海外で「放射脳」をしていて変化したこと

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日本を出てからというものの、
日本の放射能汚染情報をすっかり追わなくなってしまいました。

それは被曝を気にしなくなったのではなく、
海外に出たために日本の物品や食品を避けるのが容易になり、
日本産・日本製のものを全て避ければ防御が済んでしまうからです。

日本に住んでいた時のように
「日本国内のどの地域で作られてあの地域で加工されていて
その地域経由で搬送されているこの商品/食品が安全」
というレベルまで考える必要がなくなり
情報を追う必要がなくなったのです。

それにしても、この6年間ほどで、
日本という国に心底愛想が尽きてしまいました。

多くの健康被害を出したチェルノブイリ事故の教訓がありながら、
それを遥かに上回る放射能汚染について政府は「安全だ」としか言わず
多数派の国民はそれを疑いません。

それどころか、「危険ではないのか?」と疑問を抱く人が非科学的だと非難され、
人類史上最悪の原発事故から漏れたとてつもない量の放射性物質を
気にするか気にしないかはその人次第
という
愚かとしか言いようがない状況にはほとほと嫌気が差しました。

もちろん、それに抗っている良心的な日本人が少数はとはいえちゃんといて、
奮闘しているのは知っています。

他人の価値観を尊重することは重要ですし、
私は放射能汚染を気にしない人に特に何も言わないので
自分の行動は結果として気にしない人の価値を尊重しているように見えます。

しかし実際は、
「これだけの年月が経っても危険性に気づかないのならば
それはもう気づこうとしていないということ。
それなら好きなように生きて被曝を重ねて健康を損なっても、
最悪の場合は死んでも、
本人に影響はなくても遺伝子が傷ついて
将来の自分の子供に疾患や障害を与えるとしても、
それがこの人の幸せなんだろう」

考えているだけであったりします。

放射能を気にしない価値観を尊重しているというよりは、
ただ突き放しているだけという感じです。

もちろん、私も放射性物質については素人ですし
畑違いの分野で学んだ資料批判の方法を専門外の分野に適用しただけで、
また震災後の自分に生じた身体的症状から仮説を立てているのみで
放射能汚染を気にしない人の考え、価値観全てを愚かと言っている訳ではありません。

私には放射能汚染を気にしない日本人でありながらも、
尊敬できる良い仲間と言える人達がたくさんいます。

ただ、「この人は低くない確率でそのうち病気になるだろう。
惜しいな」と思ってしまいます。

今はニュージーランドで数年のうちに永住権が取れそうなので、
永住権を取得後所定の年数を満たした後は
日本国籍を放棄し、ニュージーランド国籍を取得する予定です。

将来もし自分に子供が生まれても、
その子供に日本の地を踏ませることも、
日本産食品を食べさせることも私が死ぬまでにはあり得ません。

今持っている、有効期限が2023年の日本のパスポートの表紙に
いつの日か”VOID”と穴が開けられて、
それを自分の新しいニュージーランドのパスポートと並べて眺めている自分を
何度思い描いたことか。

日本との縁を完全に絶つという夢を実現させるその日まで
私は走り続けます。

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