「実学でなければ勉強する意味がない」という嘘

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私は日本では大学院生で、専門はキリスト教神学でした。
日本思想史も少し齧りました。

「何でそんな勉強をしたの?何の得があるの?」と
本当に良く聞かれます(苦笑)

神学に限らず、会社に雇用されやすくなる、
お給料が高くなるなどの効果が期待される
工学や医学、会計学などのいわゆる「実学」ではない
文学、歴史学などの「虚学」を学んだ人に対する
風当たりは厳しいものがあります。

研究職などその学問の教職に付くならば別ですが。

オーストラリアに渡り、
自分のような言葉の不自由な短期ビザの外国人は
エンジニアや医療系のスキルなどの「手に職」がなければ
カジュアルではない仕事を見つけるのは難しいと思い知りました。

「実学を学び、手に職をつけていれば」と何度悔やんだか
数え切れないほどです。

しかし、それでも私は「虚学」を勉強して良かったと思っていますし、
後悔は一切ありません。

「何年も掛けて学んだ分野に関連してない職種に就くなんて
君は多大な時間とお金を無駄にした、
専門分野を選ぶ前にきちんと考えるべきだった」
という不要な助言をしてくる人が稀にいるのですが、
そもそも自分が何がしたいかなんていまだに分かりませんし、
将来お金になるかどうかだけで何を勉強するかを
選ぶべきではないと私は思います。

もちろん生計を立てる必要があるので、
そういうことを考えるのも大事ですが・・・。

そもそも、学問は人生を豊かにするためのものであって、
お金になるかならないかという動機で始めるものではないと
私は思います。

別に学んだ分野に直接結び付けられる職種に付かなくとも、
お金になるからという理由だけでしか勉強しないのは空しいです。

しかし、資本主義の社会ではお金を稼がないと生きていけないし、
お金を稼げば稼ぐほど「いい暮らし」ができますので、
「実学」以外は「何の役にも立たない」と軽んじられてしまうのも
悲しいですが必然とも言えます。

しかし、「実学」ではない知がないと世の中は殺伐としてつまらないし、
同時に大変危険だと思います。

それは、「実学」を使うのは人間であり、
人間は感情と思想で動く生き物であるからです。

例えば科学は実学の最たるものですが、
19世紀においては、女性が男性より劣っていることは
「科学的に」証明されていました。

第二次大戦下では、
ユダヤ人がアーリア人よりも劣った存在であると
ナチスの学者たちが「科学的に」証明しました。

まず前提となる思想があり、それを「証明」するために
後から科学が使われたのです。

このように、ある事柄について「実学にて証明された」という合意が
社会で一旦できてしまうと、ひっくり返すことは非常に難しくなり
修正に長い期間がかかります

ですから、これまでの歴史、また歴史を生きた人間の思想に通じることは
実は最大の「実学」
なのではと思います。

私個人の例でいえば、2011年の東日本大震災以降に
日本政府と国民の思想の再右傾化を即座に感じ取ることができ、
気がついてから速やかに日本脱出を図って実行に移せたという
経緯があります。

「実学」が専門の人でも聡明な人は同じように
社会の思想の潮流を感じ取ることができるのでしょうが、
自分のような平凡な人間は「虚学」を専門にしていなければ
感じ取ることができなかったと思います。

ですので、「虚学」の学徒は肩身の狭い思いをせず、
堂々と胸を張っていれば良いと思います。

時代の転換点にいち早く潮流を読むことができるのは
何物にも変えがたい強み
です。

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