みこまれずに反権力思想を持ち続けられた要因を探り、
探し当てた要因を共有することにより
時代の主潮が間違った方向に行かないようにできる教訓はないか?」

と考えていたように、

「もし後世の研究者が自分の思想を同様の理由で研究するとしたら?
そこに何か未来に生かせる教訓は存在するのか?」

とふと考えることが何度かありました。

自分で思いつく限りでは、
自分が日本政府が間違っていると思えるのは以下の要因からです。

・内村鑑三の著作を何年も読み続けそこから影響を受けたこと
・事故後半年の無頓着な食生活で体調不良が起こったこと
・学術的訓練から得た資料批判の方法などを駆使して
 チェルノブイリ関連の資料などを読み
 日本政府とソ連政府の対応の共通点に気づいたこと

これがどのように未来の教訓に生かせるかどうかは
疑問符がおそらく付くでしょう。

同じ内村の著作を読んでも原発事故に対する日本政府の対応に
何の疑問も持たない人達だっていますし、
体調不良は原因が放射能と考えつく人の方が珍しいでしょう。

学術的訓練を受けてチェルノブイリ事故の資料を読んでも
危険性を理解できず「風評被害を撲滅しよう」と
頑張っている研究者達(しかもそちらが主流派)もいます。

結局間違っていることを間違っていると学術的に考えられるのは
本人の素質による
のかな、と
身も蓋もないことを最近考えています。

人間は感情の生き物なので、事象に対して感情や何かが先に来て、
結局はそれを学術的な装いで補強しているにすぎない
のかな、など。

Comments are closed.