現状に満足しない貪欲な人間の悲劇とは?

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ふと気が付くと、遠くまで来ていました。

 

 

今週末は時間があるので、
自分のオーストラリアでのワーホリキングホリデーの体験談を
何となく読み返していました。

そこには今の自分よりもはるかに厳しい状況に置かれて
悪戦苦闘していた4年ほど前の自分が
田村さん宛に書いたメールが編集されて記載されています。

過去の自分が書いたメールを流し読みをしているうちに、
ふと今の自分を顧みて愕然としました。

その頃の自分は英語が今よりもできなくて、
ワーホリビザで同じ職場では六か月までしか働けないこともあり
レジュメを散々配っていたのにローカルの仕事が見つからず、
時給が$10前後という日本食レストランでの
違法低賃金のカジュアルジョブの仕事しかありつけませんでした。

オーストラリアで出会った配偶者と
一人頭週125ドルの安いシェアで同棲を始め、
シドニー生活4か月目にして
ようやく週300ドルほどの稼ぎの仕事を見つけて
ついに黒字を達成したほどの貧乏ぶりでした。

貯金どころか借金を背負っていて口座残高が0で
400ドルを目標に貯金をし始めようという時の自分は
「今までの人生で一番濃い時間を過ごしてると思います。
毎日とても楽しいです」
と書いており、
その状況に満足していたのです。

外国で一人寂しかったところに
まっすぐな愛情をくれる彼氏ができて、
違法低賃金のカジュアル仕事とはいえ黒字になり、
少しづつでも借金返済のめどが立ってとても喜んでいました。

今の私はニュージーランドで配偶者のワークビザに乗っかり、
ビザの有効期限内であればどの会社でも無制限に働ける
ワークビザを持っています。

お給料は決して高くないものの、
週40時間の労働とその給与が保証されている
フルタイムの仕事に就いています。

しかも、その仕事はレストランのウエイトレスなどの
カジュアルな仕事ではなく、
オーストラリアのワーホリ時代に熱望していた
念願のオフィスでの仕事。

自分を大事にしてくれる配偶者を持ち、
シェアではなく自分たちだけの、自分達で家具を揃えた、
半ば一軒家のようなユニットに住んでいます。

ユニットとはいえ寝室が二つあり、
すぐ側には緑がとても美しい庭があります。

立地はあまり便利な所ではありませんが
とても治安が良く、夜に出歩いても安全な地域です。

 

自分たちの車も手に入れ(私はまだ運転を練習中ですが)、
週末は車で色々な所に出かけたりできるようになりました。

 

 

私は、違法低賃金の仕事しかなかった時には
「どんな仕事でもいいから法定最低賃金が貰える仕事がほしい」
怒っていました。

法定最低賃金のパートタイムの仕事が見つかると
「フルタイムの仕事がしたい」と不満を持っていました。

フルタイムのカジュアルな仕事をしている時には
「オフィス仕事がしたい」と泣いていました。

フルタイムのオフィス仕事をし始めると
「給料が安い。仕事内容がつまらない」と愚痴を言っていました。

放射能が理由で家族を日本において避難してきた自分は
オーストラリア到着後すぐに幸せそうな家族を道端で見ては
「家族が恋しい。自分も家族がほしい」と羨んでいました。

愛情を注いでくれるアイルランド人の彼氏ができると
「言葉の壁が高い。文化の違いが辛い」と苛立っていました。

彼が私のために全力を尽くしてワークビザを取ってくれ、
事実婚の配偶者にして私にもビザをくれると
「次は永住権だ。このビザの有効期限はたった二年間だから」
気を揉み始めました。

 

かつては貯金を始められること自体が嬉しかったのに、
今では銀行の口座残高を眺めては
「なかなか貯まらない」と顔を顰めていました。

 

 

今の自分は、永住権を除いては
四年前の自分が欲しがって泣いていたもの全てを
手に入れています。

フルタイムのオフィス仕事をし、
子供はまだいないものの配偶者という家族を持ち、
2年間無制限に働けるビザを手に入れました。

自分はいったいどこまで欲深いのだろうか…
そう気づいて愕然としました。

でも、きっと人間なんてこんなもので、
どんなにほしいと願っていたものであっても
手に入れるといつしかそれがあることが当たり前となり、
感謝をなくし、大切さに気付くのは失った時なのだと思います。

 

良い見方をすれば、現状に不満を持つだけではなく
良い方に変えようとするというのは、
向上心があるともいえます。

「もっとできるはずだ」「もっといい方向に行けるはずだ」と
考えて努力するのは悪いことではありません。

それでも、自分が手に入れたものへの感謝を
意識的に思い起こさなければ、いつまでも現状に満足しない、
客観的には幸福なのに本人の主観的には不幸という
私のように悲しい状態になってしまうのかもしれません。

人間の欲というのは、本当に際限がないものなのだと
しみじみと感じた週末でした。

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