プロフィール


菊川美代子

2012年3月に同志社大学大学院博士課程単位取得退学、2012年5月にオーストラリアへワーホリビザで渡航。
オーストラリアで2年間のワーホリ、NZで1年のワーホリを経て、現在はパートナービザ(Work Visa Based on Partnership)にてNZに滞在しています。
オーストラリアで出会ったアイリッシュのパートナーと永住権目指して奮闘中。
私のオーストラリアワーホリ体験談はこちら

→詳しいプロフィール

ご連絡はmiyoko.kikukawa★gmail.comまでどうぞ。(★を@に変えてください)

2度目のニュージーランドパートナービザ取得成功談

 

私のWork Visa based on Partnershipが新しく三年分出たので、
その顛末をシェアします。

前回の私のWork Visa based on Partnership取得の経緯は
こちらの記事で書きました。

前回は持病が災いして審査に三ヶ月かかってしまいましたが、
今回は四週間で審査が終わりました。

提出書類

共通の友人に二人宛に書いてもらったカード

 

今回提出した書類は以下です。

 

・ビザ申請フォーム(INZ1198)
・日本からの警察証明書
・彼との共同銀行口座のステートメント
・彼と私両方の名前が載っている電気代の請求書
・彼と私両方の名前が載っている水道代の請求書
・彼と私両方の名前で契約している借家の契約書
・一緒に出かけた旅行の確認書
 (航空券やバスの券、宿泊確認書など)
・二人で一緒に撮った写真5枚ほど 
・共通の友人に二人宛に書いてもらったカード

 

 

・ビザ申請フォーム(INZ1198)

Partnership-based Temporary Visa Guide(INZ1199)に従って
ただ埋めていけば良いだけです。

パスポートサイズの写真を2枚貼り付けする必要があります。

・日本からの警察証明書

前回のビザ申請時から二年以内だと
日本からの警察証明書は不要なのですが、
二年経つか経たないか微妙なところだったので
念のため提出しておきました。

オンラインからの予約制で、
予約をした日時に領事館に出向いて申請書類を記入し、
指紋を採取してもらいます。

その際にはパスポートだけではなく、
記入が終わった申請書を顔写真も張り付けた状態で持参しないと

日本からの警察証明書は、
日本国内からだと一週間ほどで取得できるらしいのですが
国外からだと二ヶ月かかるので
早めに申請することをお勧めします。

・彼との共同銀行口座のステートメント

彼のパートナーとして二年前にワークビザを申請したので、
今回出した彼との関係性の証拠は全て直近二年分のものでした。

前回提出した証拠は移民局の記録に残っているはずなので。

さて、この書類はというと、
二人の経済的な繋がりを示すための証明です。

 

 

共同銀行口座なのに銀行のミスで途中一年ほど
ステートメント上から私の名前が消えていました
が、
私の個人口座とのやり取りが頻繁にあったため
経済的な繋がりが証明できました。

自分の個人口座の最新のステートメントも提出し、
共同口座のステートメントのtransactionのうち
私の個人口座との取引に蛍光のマーカーを引きました。

自分が後から見返した時に分かるように
共同口座に振り込むたびに
“miyoko rent”, “miyoko electricity bill”など
descriptionに書いていたのも良かったのかもしれません。

・彼と私両方の名前が載っている電気代の請求書
・彼と私両方の名前が載っている水道代の請求書
・彼と私両方の名前で契約している借家の契約書
・一緒に出かけた旅行の確認書
 (二人の名前が載っている航空券やバスの券、宿泊確認書など)
・二人で一緒に撮った写真5枚 
・共通の友人に二人宛に書いてもらったカード

 

水道代の請求書は二か月分欠けていましたが、
共同の銀行口座のステートメントや
電気代の請求書は毎月分あったので
問題がなかったようです。

光熱費の請求書や借家の契約書は、
二人が同じ場所に住んでいるという証明です。

写真はそんなに枚数は必要ないという情報を耳にしたので
昨年10月と12月の旅行で撮った写真5枚だけにしました。

・その他

健康診断は、前回のビザ申請時に受けた日から
ビザ申請提出日まで3年以内なら必要なしだったので
提出不要でした。

しかし、胸部X線は前回のビザ申請時に受けた日から
ビザ申請提出日まで2年以上であれば必要なので
X線のみ今回は受けました。

 

 

胸部X線は、移民局に登録されているパネルドクターに行って
受けなければいけません。

パネルドクターに予約を入れ、
当日受付にてパスポートを提示します。

それからX線を受ける前にフォームを渡されるので、
それに氏名や生年月日、住所などの情報を埋めて返せば
後は受診後にパネルドクターが移民局に
診断結果を直接提出してくれます。

昨年からこうなったようで、
前回申請時のように移民局に胸部X線のフォームを
記入して提出しなくても良くなっていました。

値段はパネルドクターによりまちまちですが、
私が受けた所では$85でした。

このビザの申請料は$318でした。

前回は銀行から小切手を発行してもらいましたが、
発行手数料が$5ほどかかったのと、
銀行に行く手間が面倒なので、
今回はクレジットカードにて決済することに。

現在はオンラインにて申請が可能となっているビザも
増えてきているようですが、
私が申請したビザはオンラインでは申請できませんでした。

 

 

申請受理からビザが下りるまで

 

ビザの申請はAuckland Centralにある移民局に出向き、
その中にあるポストに上記の書類を投函するだけで
あっけなく終了しました。

翌日に移民局から、
「申請フォームの一部が記入されていないので
二日後までに記入して提出してほしい」というメールがあり、
私が記入し忘れた箇所のスキャン画像が添付されていました。

自分の注意力不足を呪いつつ、
その日のうちに早速印刷して記入し、スキャンしてメールで提出。

その二日後に
「あなたの申請書を支局にて受け付けました」という
自動メールが届き、
クレジットカードの引き落とし履歴を見ると
その日に移民局から$315が引き落とされていました。

移民局のHPによれば、
現在のワークビザの平均審査期間は5週間です。

私は諸事情から
ビザの有効期限が切れる一か月ほど前に申請したので
結局審査中に以前のビザが切れました。

ビザが切れるちょうど一週間前の深夜に
移民局から自動メールが届き、
そこには私にInterim Visaが発行されたこと、
私のInterim Visaの条件はOpen work visaなので
引き続き合法的にニュージーランドで働けること、
Interim Visaの有効期限は半年間か、
あるいはビザの申請結果が出るまでと書いてありました。

以前のビザから同じビザに申請する場合は、
Interim Visaでもそのビザを持っているのと
同じ条件で滞在できます。

私の場合はWork Visa based on Partnershipから
Work Visa based on Partnershipでした。

これがWork Visa (Employee Specific)から
Work Visa based on Partnershipや、
Student Visaなどの違う種類のビザだと
Interim Visaの間の条件がVisitorになってしまって
働ける権利がその間ないので大変不便です。

私は前回のワーキングホリデービザから
Work Visa based on Partnership申請時に
3か月間Interim Visaとなり
その間は働けず専業主婦状態でした…。

以前のビザ申請時に三か月もかかったのは
持病で引っかかったからで、
今回もそうなるか結構恐れていたのですが、
結果としては引っかからなかったようです。

前回受けた健康診断から
今回のビザ申請時まで三年以内であれば健康診断は免除、
ということなので、
今回は前回のように移民局外部の医療アドバイザーの助言が
求められなかったのだと思われます。

前回のビザ申請時の「この申請者の持病は問題ない」という
2年前の医療アドバイザーの助言がまだ有効であったようです。

被曝を気にする「放射脳」は非科学的か?

 
福島第一原発事故以降、
被曝を気にする人を「放射脳」と呼び馬鹿にする風潮があります。

これまで環境になかったものが追加され、
危険性が未知であるものを気にすると
「過剰反応」や「神経質」等と笑われるか責められるのが
日本の状況です。

この記事では、「放射脳」という言葉の起源について
取り上げてみます。

まず、「放射脳」という言葉が
現代日本でどのような定義で使われているのか?と
Google日本で検索してみました。

色々な定義が出てきましたが、
要は東日本大震災と福島第一原発事故の被災地と被災者に対し
根拠のない誹謗中傷を行う人々だということのようです。

つまり、放射能が漏れはしたが安全なはずで、
それでも危険だ被曝だというのは非科学的であり、
被災地にとり風評被害であると。

それでは、過去に他国で起こった原発事故では
政府と住民はどのように対応したのでしょうか?

「放射能恐怖症(Radiophobia)」の出現

1986年に現在で言えばウクライナのキエフ
プリピャチにあるチェルノブイリ原子力発電所事故が起きました。

1992年に各国に正式に採用された
国際原子力事象評価尺度 (INES)によれば、
チェルノブイリ原発事故は最悪のレベル7(深刻な事故)に
分類されました。

チェルノブイリ事故後のソビエト連邦でも、
同じように放射能を怖がる人を
“radiophobia(放射線/放射能恐怖症)”と
揶揄する風潮がありました。

 

広河隆一『チェルノブイリ報告』(岩波書店、1991年)には
以下のような報告があります。

 

「放射能恐怖症という言葉を、私はこのとき初めて知ったのだ。しかし注意すると、当時は一般的に原発について警鐘を鳴らしていると見られる人でさえ、この言葉を口にするのに何度も出会ったのである。『プラウダ』科学部長のグーバレフもそうである。
しかしそれから一年半後の九〇年七月の取材では大きな変化があった。ウクライナ政府チェルノブイリ担当副大臣のセルデュクは、「もう放射能恐怖症神話はなくなったと考えていいのですか」という問いに、次のように答える。
「もちろんです。放射能の人体への影響にたいする危惧は現実のものとなったのです。いま直ちに目に見える影響はなくても、私たちは、汚染地域に住む住民たちの将来の危険性について絶えず注意を払う必要があります。医者の仕事は治療することであって、人々が無知だとあざ笑うことではありません。私たち医療政策に従事する者は、キエフ及びその一帯の病気の増加数と、全国の増加数とな関連を調べ、チェルノブリ事故がその増加にどのようにかかわったかを把握しなければならないのです」しかし事故による放射能被害を軽視する人に特徴的なことは、実際に放射能があらゆる病気の原因になることを無視し、病気を放射能恐怖症のせいにしてしまうことだ。」(191頁)

 

反原発の人々ですら事故後2年ほどは放射能恐怖症として
被曝を心配する人々を揶揄していたのに、
一転して4年後には健康被害が明らかになり、
政府高官すらも放射能による健康被害を認めていたことが
分かります。

この恐怖症について、
UNSCEAR(原子放射線の影響に関する国連科学委員会)は
2002年に以下のように報告しています(513頁)。

United Nations (2000). Sources and Efffects of Ionizing Radiation- United Nations Scientific Committee on the Effects of Atomic Radiation UNSCEAR 2000 Report to the General Assembly, with Science Annexes”, Volume Ⅱ:Effects. (accessed 2017-03-15)

 

「子どもたちを放射能から守る科学者ネットワーク」のFBページのノートに日本語訳がありましたので、
そこから拝借した日本語訳を以下に引用します。

 

「384. チェルノブイリ事故に関する多くの様相が人々に心理障害、ストレスおよび不安を引き起こしているとされてきた。移住、食品供給の変化および個人と家族の行動への制限を含む被ばく量を限定する意図での対策が取られて以来、事故は汚染地域内に住む人々の生活に長期的変化を起こした。これらの変化は、被害を受けた国々においては、ソ連邦の解体によってもたらされた重大な経済、社会および政治的な変化が同時に起こった。このような心理的な反応は放射線被ばくによってではなく、おそらく全体として事故を巡る社会的要因に関連する。

385.個人および家族の移住の意思決定は、しばしば高度に複雑かつ困難なものであった。人々は不安を感じ、科学的、医学的、政治的権威への信頼の欠如はその人々に自らが自制心を失ったと考えさせた。リスクを説明し、人々をなだめようと試みた専門家は、そのリスクを否定し、それ故に不信と不安を強化すると受け取られた。

386. 環境汚染は、当初なされたように放射線恐怖症(radiophobia)とみなされるべきではなく、現実の、目に見えない、定量化も所在を突き止めることも困難な脅威とみなされるべき幅広い不安を生み出した。人々がリスクを把握するやり方の鍵となるのが、リスクに対して人々が行使できるコントロールの度合いである。一旦汚染地域で生活を続ける人々のQOLを改善するために対策が取られれば、多分住民と地方行政とのより良い協力のお陰で、社会的信頼の風潮は改善する。」(強調原文)

 

ここから、放射線恐怖症の人々、つまり「放射脳」は
その人々の非科学性、無知などによるのではなく
社会的要因により発生したことが分かります。

何かを危険だと怖がっている人に同意はできなくても、
どうしてそう思うに感じるに至ったのかなど話を聞くのではなく、
頭ごなしに「お前の考えは間違いだ、絶対安全だ」と言われて、
「そうだな、考えを改めよう」と思う人がどれだけいるでしょうか?

余計に心を閉ざしてかたくなになるのは
簡単に想像できるでしょう。

海外に逃げた「放射脳」は語る

私個人の経験で言えば、関西に住んでいたこともあり、
日本政府がきちんと対策を取れば
そのまま日本に住み続けていたかもしれません。

汚染地域の住民に、国の負担で安全な地域に移住してもらう、
汚染地域で農作物を作るのを禁止する、
汚染地域からの物流を止める、
農作物と加工品を定期的に全量検査する、
事故の深刻さを認めて他国政府に技術援助を求め、
海洋への汚染水流出を止めることにきちんと注力する、など。

しかし実際の対応は全くの正反対で
汚染は全く認めない、認めても健康には問題がないと言う、
検査はほぼザルで、汚染地域からの物流も止まらず
日本全国うっすらと少しずつ広がっている状態。

被曝を防ぐことなどとてもできそうにありません。

このような状態なら、被曝を逃れるには
できるだけ事故現場から遠い所に行くしかないと考えるのは
はたして非論理的でしょうか?

これまで環境中に存在しなかった人口の放射性物質、
体にどんな長期的影響があるかが未知の物質、
安全か危険かが分からないものが環境中に放出されたのに
それを「安全だ」とみなすことは論理的なのでしょうか?

もし危険だったら?
そう考えて恐れるのは非科学的でしょうか?

 

 

先ほど引用した「子どもたちを放射能から守る科学者ネットワーク」の
FBページのノートの末尾には以下の説明が書かれています。

「放射線恐怖症(radiophobia)という言葉は、放射線被ばくに対する「過剰」な不安を示す状況を表すネガティブなニュアンスを含む言葉です。医学用語としてのanxiety(不安症/不安神経症)、および日常語としてのanxiety(不安/懸念)に基づく2つの使われ方があると想像されます。いずれにせよ、放射線の安全に何らかの懸念なり不安なりを抱くこと自体はある意味で自然なことであり、恐怖症あるいはphobiaという言葉/ラベルについては、専門家の診断に基づく「病的」な症状がない場合、あるいは極度に過剰な不安があるという共通了解がない場合には使用を慎むべきと考えられます。」

英語を使う時に心がけると良い、たった1つのポイント

 

「何を言っているか分からない」と言われてもめげない
・・・ということに尽きます。

 

 

頑張って一生懸命頭の中で考えてひねり出した英文なのに、
「えっ?」と聞き返された
「意味が理解できない」と言われたら怯んでしまいますよね。

「せっかく頑張っているのに・・・」と
英語を話すのが一気に嫌になってしまったり。

しかし、ここで怯まずに、
違う表現や言い回しで伝わるまで伝えようとするか否かが
英語力が上達するか否かの分水嶺です。

シドニーやオークランドなどの都会のエリアでは、
非英語圏出身の人間がたくさんいます。

小さい頃に親に連れられて移民してきた人、
留学生や、ワーキングホリデービザで来ている人や、
ニュージーランド人の配偶者として住んでいる人など
様々な人がいます。

そういう人達は外国語を使うことが
どれほど難しいかを知っている人達です。

だから、英語が不得意な人を見ても
よほど意地悪な人でなければ
「まだ英語がうまくないのだな」と暖かく見守ってくれます。

英語が下手だからと言って嫌な顔をしたり
邪険にしたりなどしてきません。

また、都市部に住むニュージーランド人は
英語が母語でない非英語圏出身の人達と話すのに慣れていて
英語が下手な人に嫌な態度を取る人はとても少ないです。

ですので、意味を分かってもらえず聞き返されたとしても、
違う表現や言い回しで伝えようとすると
ちゃんと待ってくれて、最大限理解しようとしてくれます。

そして、大抵の場合は理解してくれた後に
自分の語彙が足りなくて回りくどくなっていた表現を
「こういうこと?」と、あっけないほど簡単な英文で
要約してくれます。

その要約してくれた文章がまた勉強になります。

私はシドニーに住み始めてすぐ、
「どんな仕事を探すの?」とオーストラリア人に聞かれて
「どんな仕事でもいい」と答えたかったのですが
それを英語でどう言うかが分からないことがありました。

「ええと、手に職がないから技能のある仕事はできないし、
家から近くても遠くてもいいし、・・・」などと
長文でモゴモゴ言っていると、
話していたそのオーストラリア人に
「“Any job is fine!”ね!」と言われ、
「なるほど、そう言うのか!」とすごく納得しました。

こういうことの積み重ねが私の英語表現の幅を
間違いなく広げてくれました。

一度で分かってもらえなかったからと諦めてしまうと、
このような機会を得られないのでとてももったいないです。

海外移住は「失敗」する方が難しい

 

海外移住には挑戦してみたいけれども、
失敗したら取り返しが付かないのではないか?

と考える人が多いのではないでしょうか?

現地で仕事が見つからなかったら、
貯金を大量に失って終わるのでは?

永住権を取れなければ、何年もの徒労に終わるのではないか?

英語が話せなければ外国には住めないのでは?

・・・考えれば考えるほど不安になりますよね。

それでは、そもそも「海外移住に失敗する」ということの定義
何なのでしょうか。

個人的には、
「自分の人生を幸せにするものを何も得られない」
というのが失敗だと思います。

抽象的ですが・・・。

失敗例としてパッと思いつくのは、
例えば以下のようなケースです。

 

日本人ばかりと過ごして、
行く場所も日本食レストランや日本語が通じる場所ばかりで
語学的収穫が得られなかった。

言葉に自信がないあまり対人恐怖症のようになり、
部屋に引きこもってしまい人間関係を作れなかった。

正直、これくらいしか浮かびません。

というのも、失敗する方が難しいと私は思うからです。

海外移住を失敗する「難しさ」

永住権を取れなくとも、私のように放射能が理由の海外避難の人間には、
被爆防御という観点から考えると
海外に長期間いるというだけで体には大変な保養となります。

また、言葉がそうできなくとも、
「現地の言語が不得手でも
外国でたくましく生き延びることができた」と
自分に自信がつきます。

いったん「言葉ができなくても別に外国で生きていける」と分かると
外国に住むことへの精神的なバリアが外れて、
日本に住むことが選択肢の一つでしかないことに気づけます。

また、英語ができない自分の話を忍耐強く聞いてくれる
他人の優しさに感動し、
また日本よりも人との距離が近いので色んな人が話しかけてきて、
「人間は暖かいのだなあ」としみじみ感じることができます。

 

貯金を大量に失ったとしても、
残業に日々追われて有給もなかなか取れないような
労働環境から抜け出せ、
日本をいったん外から見ることができます。

現地で仕事が見つからなくても1000件ほど応募をし続ければ、
「現地で1000件の求人に応募しました」と
日本での就職の際に武勇伝のようにすることができます
(例え仕事をもらえなかったとしても、
落ち続けても1000件応募できる根性があると示せるわけです)。

現地で引きこもらずに人と触れあい、
日々の雑事をこなしてたくましく生き抜いていくうちに
半年、一年後には自分が心配していたこと全てに
「何であんなことを一生懸命心配していたんだろう?」
気がつけば自然に思える日が来ます。

私は英語は読み書きは割とできたものの
話すのがまるでダメな状態で日本を出て、
言葉が通じなくても国を超えて通用する手に職もなく
ワーキングホリデービザでの滞在だったため
当初の手持ちの貯金は50万円弱でした。

それでも、周りの人に助けられて
五年弱何とかたくましく生き抜いています。

永住権を取れるかはまだ分かりませんが、
「もし自分があのまま日本にいたら?」と思うとゾッとします。

 

・・・と、このように、実は海外移住というのは
失敗する方がハードルが高い
のです。

永住権を取れるという「成功」に到達しなくても、
基本的に得るものしかないわけですから。

英語力がどんどん伸びる環境とは?

 

日本にいた頃の英語力

日本にいた頃の自分は、
英語を伸ばしたいのになかなか伸ばせませんでした。

 

 

専門分野の学術論文を英語で読むのに、
見開き2ページで40分かかっていたほど。

リスニングは海外ドラマやBBCなどを毎日聞いていて
そこそこ理解できるものの、
日本語字幕なしでは詳細を理解できないレベル。

スピーキングなんて英語を話す機会もないし、
文章が全く口から出てきませんでした。

ライティングも、簡単な英文メールを書くのに
30分はかかっていた始末・・・。

大学院生としては大変恥ずかしい英語力でした。

ひたすら英語漬けの日々

ところが、日本を出て五年弱経ち、気が付けば
英語の新聞を斜め読みできるようになり、
ニュースはそう集中して聞かなくても理解できるようになり、
スピーキングもまだまだ文法などの間違いが多いものの
自分の考えをすらすらと話せるようになり、
英文メールで仕事のやり取りを毎日何十通と行っています。

「そう若くない29歳から海外に出て
どうしてここまで英語を伸ばせたのか?」
と考えてみると、
英語を常に使うしかない環境にほぼ置かれたから、といえます。

私は文法の基礎ができていたので、
後は実地で実践して慣れていくのと
スラングなど実地ではよく使うものの
学校で習わない表現の吸収をするだけだったので、
ある程度の時間さえかければ英語はどんどん伸びていきました。

日本を出て三ヶ月で英語しか話せない彼ができて
毎日英語を話さなければならなかったり、
最初の一年は貧乏だったのでスマホを買えなくて
国際電話をかけて日本語を話せるのは月に一回ほどだった、
という環境でひたすら英語漬けの日々でした。

そうしているうちに三年たち、英語に自信がついてきた頃に
トップだけが駐在員で後は誰も日本語を話さない今の職場に入り、
秘書という肩書ですがほぼ社内翻訳の仕事に就きました。

それ以来、日本語で読んでもなかなか分からないような内容の文章を
毎日ひたすら英語で読み続けなければならず、
業界の技術的な話は上司に質問して背景知識の獲得に努め、
英語は分からない単語を逐一ネットで検索して調べ単語帳を作る日々です。

「英語が分からない」と言うことが許されない毎日が続いています。

そして仕事を始めて半年ほどして、
ある日気が付くと新聞を斜め読みしている自分がいました。

英語力を伸ばすポイント

自分の経験から、英語力を向上させるポイントを
まとめると以下のようになると思います。

 

・会話での実践も大事だけれども、
机に向かって勉強して基礎を固めておく

・量をこなす

・分からない単語や表現を面倒がらずに調べる。
例文をきちんと読み、覚えた後すぐに使ってみる

・「英語が分からない」と言うことが
絶対に許されない環境に身を置く

 

 

「外国語」として意識すると難しく感じるかもしれませんが、
しょせん現地では鼻水を垂らした小学生が
走り回りながら話している言葉なので難しいはずはなく、
ようは誰でも勉強と練習さえすれば使えるようになります。

あっさりとワークビザ更新ができた秘訣

 

彼のWork Visa (Employer specified)が新しく三年分出たので、
その顛末をシェアします。

 

 

これまでの経緯

以前の記事にも書きましたが、
彼は元々ワーキングホリデービザでニュージーランドに渡航、
その時に働いていた会社にスポンサーをしてもらい
2年のWork Visa (Employer specified)をもらえました。

ところがそのスポンサーの会社の副社長が
違法滞在のトンガ人を雇うという違法行為を犯したため、
会社に移民局の監査が入り
新たに外国人をスポンサーすることが不可能な状態に・・・。

それから彼は転職活動を行い、
同じ現場で働いている同業他社の人のコネで転職先を見つけ、
転職先の会社にスポンサーになってもらえました。

転職先は何と” Accredited Employer”だった

転職先の会社は大手で、Accredited Employerです。

Accredited Employerというのは移民局の監査を受け、
きちんとした会社であると証明されている雇用主です。

どうすればAccredited Employerになれるかというのは
移民局のこのページに書いてありますが、
過去二年分の年次レポート、財務諸表、事業計画、
会社のプロフィールと登録詳細を提出等色々と大変なようです。

Accredited Employerになると、ビザの審査期間が短くなったり
Work VisaだけではなくWork to Resident Visaという
被雇用者が二年間働いた後仮永住権を申請できる
ビザを被雇用者に出せるようになります。

ニュージーランドでは、永住権獲得の前にResident Visaという
二年間の仮永住権ビザを経なければなりません。

その二年の間は飲酒運転のような小さな犯罪でも
犯したら即ビザ取り消し、
家も購入できるけれども自分達が住むためだけのもので、
シェアなどをして他の人に貸してはいけない、
二年のうち半分の一年間は
ニュージーランド国内に滞せねばならないという制約があります。

その二年が終われば晴れて永住権に移行でき、
永住権取得後は五年で市民権が取れます。

転職のための段取りなど

前回のビザ申請は彼が自分で行いましたが
今回はさすが大手の会社といったところで、
お抱えの移民弁護士を雇っていて、
ビザ申請にはその移民弁護士を通さないといけなかったので
彼が自分ですることはあまりありませんでした。

 

 

彼が準備した書類は以下です。

・現在の会社の社長からのレファレンス
・現在働いている現場の監督からのレファレンス

その他に、したことは以下です。

・サインした雇用契約書をスキャンして移民弁護士にメールで送る
・移民弁護士からメールで送られてきた質問に
 メールで回答して返信する
・白い壁を背景に顔写真を撮って移民弁護士に送る
・ビザ申請料支払い($298)
・移民弁護士料金($50)支払い

移民局のHPによると、
現在のWork Visaの審査期間は23-25営業日なのですが
何と8営業日ほどで審査が終了しあっさりビザが下りました。

同じ人間が同じジョブタイトルで出して前回は二年、
今回は三年のビザが下りたので驚きました。

何かの参考になるかもしれないので、
前回と今回の違いをまとめてみます。

 

前回
・ニュージーランドでの職歴が一年弱
・スポンサーはAccoredited Employerではない
・全て自力で申請

今回
・ニュージーランドでの職歴が三年弱
・スポンサーがAccoredited Employer
・ビザ申請を移民弁護士に依頼

 

他にも、大きな地震が発生して大工への需要が高まったなどの
要因もあるのかもしれません。

 

 

私は同時に申請しなかったため
あと一ヶ月ほどでビザが切れてしまうので、
今日申請書類を移民局に提出してきました。

そちらもビザが下りてからまた報告しようと思います。

生まれる国を間違えた疑惑

 

日本を飛び出して以来、
水を得た魚の様に生きるのが楽になりました。

日本で生まれましたが、
「生まれる国を間違えたのかも」と思うほどです(笑)

日本を出る前は
「海外での暮らしは日本より苦労が多いのでは?」
という先入観がありました。

確かに言葉や文化の面などでの苦労は日本より多いですが、
精神的な面では日本にいた時より遥かに楽になりました。

以下に私が日本を出ることになった経緯と、
日本を出てからの経験を書いてみます。

一人暮らしすら未経験で海外生活開始

日本での私は大学院生で、
生まれも育ちも関西でずっと実家から通学していました。

一人暮らしの経験はなく、
実家でも家事の手伝いは一切せず、生活力は0の状態。

日本から出る前の海外経験といえば、
海外旅行に数度出かけたことがある程度。

 

そんな私が一大決心をして日本を出ようと思ったのは、
原発事故後に自分に起こった体調の変化でした。

今までに感じたことがない体の異変

おかしいと思っていたところに
Twitterにてふと目についた原発事故の話が気になり調べると、
内部被曝の話を目にしました。

そこで、チェルノブイリについての文献や論文を読み
内部被曝の危険性を学びました。

私の専門であった神学や宗教学、歴史学とは異なる分野の資料ですが、
信頼が置ける文献や論文の見極め方は同じなので
大学院で身に着けた知的技術が私を思わぬ形で助けてくれました。

それらの資料から得た知識をもとに
それまで気にしていなかった食べ物を
加工食品も生鮮食品もすべて西日本のものにしてみたところ、
全ての症状が一か月もしないうちに消え失せました。

この結果から、
原発事故後に放射能汚染された食べ物から内部被爆をしていて、
それが原因で体調不良が起こったのだと結論を出しました。

食べ物を西日本のものにするといっても
外食では全て西日本の食べ物にするのは不可能ですし、
物品の放射能汚染も気になりだしたので、
もう日本を出てしまおうと決意しました。

武器は学術的思考のみ

日本を出ようと決意したものの、
大学院生だった自分には手に職もキャリアもなく、
英語にも不安がありました。

専門分野の論文を英語で読んではいましたが、
読むペースは遅く、
論文で書かれているような英語は文語なので
日常会話では堅苦しすぎて不自然で使えません。

そんな自分にできることといえば
不器用ながらも自分にできることを精一杯やることでした。

最初の数ヶ月間日本語を話すのは月に一度あるかないかという
英語漬けの環境に自分を追い込んだり、
違法低賃金の日本食レストランで働かざるを得なかったので、
国内の外国人からの収奪を孕む移民国家の矛盾を考えたりと。

 

どんなに金銭的、精神的に苦しい日々が続いても
自分の学術的・知的技術を駆使して出した結論に
絶対の信頼を置いているので
「自分がこんな苦労をしてまでも
ここにいるという選択は絶対に正しい」という信念を持ち
踏ん張ることができました。

 

 

貯金なし・手に職なし・要領悪しで海外長期避難

英語が不安だった私は
シドニーで語学学校に10週間通うことにしました。

日本から持ってきた貯金が50万円弱で、そこから学費を払い、
シェア入居のための預かり金を支払った後は
数万円しか手元に残っていない状態でした。

すぐにでも稼げる仕事を探さなければいけなかったのですが、
当時の最低法定賃金が15ドルだったのに、
技能も英語力もない私は
時給10ドルという違法賃金の日本食レストランでしか
仕事がもらえず。

そこで日系ではない仕事を探したのですが、
200件ほど応募したのに面接にすら辿り着けず
一年近くフルタイムの仕事が見つかりませんでした。

最終的にはコネでフルタイムの単純作業の仕事が見つかり、
経済的に何とか独り立ちできましたが・・・。

やはり暮らしていく上で生活費がかかるので
長期避難のためには仕事にありつけることが重要です。

なかなか仕事が見つからなくても
腐らずに粘って英語を磨いて仕事を探し続ければ、
私のような人間でも一年以内に単純作業とはいえ仕事が見つかり
海外で何とか経済的に自立できました。

しがらみがない世界に住む

オーストラリアとニュージーランドに住んでいると、
日本で雁字搦めになっていたような
「家族・親族」「世間の目」「年齢」といった
しがらみから開放されます。

多民族国家では一人一人の人間の常識が異なるのが当然なので、
「こうあらねばならない」という型を押し付けられないからです。

一人一人が違って当たり前なのが大前提なので、
「周りがそうするから従うしかない」という
日本のような同調圧力がありません。

 

「○歳なら、そろそろ結婚しないと」
「そんなことをしたら世間の目が…」
「いい年をしてこんな服を着るとみっともないと思われる」
「周囲と違う自分の意見を言うと浮いてしまう」

 

…ということが一切ありません。

 

誰が何歳でどこで何をしようが一切自由ですし、
個人の選択が尊重されます。

周りの目を気にしすぎていた私は
自分が本当にしたいことが分からなくなっていました。

今では本当の自分を出せるので、毎日気持ちよく過ごしています。

志が同じ仲間との出会い

大人になると本当の友達や仲間は出来ない、と
日本ではまことしやかに時として言われているのを聞きますが、
私はむしろ日本を出てから良い友達や仲間に恵まれました。

私は渡豪の際にAPLaCという個人エージェントを利用しましたが、
このつながりで多くの尊敬できる仲間と出会えました。

ここの卒業生は異国の地で日本人村どっぷりにならずに
一匹狼で道を切り開いている人達です。

日本での「常識」が実は「常識」ではないことを皆共有していて、
例えば「将来は起業をしたい」という話や
将来自給自足の共同体を作りたいという話、
海外に永住したいという話をしても
誰も「そんなのは無理だ」「日本が一番」という反応をしません。

その代わりに、「どうしたらそれが実現できるか」ということを
一緒に考えてくれる人達です。

日本以外で自力で生活した経験があるからこそ
初対面でも初対面ではないかのように話し込める
不思議な仲間がたくさん出来ました。

西欧ではポピュラーな事実婚をしてみた

日本では事実婚はまだまだ馴染みがなく
「日陰の存在」のような印象かもしれませんが、
オーストラリア、ニュージーランドを含めた
西欧文化圏の若者の間ではとてもポピュラーです。

私は日本人なので、「なぜ結婚しないのか?」と
何度もアイルランド人の彼と喧嘩しました(苦笑)

事実婚と結婚の違いは、正直そんなにありません。

法的な権利については結婚と同じ権利が与えられます。

同性同士で結婚できない国がまだまだ多いので、
おそらく一番の違いは、
同性同士でもできることではないでしょうか。

察してくれない相手との長いお付き合いを経て…

アイルランド人の彼と付き合い始めてから、
何度喧嘩をしたか分かりません(笑)

文化の違いは話せば最終的には理解できるのですが、
お互いが当たり前だと思い込んでいることほど
相手の常識と外れていたりするので
最初は文化の違いと認識できずにたくさんの喧嘩をしました。

例えば、西欧では人前で男性が彼女の腰に手を回すことは
極めて普通です。

人にもよりますが、
日本では人前では手を繋ぐのと腕を組むのが限度かと思います。

 

付き合い始めて数ヶ月目、彼と一緒に道を歩いている時に
前から日本人の友達が歩いてきたので
彼が私の腰に回していた手を
反射的に振り解いたことがありました。

私のその行動に対して彼は激怒。

西欧では人前で彼氏や配偶者の手や腕を解くのは、
「彼氏や夫を恥ずかしく思っている」からなのだそうです。

だから、「君は俺を恥ずかしいと思っているのか!」と・・・。

彼は「人前でベタベタするのは恥ずかしい」という
日本の常識を知らず、
私は自分の行動がそんなジェスチャーになるという
西欧の常識を知らず、
二人ともお互いの行動の訳が分からず言い合いになりました。

万事が万事こんな調子なので、
「言わなくても察してほしい」というのは無理です(笑)

最初はしんどいですが、その分話し合う機会が多いので
今ではお互いが何を考えているか分かるようになり、
誰よりも分かり合えるようになりました。

実は日本よりも海外で働く方が楽

海外で働くなんてハードルが高いと思われるかもしれませんが、
実は一旦働き始めるとハードルは低いです。

日本人は基本的に真面目なので
日本人の「普通」の基準で仕事をこなすと
大変な働き者として重宝されるからです。

 

 

ちなみに、私の日本でのバイト時代の勤務態度は

「忙しくても同じ給料なら暇な方が良い」
「始業時間ギリギリに来て終業時間になったらすぐ帰る」

でした。

日本では「不真面目」「やる気がない」といわれる態度ですが、
こちらではごく当たり前の態度です。

給料が発生しないのに仕事場に早めに来ないといけないなんて
クレイジーとしか思われません(笑)

会社員が毎年約二か月間の有給休暇を楽しむ異世界

こちらでは毎年4週間の有給が与えられて、
従業員は基本的にそれを完全に消化します。

「基本的に」というのは、貯めることができるので
2週間しか取らなかった年の翌年は6週間取れたりできます。

未消化の有給は退職時に現金に換算されて支払われます。

4週間の有給休暇に加えて、会社によって長さは違うものの
年末年始はクリスマス休暇で2週間ほど会社が閉まります。

それに加えて、有給とは別に病気休暇の権利が
最低でも年5日定められています。

病休でももちろんお給料は支払われます。

という訳で、一年の内二ヶ月弱は働いていない計算に。

日本だと学部卒や院卒の22歳や24歳で就職した後、
丸々一ヶ月の休暇を取れるのは基本的に定年退職後ですよね。

この世界でするべきことなど何もない

日本にいた時は
「生まれてきた以上は何か使命があるはずだ」と考えて、
自分は何をするべきかを探し続けていました。

研究者の夢を諦めて宙ぶらりんの状態になった時に
「しなければいけないことなど何もなく、
ただ生きて毎日を楽しめばいいのだ」とある日ふと納得し、
長い間苦しめられていた焦燥感のようなものがなくなりました。

この世界の大多数の人達は何がしたいか分かっていないし、
それでも何となく日々を楽しく過ごして生きているのだろうと。

手に職もコネもない自分がそれでも日本を飛び出したのは
生きたかったからという理由だけで、
自分はただ安全な場所で楽しく生きられればそれで幸せなのだ、
と思うようになりました。

明日死んでも悔いのない生活

逆説的ですが、こうして毎日を楽しんで生きていると
明日死んでも悔いがないようになりました。

もちろん配偶者や、子供をまだ産んでいないこと、
親より先に死ぬことへの心残りはありますが、
置かれた状況で常にその時点で出来うる最善を尽くしてきたため
悔いがなくなりました。

「自分にやれることは全てやった」という感覚です。

…こうして見ると、
思い切って行動さえすれば手に職がなく要領も悪い
私のような人間でも海外長期避難は可能なことが
分かってもらえるかと思います。

大人気観光地での思わぬ発見

 

12月28日から31日まで、ニュージーランド北島にある温泉街、
Rotoruaに旅行してきました。

写真はロトルアから車で20分の場所に位置する
Waiotapu Thermal Wonderlandの中にある天然の温泉です。

100度なので浸かれません(笑)

現在、不動産バブルでオークランドの家賃はとても高いです。

そのため、永住権を取った後など
ゆくゆくはオークランドを出たいと考えていて、
引っ越し先の街の候補を見ておきたいので
その下見も兼ねていました。

ロトルアは観光地として大変整備されていて、
様々なアウトドアのアクテビティーが揃っています。

 

私が参加したアクティビティーは
ウォーターラフティングCanopy Tourでした。

ウォーターラフティングは川下りで、
ウェットスーツに着替えてボートを漕ぎ、
最大で7メートルの滝を下ったりして楽しめました。

途中で休憩場所(?)の3メートルほどの高さの岩の上から
川に飛び込んで泳いだり。

私は鼻から何度も水を飲みました(苦笑)

値段は一人90ドル。

Canopy Tourは木と木の間に張られたワイヤーのロープを
滑車を使って滑り降りるものです。

一番高い場所では22メートルの高さから滑っていき、
鳥の目で森林を見下ろせて最高に気持ちが良かったです。

値段は一人149ドル。

さて、三泊四日の下見の結論としては、
引っ越し先として最適とは思えませんでした。

理由は以下の四点です。

 

1.自分がスギとイネの花粉症であること

この花粉症は日本にいる時からなのですが
到着後15分ほどからくしゃみが止まらなくなりました。

初日で軽く100回以上くしゃみをして喉が痛くなり、
寝る時も鼻が詰まりなかなか寝付けず、
二日目の朝一番で薬局に駆け込みました。

薬を服用しだしたことで劇的にましにはなりましたが
それでもくしゃみは出続けたのでこれはとても住めないな、と。

オークランドに戻ってきて以来
花粉が飛んでいないので快適です(笑)

2.何もかもが観光地価格で割高であること

レストランではどこもオークランドでの料金より
3~5ドル割高でした。

割高なのに味は美味しいところが少なく、
高いお金を払ってあまりおいしくない料理を食べるのは…。

味は美味しくないのに
どの店もたくさんのお客さんでにぎわっていました。

おそらく人気観光地ということで、
味が良くなくても割高料金でもお客さんが入るのでしょう。

 

味が良いレストランももちろんあるのですが
そのようなお店は事前予約で満席で入店できなかったり、
持ち帰りの料理ですら一時間待ちだったりしました。

毎週木曜の夜に行われているナイトマーケットでは
観光地価格ではない通常価格で、味も良かったです。

3.市中心部にはレストランばかりで、
満腹になったらもうほぼすることがなく退屈

市の中心部は小さいレストランやカフェが無数にあり
どのお店にしようか迷うほどですが、
飲食店ばかりということは、
満腹になればすることがないんですよね…。

地元民になってしばらくして友達がたくさんできたら
<レストランで満腹→カフェで長時間お茶→
またレストランで食事して満腹→お茶>

の無限サイクルで楽しめるようになるのかもしれません。

4.アクティビティーをやりつくした後はすることがなさそう

アクティビティーは本当にたくさんあって、
週に一度一つのペースでアクティビティーをするとしたら
一年はかかると思います。

問題はアクティビティーの値段です。

かなりのアクティビティーが$100前後するので、
アクティビティーに一体いくらつぎ込めばいいのか分かりません。

しかし、同じく観光地として有名なTaupoという街が
80kmしか離れていないため
そっちにも行ったりできるので、
また違った楽しみ方があるのかもしれません。

Taupoのアクティビティーも
ネットで調べてみたところどれも高いですが…。

ちなみに、ロトルアの不動産価格はオークランドの3分の1です。

現在オークランドで家を買うとすれば100万ドルが相場なので、
ロトルアで家を買うと大体70万ドルを節約できる見積もりです。

「普通の事務職」で永住権を取得できるという事実

 

現在の私はオークランドの街中心部にある会社で
秘書として働いています。

雇用された当初のJob Title(肩書き)は
Reception and Administration Support
(受付兼事務補助)でした。

その後、移民弁護士のコンサルを受けた時に

「そのポジションから昇進の機会はありますか?
というのも、Secretary(秘書)だとニュージーランド政府の
技能職リストに載っているので、
秘書だと三年の業務経験の後にワークビザが申請可能になります。

あるいはその三年の間に
オンラインコースでDiploma of Businessを取得すると
スポンサーをしてくれる会社さえ見つかれば
三年後に自力での永住権取得が可能になります」

とアドバイスを受けました。

受付のキャリアパスとしては、

受付

個人付秘書(Personal Assistant)
あるいは重役付秘書(Executive Assistant)

秘書

というように昇進していくのだそうです。

学位を取るためには学校で授業を受けねばなりませんが、
物理的に学校に足を運び教室に座って授業を受けるとなると
三ヶ月以上通うことはワークビザだとできません。

ワークビザはあくまでも就労のためのビザであって、
学校に通うには原則的に学生ビザが必要なので、
学校に通える期間は三ヶ月以内に限られます。

しかし、オンラインコースであれば
自分の都合の良い時に勉強できるので、
学校に通った期間を厳密に計算することは不可能。

そのため、オンラインコースだと
ワークビザで受講しても問題がないそうです。

秘書の業務内容がどんなものかネットで調べたところ、
私がしている業務内容と似たようなものでした。

そこで、従業員をスポンサーしない方針である現在の勤務先に

「こういう事情があるので、
昇給を求めるわけではなくただ肩書きを変えて欲しい。
そしてお金が貯まり次第コースを受講して学位を取る」

と会社の上司と人事部長に相談したところ、

「スポンサーはできませんが、できるだけのことはします」

と言ってもらえて、Job Description(職務内容)はそのままに
何と肩書きだけ変えてもらえました。

人事部長からも

「あなたのJob Descriptionは秘書としての職務内容と言っても
おかしくない内容なので、職務内容はそのままにしておきます」

とのことでした。

「外国で永住権を取るなんて、事務職の自分には無理なのでは?」
と思っている人が多いかと思いますが、
実はニュージーランドでは秘書を始めとして
かなりの事務職が技能職とみなされています。

自分のこれまでの仕事や職位が技能職リストに入っているかは
移民局のこのページからチェックできますので、
ぜひ見てみてください。

案外、道は開けているかもしれません。

日本語教師になってみた



 

「『は』と『が』の違いは何ですか?」

「何で『よんふん』じゃなくて『よんぷん』なんですか?」

ワーキングホリデービザにてニュージーランドに渡って一月後、
日本語を教えた経験もなく、
日本語教師の資格もなしの私は
パートタイムの日本語教師として教壇に立っていました。

 

 

ニュージーランドにワーキングホリデービザで来て
すぐに仕事を探し始め、
「大学院で高度な日本語運用能力を身に付けたので
日本語を教える仕事ができるかもしれない」と思いつき、
オークランドの日本語コースがある語学学校に
手当たり次第メールで履歴書を送っていました。

そのうちの一校から返信があり面接に呼ばれ、
何とパートタイムの日本語教師として採用されました。

当時、その語学学校は開校したばかりの
新しい学校でした。

元英語教師として日本を含めた色んな国に住んだ経験がある
20代後半のニュージーランド人女性が校長で、
今度新しく日本語のコースを開設するので、
そのコースの日本語教師第一号になって欲しいとのことでした。

その当時は学校の生徒数がまだまだ少なく、
フルタイムで人を雇う余裕もなかったため
その校長が受付もしていました。

今は生徒数がかなり増え軌道に乗ってきたので、
フルタイムの従業員を二人雇い、
新しい教師募集の面接の際にも模擬授業をやらせたりと
かなり本格的になってきているようです。

私の時は校長が面接の仕方を良く分かっておらず、
ほぼ世間話をしただけで採用になったようなもので
模擬授業など一切ありませんでした。

というか、模擬授業があったら採用されなかったと思います(笑)

これも縁ですね。

お給料は60分の個別レッスンだと時給25ドルで、
90分授業でなぜか30ドルでした。

採用から数ヶ月経った後荷値上げ交渉をして時給27ドル
90分授業で32.5ドルとなりました。

【「いきなり先生」就任】

 

幸か不幸か日本語コースが私の採用と共に開講されたので、
生徒数が最初は一人でした。

一人だとその生徒に合わせて教えればいいので、
日本での塾講師経験すらない自分には幸運でした。

いきなり何人もの生徒相手に団体授業というのは
外国語としての日本語を知らない自分には
無理だったと思います。

その生徒は20代のニュージーランド人の男子大学生で、
JET Programを利用して英語教師として日本に滞在したいので
日本語を学んでいるとのことでした。

その数ヶ月前に友達と日本の北海道へ旅行に行き、
その際の滞在先のホストファミリーと仲良くなり、
日本が大好きになったのだとか。

その彼は日本語をそれまで全く学んだことがなかったというのも、
私には幸運でした。

一緒に一から学んでいけますから・・・。

私は日本人なので日本語を母語として話せますが、
第二言語として日本語を学ぶ人相手に理詰めで教えられるような
知識を持ち合わせていません。

例えば、なぜ「練習試合」を「れんしゅうしあい」ではなく
「れんしゅうじあい」と読むか、など。

日本語ネイティブは子供の時から日本語に囲まれて
大量に記憶して脳が勝手に規則性を見つけて
自然に法則を身に付けますが、
外国語として日本語を学ぶ人にはルールが分からなければ
なぜ「1分」が「いちふん」ではなく「いっぷん」なのかなど
分からないのですね。

日本人が英語を学ぶ際に
「英語の語順は主語、動詞、目的語」
「副詞は形容詞の前に置く」
「命令形は主語を抜いて原型の動詞から文を始める」など
運用のルールを学ばないといけないのと同じです。

【「いきなり先生」辞任騒ぎ】



 

最初は1人だった生徒が3人、4人と増えていき、
日本語コースを開講した翌年の一月、
爆発的に生徒が増え9人のクラス1つと6人のクラス2つを
教えることになりました。

生徒が1人や2、3人なら何とかなってきましたが、
9人となると飲み込みが早い生徒と遅い生徒がいたり、
また一番下の初級のクラスは5週間でしたが
5週間で上のクラスに上げても問題がない生徒と
10週間経っても上のクラスに上げられない生徒が出てきたりと
クラス運営がとても難しくなってきました。

かといって、日本語の教師は自分一人なので
周りの教師に助言を求めてみるも、
ドイツ語やイタリア語など似た系統の言語の教師は
ひらがなやカタカナ、漢字などを教える必要がないので
あまり参考にならず。

韓国語、中国語、アラビア語の教師は同じ時間帯に授業がないので
顔を合わせる機会がなく助言を得られませんでした。

校長に相談すると、スペイン語の教師がベテランなので
彼女から助言を得られるよう場を設けると言われたのですが、
二ヶ月経っても実現の兆しがありませんでした。

何時間もかけて授業の準備をしているのに
うまくいかない授業計画しか作ることができず、
教室で生徒の分からなさそうな顔を見ながら
毎週三回の授業をすることに耐えきれなくなりました。

ある日、校長にメールで

「経験も資格もない自分にはうまく授業が出来なくて、
生徒に申し訳ないため辞任したい。
後任が見つかるまでは続けるので、
出来るだけ早く後任を見つけて欲しい」

と伝えると、すぐに半泣きの校長から電話が来て慰留されました。

「あなたはとても良い先生だからやめないで!
本当にあなたが自分で言う通りのダメな先生なら
生徒はとっくに退学してるはず!
パートタイムの学校だから生徒はいつでも辞められるのに
それでも彼らが残ってるのはあなたの授業に満足してるからよ!」

と言われ、少し心が揺れたので一日考える時間をもらいました。

確かに欠席率が高かったとはいえ、
それまでの生徒でやめたのは一人だけだったし、
生徒は大半が社会人となると仕事も忙しいだろうし、
週1回1時間半のレッスンなので
単に面倒になりやすいというのもあるのかなとも思いました。

 

 

さらに冷静に考えてみると、
バナナファーム倉庫でのような人手仕事じゃない限り、
仕事に何らかの困難は絶対についてくるものだし、
プロでも不十分な環境でパフォーマンスをすることが多いだろう、
それでは今後いわゆるReal Jobに就いた際の練習になるのでは?
と思い直し、辞めずに続けることにしました。

結局、その騒動の後すぐにスペイン語の教師から研修を受けられ、
たくさんの役立つヒントを貰って
多人数の生徒の授業をこなせるようになっていきました。

【辞任騒動から学んだ文化の違い】

 

校長から引き止められた時に言われたことは、
私は何でも真剣に捉えすぎている、ということでした。

いくらプロであってもいつでも100%出来るわけじゃないし、
訓練を受けてないとか資格がないというのは本当だけど、
毎回学んでいってるじゃない!と。

よく考えてみれば、これが本当のOJTだったという・・・。

日本では上述の私のような状況になった時には
頑張るか、辞めるか、手の抜き方を覚えるか、ですが、
西欧圏には「不貞腐れる」というオプションがあるそうです。

自分に出来ることであればフォローをして挽回しようと
頑張ったり謝罪をしたりして何とかしようとするのですが、
フォローが不可能となると、不貞腐れて何もしないのだそうです。

「自分に出来ることはやった。
だから、今の状況は自分のせいじゃない」
と。

そして、そのまま平気で仕事を破綻させてしまうのだそうです。

私のアイルランド人の彼氏も、

「君は最善を尽くしてるんだから、
あとはもううまくいかなくても仕方ない。

自分のせいじゃないんだし、堂々としてたらいい。

授業がうまくいかないとか、色々と真剣に捉えすぎ。

その学校はフルタイムじゃなくてパートタイムなんだし、
学生ビザも出してないんだから、みんな気軽に来て、
何か楽しいアクティビティーでもして学んだ気になりたいんだよ。

本気で勉強したいなら多分フルタイムの学校に行くよ。

別に生徒の出席率が悪くても退学さえしてないんなら
生徒は在籍し続けることに文句はないわけで生徒はハッピー、
学校にお金が入り続けるわけだし学校はハッピー、
君もお給料が入るからハッピー。ほら!Win-win-win!」

…と、その時の私に以下のアドバイスをしてくれました。

これが西洋の仕事に対する考え方か、と。

その時点で海外に出て約二年半経ち、
あらかた西洋文化を知ったつもりでいましたが
毎日新しいことの勉強だと改めて感じました。

だから、この場合の私の対応は
「授業やってて上手くいかなくても、私のせいじゃない」と
傲然としておく、というのが何と正解だったようです。

日本人にはなかなか難しいですが・・・。

文句言われるかもしれないけど、
文句を言っている人も仕事に人格や能力をリンクさせないので、
そこまで気にしていないからこちらが気にする必要もないと。

 

 

【円満退社にて「いきなり先生」辞任】

 

結局、日本語教師は一年半続けたのですが、
やはりパートタイムで貯金をすることが困難だったので、
フルタイムの仕事が決まったことをきっかけに辞めました。

といっても、そのフルタイムの仕事は
校長が紹介してくれたおかげで決まったのですが・・・。

フルタイムの仕事を探していると話していた私に、
日系の会社がバイリンガルの日本人を探しているという話を
私に持ってきてくれたのです。

校長には本当に良くしてもらってばかりでした。

フルタイムの仕事が決まってからも
しばらくは掛け持ちで日本語教師の仕事も続けていたのですが、
新しい仕事が始まって二週間目に
色々あってその当時住んでいたシェアを追い出されることになり
バックパッカーに引越しか、
そうでなければホームレスになるかという状況になりました。

自分は仕事を始めたばかりで休みが取れず物件の見学に行けない、
彼氏は追い出されて気落ちしていて
動けずあてにならないという状態で、
私はストレスで発狂しそうになっていました。

そんな私の状況を知った校長が、何と

「私とパートナーは数日後から一か月間日本旅行でいないから、
その間行くところがないならタダで住んでいい。
どうせもともと誰も住まわせる予定がなかったから
家賃は自分たちで払うつもりだったし」

と申し出てくれました。

校長がその申し出をしてくれた時に
学校で話していたのですが、

「外国に住んでいると、家族から何も助けを得られないでしょう。
家族はとっても役に立つの。いっぱい助けてくれるし。
あそこにある教室にあるテーブルは、
私が子供の頃に夕食を食べていたテーブルなの。
私がこの学校を始めた時も家族はたくさん助けてくれた。
助けが必要だったら何でも言って。
あなたは家族なしで外国に住んでいて、それはとてもしんどいこと。
だから私が助けてあげる」

とニコニコと言われて、涙を堪えるのが大変でした。

その後すぐに授業があったので
泣いて顔をぐちゃぐちゃには出来ない、と思い
「ありがとう・・・」と絞り出した涙声でお礼を言うのが精一杯でした。

今でも思い出すと泣きそうになるのですが(笑)、
人ってここまでしてくれるんだ…と暖かかったです。

さすがに家賃は出すと申し出ましたし、
結局は新居が早く見つかったので
校長の家には滞在することはなかったんですが、
そうして助けを申し出てくれたことが嬉しかったです、

辞めることになった時も、
「後任の人が体調不良などで来れない時には
いつでも呼ぶから、まだこの学校の一員だから送別会はなしね!
あなたの最終日は永遠に来ないのよ!」
と言われ、
本当に人に恵まれた職場だったなと胸が温かくなりました。

今の自分があるのは、
その学校で仕事をしていたおかげだと思います。