プロフィール


菊川美代子

2012年3月に同志社大学大学院博士課程単位取得退学、2012年5月にオーストラリアへワーホリビザで渡航。
オーストラリアで2年間のワーホリ、NZで1年のワーホリを経て、現在はパートナービザ(Work Visa Based on Partnership)にてNZに滞在しています。
オーストラリアで出会ったアイリッシュのパートナーと永住権目指して奮闘中。
私のオーストラリアワーホリ体験談はこちら

→詳しいプロフィール

ご連絡はmiyoko.kikukawa★gmail.comまでどうぞ。(★を@に変えてください)

ダニーデン二泊三日の弾丸旅行

 

ニュージーランド南島にある都市、ダニーデンに2泊3日で出かけてきました。

 

 

一日目

16時前にオークランドからダニーデンに到着。

ダニーデン空港から市内までの空港バスは何と運行していないので、
何社かあるシャトルバス会社の中から選んだ

Kiwi Shuttleという会社のシャトルバス($20)に乗って
宿泊場所へと向かいました。

宿泊先はホテルやモーテルではなくAirbnbから選んだ、
住宅街のど真ん中にある小さな一軒家でした。

ホストはペットの猫と一緒に暮らしている40代くらいの女性。

家の中はとても暖かく、装飾も可愛いおうちで、
一泊$40ほどでした。

 

ホスト宅から市中心部まではバスの距離だったのですが、
私はうっかり現金を忘れてしまい、
しかも一番近いATMは2.5km先だったので
現地に住んでいる友達の車に送迎をお願いすることに・・・。

いつも私は買い物をEftposカード決済で済ませ、
バスもオークランドではAT Cardという
Pitapaのようなカードを使って払っているので
現金を使わない生活を送っていることを痛感しました。

2泊なのでさして多くもない7kgの荷物を荷解きし、
しばらくゆっくりしていると友達の車が到着したので
再会を喜びつつ市中心部へ。

一日目は市内に到着したのが18時頃だったため
夕食を友達と一緒に食べ、ホスト宅まで送ってもらって解散。

二日目

翌日は朝9時に友達に車で迎えに来てもらい、
世界一急な坂・ボールドウィンストリートに
車で登ってきました(笑)

坂の一番上には中国人の団体観光客がいて
写真を撮っていました。

 

自分達の写真撮影を自撮りで済ませ、
車で坂を下りノックス教会へ。

 

こじんまりとした教会で、5分ほどで見学終了。

内部の装飾が割と豪華だったので英国国教会所属かと思いきや
長老派だったので驚きつつ、次はオルベストン邸へ。

オルベストン邸は裕福なイギリスの貿易商が
1906-1966年にその家族と住んだ豪邸です。

入館料はツアー付きで$20で、
邸宅自体は小さいので入館はせず
無料で開放されている庭園とお土産屋のみ見学しました。

オルベストン邸の後はオタゴ大学へ。

半年ほど前にTVでオタゴ大学のCMが繰り返し流れていて
美しい歴史的建造物の校舎が映し出されていたので
楽しみにしていました。

でも、実際にはCMで映し出されていた一つの校舎だけが
歴史的な美しい建築で、しかも私が訪れた時は改修中。

それでも中には入れたので入って少しうろうろしてみましたが、
中には事務室しかなく特に何も見るべきものはなし…。

がっかりしながらオタゴ美術館へ。

オタゴ美術館は自然史博物館で、入場料は無料です。

 

オタゴ半島の歴史を学べる展示物が盛り沢山でした。

ヨーロッパからの移民の入植当時には
クジラの歯や油を取る捕鯨産業が
ダニーデンの主要産業であったことを知れて面白かったです。

クジラの歯で作られたクジラの彫刻

 

次はEmersonというビール工場の見学へ。

私はお酒を飲まないのですが、
工場見学には興味があるで一度見てみたかったのと
友人はお酒が大好きなので(笑)

飛び込みで$29でツアーの予約をしましたが、
私と友人の二人しかツアー客はいませんでした。

ビール工場見学中に、
ガイドさんから日本のキリンが親会社だと聞いて驚きました。

日本のマーケット開拓を狙っているのだそうです。

製造は100%ダニーデンで、
日本からの原材料は仕入れていないようなので
安心しました。

見学終了時にビールの試飲をさせてもらえます。

 

この試飲ボックスは見学終了時に渡してもらえて、
それを備え付けのバーに持って行って飲めますので
急いで飲まないといけないというのがなくてよかったです。

という訳で併設されているバーで食べ物を注文して、
そこでランチに。

私は下戸なので少し飲んだら気持ち悪くなってダウンしましたが
友人は私も分も飲んでくれて喜んでくれたので良かったです(笑)

その次は友人おすすめのOp Shop(古着屋)二件へ。

可愛い冬物のニットとカラーパンツ、
鞄を安い値段で買えて満足しました。

その時点で17時を回っていて、
気が付けば朝9時から一日中観光して疲れていたので
タイ料理屋で持ち帰りの料理を注文して
ホスト宅に帰ってくつろぎながら食べて、
シャワーを浴びてすぐ寝ました。

三日目

朝9時にホスト宅からチェックアウトした後は
バスで市中心部の友人宅へ。

バス停でバスを待っていると
地元のお爺さんが気さくに話しかけてきて
オークランドより人との距離が近い気がしました。

友人宅は市中心部という便利な立地の上に
元ホテルをアパートにしたという豪華な作りで、
部屋も広いのにオークランドよりはるかに安い家賃だったので
オークランドからいつかは引っ越そうという決意が
ますます固くなりました。

この日は友人に用事があり忙しかったので
基本的に徒歩での一人観光でした。

まずはFirst Church of Otagoへ。

ダニーデンに最初に建てられた教会です。

残念ながら改修中で中に入れず、
Heritage Roomという部屋が見学者用に設けられていましたが
そこの開室時間が10時からで、
その部屋も小さくてあまり大した展示物はなさそうだったのと、
私が着いたのが9時50分だったので
外から教会を眺めて写真を撮っただけで去りました。

 

 

次はSt. Paul’s Cathedralへ。

とても大きな教会で、元神学研究科としては色々と興味深く、
1時間弱いたかもしれません。

 

オルガンが印象的な所でした。

 

そしていよいよ、この旅で一番の目当てだった
Otago Settlers Museumへ。

 

 

この博物館はダニーデンへの移民に焦点を当てたものです。

何年代にどこの国から移民がたくさん来たか、
どうして特定の時期に移民が押し寄せたか、
入植当時の移民が住んでいた家の復元セットなどが
展示されています。

ダニーデンにはスコットランドからの移民が多いのですが、
特にハイランドという地方からの移民が多いそうです。

町中にも一件スコティッシュショップがあり、
今でもスコットランド移民の息遣いを感じました。

景気が悪化し住民の飲酒と薬物の問題が深刻になった時代に
プロテスタントの教派は禁酒運動を支援したけれども
カトリック教会は支援しなかったという展示は
なるほどと特に興味深かったです。

お酒を醸造していたのも、酒屋を営んでいたのも
主にカトリックを信仰していたアイルランド移民であったため、
カトリック教会が禁酒運動を支援すると
信徒の食い扶持を奪ってしまうことになりますし、
信徒からの反発も免れませんからね…。

やはりアイルランドにはDrinking Cultureがあるのだなと
私の配偶者のアイルランド人を思い描きながら
その展示を眺めていました(笑)

12時半に博物館見学を中断して、
予約していたCudburyのチョコレート工場見学ツアーへ。

食品衛生が厳しいようで工場内部には入れず、試食は一回のみで、
主に見学用の部屋を回って
スーパーでも買える既製品を手渡してもらうというものだったので
一回行けばもういいかな…という感じでした。

Bookmeというサイトで正規料金より少し安い$23で参加したし、
もらった商品をスーパーで買うと15ドル程という感じでしょうか。

このチョコレート工場は大赤字で
来年の三月に閉鎖されるそうなので、
それならと参加を申し込んだツアーでした。

ツアー自体は個人的にはいまいちでしたが、
ツアーが始まるまでの待ち時間に
Cudburyの歴史を簡単に紹介している大きなコーナーがあり
そこでCudbury社の面白い歴史を学べたのは良かったです。

 

Cadbury社の創業者一族はクエーカー教徒だったので
戦争反対であったこと、
兵隊に召集された従業員のポジションを
そのまま空けておいたこと、
亡くなった従業員の妻と障害を負って帰還した従業員に
年金を払い続けたことなどは全く知らなかったので
「従業員を大切にする、何ていい会社だろう」と感動しました。

 

 

ツアー後はその辺のカフェで軽く昼食を取り、
再びOtago Settler Museumへ向かい
ツアー前に見切れなかった展示を見ました。

 

16時15分~30分にダニーデン駅で
空港へ向かうシャトルバスに拾ってもらう予定だったので、
16時に博物館から歩いて5分ほどのダニーデン駅へ。


 

世界中で最も美しい駅12選に入っているだけあって
美しい駅でした。

外観と待合室、ホームを見学していると
シャトルバスが来たので乗り込み、空港へ。

2泊3日という短い期間の中でかなり詰め込んだ日程でしたが
行ったことがない街に行くのはいつも本当に楽しいです。

オークランドは不動産バブルで家賃が高く
キリがいい所で引っ越したいなと思っているので
旅行がてら次に住むかもしれない街を下見しています。

ダニーデンは町が小さすぎず住みやすそうでしたが、
やはり人口がそう多くないため
(とはいってもニュージーランドで五番目ですが、
何しろこの国の人口は少ないので…)
仕事がなかなかないとのことでした。

そのため、若者はオーストラリアやオークランドへ
働きに行ってしまうのだとか。

また、友人と街にいると友人の友人や知り合いに頻繁に出会ったので
数人辿ればほとんどの人が知り合いや親戚に当たるようなので、
友人も作りやすそうなので良さそうだと思いました。

やはり小さい町に住むとなるとなかなか仕事がないのがネックですが、
仕事さえ見つかれば不動産価格はオークランドに比べて安いし、
快適に暮らせそうな気がします。

ニュージーランドワークビザポリシーの変更

 

ニュージーランドのワークビザ取得は比較的簡単だったのですが、
本日移民局から発表があり、ハードルが上がってしまいました。

移民局本体のHPも見てみましたが、
まだこの変更について何も記載がされていないようなので
一番詳しいNew Zealand Heraldの記事内容をシェアします。

記事には移民政策が選挙の争点であること等が書かれていますが、
それはともかく肝心の変更点を抜き出してまとめてみます。

 

1 年収49000NZD以上の職に就いていない移民は
  高技能労働者と認めない
  (49000NZDはニュージーランドの平均年収)

2 年収が49000NZD以下の低技能労働者は
  その職を永住権申請の際にポイントとして数えられなくなる。

3 平均年収の49000NZDより1.5倍高い年収の
  73299NZDの職に就いている、
  技能職とは現在みなされていないが高収入の移民は
  高技能職と今後みなされる。
  年収73299NZD以上の移民は自動的に高技能とみなされる。

4 永住権申請者は技能職でないとみなされる職でも
  ポイントとして数え、永住権を申請できる。
  ただし、上記の収入要件を満たしていなければならない。

5 低技能職かつ低収入のEssential Skills visa保持者には
  新たに最大3年のビザが与えられる。
  その後、ワークビザ更新前に最低限の休止期間が適用される。

6 ワークビザ保持者の配偶者とその子供への要件の厳格化。
  現在、配偶者はワークビザ、また子供はビジタービザで
  ニュージーランドの学校に地元の生徒として出席できている。
  この変更により、配偶者と子供はビジター扱いとなり、
  自分自身で要件を満たした場合のみワークビザを取得できる。
 
7 季節労働のビザの期間は現在のように一律12ヶ月ではなく
  繁忙期の需要と合った長さにするよう万全を尽くす。

 

 

移民局の担当者によれば、
これらの変更点により移民の質が高まり
バランスが取れるのだそうですが、
どうなるのでしょうかね…。

 

 

【各項目について】

1 年収49000NZD以上の職に就いていない移民は
  高技能労働者と認めない
  (49000NZDはニュージーランドの平均年収)

2 年収が49000NZD以下の低技能労働者は
  その職を永住権申請の際にポイントとして数えられなくなる。

3 平均年収の49000NZDより1.5倍高い年収の
  73299NZDの職に就いている、
  技能職とは現在みなされていないが高収入の移民は
  高技能職と今後みなされる。
  年収73299NZD以上の移民は自動的に高技能とみなされる。

4 永住権申請者は技能職でないとみなされる職でも
  ポイントとして数え、永住権を申請できる。
  ただし、上記の収入要件を満たしていなければならない。

アジア系の移民は同じくアジア系の会社で働いていることが多く、
そして大多数のアジア系の会社はお給料が低いので
アジア系移民にとってはかなりハードルが上がりそうです。

年収49000NZDは時給に直すと
49000NZD÷52週÷40時間=23.55NZDです。

ただ、職種によっては週の労働時間が50時間だったりするので
時給換算にはバラつきがあると思います。

例えば私の彼の仕事は大工ですが、
契約書で決められている週あたりの労働時間は
1日10時間×週5日の50時間なので、
49000NZD÷52週÷50時間=18.84NZDとなります。

5 低技能職かつ低収入のEssential Skills visa保持者には
  新たに最大3年のビザが与えられる。
  その後、ワークビザ更新前に最低限の休止期間が適用される。

何年のワークビザが出るかは移民局のさじ加減なのですが、
自分の周りを見ていると低技能の仕事だと1年、
高技能の仕事だと2-3年のワークビザが出ているようです。

それが、低技能でも最大3年のビザが出るようになると。

ただ、連続でのワークビザ更新は不可能で
休止期間を間に挟まないといけなくなるそうで、
それがどれほどの長さなのかによって
状況がかなり違ってくると思います。

休止期間が一か月など短期であれば
お隣のオーストラリアに格安航空券で飛んで旅行をしたり
東南アジア旅行などで楽しめます。

しかし、半年や一年、それ以上となると
いったん母国に戻らないといけないでしょうし、
その度に母国への航空券を買わないといけないとなると
経済的な負担が大きいです…。

母国に戻ってしばらくそちらで働き
休止期間が終わったらまた戻ってくるようにする、
などでしょうか。

6 ワークビザ保持者の配偶者とその子供への要件の厳格化。
  現在、配偶者はワークビザ、また子供はビジタービザで
  ニュージーランドの学校に地元の生徒として出席できている。
  この変更により、配偶者と子供はビジター扱いとなり、
  自分自身で要件を満たした場合のみワークビザを取得できる。

 
これは個人的にはかなり厳しい変更です。

私はワークビザ保持者の彼の配偶者として
2020年2月まで有効な3年のワークビザを先月取りました。

以前のワークビザの有効期限が3月中旬だったので
たまたまそれ以前に申請を行いましたが、
もしその有効期限が5月や6月などで
ワークビザの申請を本日以降に行っていたとしたら
ビジタービザしか取れず、
働ける権利をいきなり失うところでした…。

7 季節労働のビザの期間は現在のように一律12ヶ月ではなく
  繁忙期の需要と合った長さにするよう万全を尽くす。

季節労働者のビザの有効期間が縮まりそうですね。

シーズンにしかビザを出さないという感じになりそうです。

よほどお給料が良いというのでなければ、
1年未満の仕事のために外国まで来たい人がどれほどいるか
個人的には疑問です。

この変更により、あと3年以内に彼が永住権を取れなければ
私は物価の高いこの国で働ける権利を失ってしまいます。

あるいは、この国で技能職とみなされている秘書として
今までのところ1年半の職歴を積んだので、
引き続き秘書として1年半働いて合計3年の職歴を積み
ワークビザを申請できる要件を満たし
49000NZD以上の年収をオファーしてくれる
ビザのスポンサーを探して、スポンサーしてもらうか。

配偶者にも技能が要求されるようになるとは…。

しかし、道は狭くなったけれども、まだ閉ざされてはいません。

国際結婚暦2年の経験者が語る国際結婚の現実

 

国際結婚は苦労するだけだから止めた方がいい、
とまことしやかに言われていますが
果たしてそれは本当でしょうか?

国際結婚は離婚率が高い、文化の違いが大変、
食の好みが合わなくて辛い、
好きな気持ちが落ち着いて現実が見えると苦労ばかり、など。

確かに苦労は多いのは間違いないです。

 

 

うちの場合は彼が日本語を一切話さないので、
私が常に第二言語の英語で話さないといけません。

彼の主食はじゃがいもで、私の主食はお米。

滅多に魚を食べない国出身の彼と
頻繁に魚を食べる国出身の私。

母国の福祉が充実しているので貯金の必要がなく
貯金する習慣がない彼と、
貯金がないと野垂れ死に一直線の国出身で
貯金に熱心な私。

彼にとっては人前でのスキンシップは当たり前で、
自分の手が振り払われるのは
自分が相手から恥ずかしく思われているということ。

私にとっては人前でのスキンシップは恥ずかしいもので、
私への敬意に欠けると感じること。

母国が別々なので、帰省の費用がとにかくかかること。

このような「現実」は挙げていけばきりがありません。

 

 

正直、「彼が日本人だったらもっと楽なのに」
何度も思いました。

特に付き合いたての頃は喧嘩が多く、
またお互いの考え方や違いに衝撃を受けました。

 

 

アイルランド文化では飲酒が付き物で、
付き合い始めた当初彼の飲酒量とお酒への散財に
「もしかしてアルコール中毒なの?」と尋ねた私に
「俺がアメリカ人ならアルコール中毒だろうけど、
ただアイルランド人なだけ」
と笑顔で答えられた
ことは今でも忘れられません。

英語では相手が話し終わるのを待たずに
自分が話し始めるのが普通
なので、
日本人的な「相手の話を取ってはいけない」というマナーを守っていると
会話でいつまでも自分が話せる番が来なかったり。

「相手がちゃんと話し終わるまで待って!」と抗議すると
「えっ、『この人話し終わったな』ってどうやって分かるの?」と
真面目に聞かれ
戸惑ったりしました。

私が料理担当でお米のご飯がしばらく続いた時、
彼が寝言で「じゃがいも・・・」と言い
口をモグモグさせていて申し訳なく思ったこともあります。

今では付き合って4年半、事実婚をしてから2年経ち
お互いのことが分かるようになったので
文化の違いから来る衝撃や喧嘩はほぼなくなりました。

育った文化や習慣の違いを超えて信用できて、
一緒にいて楽な相手なので本当に貴重です。

いくら文化や習慣、言葉が違っても
お互いがその人との関係性を諦めず、
根気強く話し合っていけば妥協点を見出せるのだ、と。

今でも彼を「これだから○○人は・・・」と
色眼鏡で見てしまいそうになったりしますが、
文化も習慣も言葉も違っても、
結局は「目の前にいる人が良い人なのかどうか」
ということに尽きるということを
体感として学べたのは本当に良い経験でした。

私は配偶者がたまたまアイルランド人だっただけで
最初から国際結婚を目指していたわけではありません。

相手との相性は二の次で、
とにかく国際結婚を目的にして結婚した場合は
しんどくなるかと思います。

もちろん、相手を愛して結婚したとしても、
やはり乗り越えられない違いが存在して
現実的に別れを選ばざるをえない場合もあるかもしれません。

それでも、苦労してでも一緒にいたいと思える人と
巡り合えた幸運に私は感謝しています

国際恋愛4年半の経験者が語る英語の必要性

 

「国際恋愛をするには英語を話せないといけない!」と
思われているかもしれませんが、場合によります。

日本で出会ったのであれば相手が日本語に既に堪能であったり、
外国で出会ったとしても、
昔日本に住んでいたなどの理由で
日本語を話せる場合がありますので。

それ以外の場合で、相手が英語しか話せない、
というのであれば英語は必須
です。

相手に日本語を学ぶ気があれば別ですが、
語学の上達には時間がかかるので、
相手の日本語が流暢になるまでやはり英語が必要です。

そして、残念なことに英語の母語話者の多数派は
英語以外話せないですし、
他の言語を習おうとする人自体が滅多にいません。

どの国の人でも英語を勉強して当然、
自分には英語を話してくるのが当然、
英語を話せない人間はバカだ、と思っている人すらいます。

そういう考えの人が国際恋愛の相手であったら、
英語は必須といえるでしょう。

私が昔ニュージーランドの接客業でバイトをしていた時、
イギリス人の中年男性のお客さんがグループで来たのですが、

「この間ベトナムに旅行に行って、
現地でベトナム人に道を聞いても
全然英語を理解しなくて答えられない。
腹が立つから、Are your stupid?(お前はバカか?)と
そいつに言ってやったよ、わはは」

などと馬鹿にして笑いながら話している人がいました。

それを聞いて諌めるでもなく、
一緒に笑っている他の中年男性達。

その時お店では私と、
もう一人スウェーデン人の女の子が働いていたのですが、
その子にもその発言が聞こえて
“A**hole!”とその子は怒っていました。

 

同じ西洋の人でもイタリア人やフランス人など
英語が母語でない国の人たちは
彼女が日本人などの国際恋愛の場合、
彼女の母語を頑張って勉強してくれる男性が少なくないようです。

オーストラリアでイタリア人男性のシェアメイトに
「私の彼は日本語を勉強してくれない」と話すと、
「英語が母語の奴らは皆そうだ。
あいつらは作るご飯も不味いしBastardだよ」

忌々しそうに吐き捨てていました(笑)

私の彼にも日本語を習って欲しいと
付き合い始めて最初の二年ほどは言い続けていましたが、

「俺は日本にこれからも住まないし、
日本経済も落ち目で習得してもメリットはない。

日本語を学ぶくらいなら中国語を学ぶ。

それに君は英語を話すので
君と話すためには日本語を学ぶ必要はない。」

という主張を曲げません。

「言葉は文化と密接に関連しているので
日本語を学ぶというのは私の考えや行動様式の
文化的背景を理解することでもある、
パートナーの文化を理解したいと思わないのか?」

と私も言い返すのですが、
彼の心には響かないようですので、私はもう諦めました。

日本人の私と付き合って4年半が経過しても、
彼が話せる日本語は

「いただきます」
「マクドナルド大好きです!」
「ありがとう」
「どういたしまして」

のみ。

「マクドナルド大好きです!」は
私がシドニーで語学学校のIELTSクラスに通っていた頃の
担任の先生とプライベートでばったり出会った時に
一緒に食事をすることになり、その先生から教わったものです。

その先生は日本に英語教師として長年住んでいた経験があり、
「これさえ覚えれば日本人にバカウケさ!」
「マクドナルド大好きです!」を彼に教えたのでした。

ちなみに、その先生も国際恋愛から国際結婚で、
相手の奥さんは日本人なのに日本語は
多くない数の単語しか知らないような状態です。

彼女が日本人だ、と言うたびに
「じゃああなたも日本語を話せるのか?」と
彼は色んな人からいつも聞かれていて、
「あ、僕は全然・・・」と気まずそうにモゴモゴと返事し、
「どうして!?」と驚かれているのを見て
「いい気味」と思う私は性格が悪いのかもしれません(笑)

2度目のニュージーランドパートナービザ取得成功談

 

私のWork Visa based on Partnershipが新しく三年分出たので、
その顛末をシェアします。

前回の私のWork Visa based on Partnership取得の経緯は
こちらの記事で書きました。

前回は持病が災いして審査に三ヶ月かかってしまいましたが、
今回は四週間で審査が終わりました。

提出書類

共通の友人に二人宛に書いてもらったカード

 

今回提出した書類は以下です。

 

・ビザ申請フォーム(INZ1198)
・日本からの警察証明書
・彼との共同銀行口座のステートメント
・彼と私両方の名前が載っている電気代の請求書
・彼と私両方の名前が載っている水道代の請求書
・彼と私両方の名前で契約している借家の契約書
・一緒に出かけた旅行の確認書
 (航空券やバスの券、宿泊確認書など)
・二人で一緒に撮った写真5枚ほど 
・共通の友人に二人宛に書いてもらったカード

 

 

・ビザ申請フォーム(INZ1198)

Partnership-based Temporary Visa Guide(INZ1199)に従って
ただ埋めていけば良いだけです。

パスポートサイズの写真を2枚貼り付けする必要があります。

・日本からの警察証明書

前回のビザ申請時から二年以内だと
日本からの警察証明書は不要なのですが、
二年経つか経たないか微妙なところだったので
念のため提出しておきました。

オンラインからの予約制で、
予約をした日時に領事館に出向いて申請書類を記入し、
指紋を採取してもらいます。

その際にはパスポートだけではなく、
記入が終わった申請書を顔写真も張り付けた状態で持参しないと

日本からの警察証明書は、
日本国内からだと一週間ほどで取得できるらしいのですが
国外からだと二ヶ月かかるので
早めに申請することをお勧めします。

・彼との共同銀行口座のステートメント

彼のパートナーとして二年前にワークビザを申請したので、
今回出した彼との関係性の証拠は全て直近二年分のものでした。

前回提出した証拠は移民局の記録に残っているはずなので。

さて、この書類はというと、
二人の経済的な繋がりを示すための証明です。

 

 

共同銀行口座なのに銀行のミスで途中一年ほど
ステートメント上から私の名前が消えていました
が、
私の個人口座とのやり取りが頻繁にあったため
経済的な繋がりが証明できました。

自分の個人口座の最新のステートメントも提出し、
共同口座のステートメントのtransactionのうち
私の個人口座との取引に蛍光のマーカーを引きました。

自分が後から見返した時に分かるように
共同口座に振り込むたびに
“miyoko rent”, “miyoko electricity bill”など
descriptionに書いていたのも良かったのかもしれません。

・彼と私両方の名前が載っている電気代の請求書
・彼と私両方の名前が載っている水道代の請求書
・彼と私両方の名前で契約している借家の契約書
・一緒に出かけた旅行の確認書
 (二人の名前が載っている航空券やバスの券、宿泊確認書など)
・二人で一緒に撮った写真5枚 
・共通の友人に二人宛に書いてもらったカード

 

水道代の請求書は二か月分欠けていましたが、
共同の銀行口座のステートメントや
電気代の請求書は毎月分あったので
問題がなかったようです。

光熱費の請求書や借家の契約書は、
二人が同じ場所に住んでいるという証明です。

写真はそんなに枚数は必要ないという情報を耳にしたので
昨年10月と12月の旅行で撮った写真5枚だけにしました。

・その他

健康診断は、前回のビザ申請時に受けた日から
ビザ申請提出日まで3年以内なら必要なしだったので
提出不要でした。

しかし、胸部X線は前回のビザ申請時に受けた日から
ビザ申請提出日まで2年以上であれば必要なので
X線のみ今回は受けました。

 

 

胸部X線は、移民局に登録されているパネルドクターに行って
受けなければいけません。

パネルドクターに予約を入れ、
当日受付にてパスポートを提示します。

それからX線を受ける前にフォームを渡されるので、
それに氏名や生年月日、住所などの情報を埋めて返せば
後は受診後にパネルドクターが移民局に
診断結果を直接提出してくれます。

昨年からこうなったようで、
前回申請時のように移民局に胸部X線のフォームを
記入して提出しなくても良くなっていました。

値段はパネルドクターによりまちまちですが、
私が受けた所では$85でした。

このビザの申請料は$318でした。

前回は銀行から小切手を発行してもらいましたが、
発行手数料が$5ほどかかったのと、
銀行に行く手間が面倒なので、
今回はクレジットカードにて決済することに。

現在はオンラインにて申請が可能となっているビザも
増えてきているようですが、
私が申請したビザはオンラインでは申請できませんでした。

 

 

申請受理からビザが下りるまで

 

ビザの申請はAuckland Centralにある移民局に出向き、
その中にあるポストに上記の書類を投函するだけで
あっけなく終了しました。

翌日に移民局から、
「申請フォームの一部が記入されていないので
二日後までに記入して提出してほしい」というメールがあり、
私が記入し忘れた箇所のスキャン画像が添付されていました。

自分の注意力不足を呪いつつ、
その日のうちに早速印刷して記入し、スキャンしてメールで提出。

その二日後に
「あなたの申請書を支局にて受け付けました」という
自動メールが届き、
クレジットカードの引き落とし履歴を見ると
その日に移民局から$315が引き落とされていました。

移民局のHPによれば、
現在のワークビザの平均審査期間は5週間です。

私は諸事情から
ビザの有効期限が切れる一か月ほど前に申請したので
結局審査中に以前のビザが切れました。

ビザが切れるちょうど一週間前の深夜に
移民局から自動メールが届き、
そこには私にInterim Visaが発行されたこと、
私のInterim Visaの条件はOpen work visaなので
引き続き合法的にニュージーランドで働けること、
Interim Visaの有効期限は半年間か、
あるいはビザの申請結果が出るまでと書いてありました。

以前のビザから同じビザに申請する場合は、
Interim Visaでもそのビザを持っているのと
同じ条件で滞在できます。

私の場合はWork Visa based on Partnershipから
Work Visa based on Partnershipでした。

これがWork Visa (Employee Specific)から
Work Visa based on Partnershipや、
Student Visaなどの違う種類のビザだと
Interim Visaの間の条件がVisitorになってしまって
働ける権利がその間ないので大変不便です。

私は前回のワーキングホリデービザから
Work Visa based on Partnership申請時に
3か月間Interim Visaとなり
その間は働けず専業主婦状態でした…。

以前のビザ申請時に三か月もかかったのは
持病で引っかかったからで、
今回もそうなるか結構恐れていたのですが、
結果としては引っかからなかったようです。

前回受けた健康診断から
今回のビザ申請時まで三年以内であれば健康診断は免除、
ということなので、
今回は前回のように移民局外部の医療アドバイザーの助言が
求められなかったのだと思われます。

前回のビザ申請時の「この申請者の持病は問題ない」という
2年前の医療アドバイザーの助言がまだ有効であったようです。

被曝を気にする「放射脳」は非科学的か?

 
福島第一原発事故以降、
被曝を気にする人を「放射脳」と呼び馬鹿にする風潮があります。

これまで環境になかったものが追加され、
危険性が未知であるものを気にすると
「過剰反応」や「神経質」等と笑われるか責められるのが
日本の状況です。

この記事では、「放射脳」という言葉の起源について
取り上げてみます。

まず、「放射脳」という言葉が
現代日本でどのような定義で使われているのか?と
Google日本で検索してみました。

色々な定義が出てきましたが、
要は東日本大震災と福島第一原発事故の被災地と被災者に対し
根拠のない誹謗中傷を行う人々だということのようです。

つまり、放射能が漏れはしたが安全なはずで、
それでも危険だ被曝だというのは非科学的であり、
被災地にとり風評被害であると。

それでは、過去に他国で起こった原発事故では
政府と住民はどのように対応したのでしょうか?

「放射能恐怖症(Radiophobia)」の出現

1986年に現在で言えばウクライナのキエフ
プリピャチにあるチェルノブイリ原子力発電所事故が起きました。

1992年に各国に正式に採用された
国際原子力事象評価尺度 (INES)によれば、
チェルノブイリ原発事故は最悪のレベル7(深刻な事故)に
分類されました。

チェルノブイリ事故後のソビエト連邦でも、
同じように放射能を怖がる人を
“radiophobia(放射線/放射能恐怖症)”と
揶揄する風潮がありました。

 

広河隆一『チェルノブイリ報告』(岩波書店、1991年)には
以下のような報告があります。

 

「放射能恐怖症という言葉を、私はこのとき初めて知ったのだ。しかし注意すると、当時は一般的に原発について警鐘を鳴らしていると見られる人でさえ、この言葉を口にするのに何度も出会ったのである。『プラウダ』科学部長のグーバレフもそうである。
しかしそれから一年半後の九〇年七月の取材では大きな変化があった。ウクライナ政府チェルノブイリ担当副大臣のセルデュクは、「もう放射能恐怖症神話はなくなったと考えていいのですか」という問いに、次のように答える。
「もちろんです。放射能の人体への影響にたいする危惧は現実のものとなったのです。いま直ちに目に見える影響はなくても、私たちは、汚染地域に住む住民たちの将来の危険性について絶えず注意を払う必要があります。医者の仕事は治療することであって、人々が無知だとあざ笑うことではありません。私たち医療政策に従事する者は、キエフ及びその一帯の病気の増加数と、全国の増加数とな関連を調べ、チェルノブリ事故がその増加にどのようにかかわったかを把握しなければならないのです」しかし事故による放射能被害を軽視する人に特徴的なことは、実際に放射能があらゆる病気の原因になることを無視し、病気を放射能恐怖症のせいにしてしまうことだ。」(191頁)

 

反原発の人々ですら事故後2年ほどは放射能恐怖症として
被曝を心配する人々を揶揄していたのに、
一転して4年後には健康被害が明らかになり、
政府高官すらも放射能による健康被害を認めていたことが
分かります。

この恐怖症について、
UNSCEAR(原子放射線の影響に関する国連科学委員会)は
2002年に以下のように報告しています(513頁)。

United Nations (2000). Sources and Efffects of Ionizing Radiation- United Nations Scientific Committee on the Effects of Atomic Radiation UNSCEAR 2000 Report to the General Assembly, with Science Annexes”, Volume Ⅱ:Effects. (accessed 2017-03-15)

 

「子どもたちを放射能から守る科学者ネットワーク」のFBページのノートに日本語訳がありましたので、
そこから拝借した日本語訳を以下に引用します。

 

「384. チェルノブイリ事故に関する多くの様相が人々に心理障害、ストレスおよび不安を引き起こしているとされてきた。移住、食品供給の変化および個人と家族の行動への制限を含む被ばく量を限定する意図での対策が取られて以来、事故は汚染地域内に住む人々の生活に長期的変化を起こした。これらの変化は、被害を受けた国々においては、ソ連邦の解体によってもたらされた重大な経済、社会および政治的な変化が同時に起こった。このような心理的な反応は放射線被ばくによってではなく、おそらく全体として事故を巡る社会的要因に関連する。

385.個人および家族の移住の意思決定は、しばしば高度に複雑かつ困難なものであった。人々は不安を感じ、科学的、医学的、政治的権威への信頼の欠如はその人々に自らが自制心を失ったと考えさせた。リスクを説明し、人々をなだめようと試みた専門家は、そのリスクを否定し、それ故に不信と不安を強化すると受け取られた。

386. 環境汚染は、当初なされたように放射線恐怖症(radiophobia)とみなされるべきではなく、現実の、目に見えない、定量化も所在を突き止めることも困難な脅威とみなされるべき幅広い不安を生み出した。人々がリスクを把握するやり方の鍵となるのが、リスクに対して人々が行使できるコントロールの度合いである。一旦汚染地域で生活を続ける人々のQOLを改善するために対策が取られれば、多分住民と地方行政とのより良い協力のお陰で、社会的信頼の風潮は改善する。」(強調原文)

 

ここから、放射線恐怖症の人々、つまり「放射脳」は
その人々の非科学性、無知などによるのではなく
社会的要因により発生したことが分かります。

何かを危険だと怖がっている人に同意はできなくても、
どうしてそう思うに感じるに至ったのかなど話を聞くのではなく、
頭ごなしに「お前の考えは間違いだ、絶対安全だ」と言われて、
「そうだな、考えを改めよう」と思う人がどれだけいるでしょうか?

余計に心を閉ざしてかたくなになるのは
簡単に想像できるでしょう。

海外に逃げた「放射脳」は語る

私個人の経験で言えば、関西に住んでいたこともあり、
日本政府がきちんと対策を取れば
そのまま日本に住み続けていたかもしれません。

汚染地域の住民に、国の負担で安全な地域に移住してもらう、
汚染地域で農作物を作るのを禁止する、
汚染地域からの物流を止める、
農作物と加工品を定期的に全量検査する、
事故の深刻さを認めて他国政府に技術援助を求め、
海洋への汚染水流出を止めることにきちんと注力する、など。

しかし実際の対応は全くの正反対で
汚染は全く認めない、認めても健康には問題がないと言う、
検査はほぼザルで、汚染地域からの物流も止まらず
日本全国うっすらと少しずつ広がっている状態。

被曝を防ぐことなどとてもできそうにありません。

このような状態なら、被曝を逃れるには
できるだけ事故現場から遠い所に行くしかないと考えるのは
はたして非論理的でしょうか?

これまで環境中に存在しなかった人口の放射性物質、
体にどんな長期的影響があるかが未知の物質、
安全か危険かが分からないものが環境中に放出されたのに
それを「安全だ」とみなすことは論理的なのでしょうか?

もし危険だったら?
そう考えて恐れるのは非科学的でしょうか?

 

 

先ほど引用した「子どもたちを放射能から守る科学者ネットワーク」の
FBページのノートの末尾には以下の説明が書かれています。

「放射線恐怖症(radiophobia)という言葉は、放射線被ばくに対する「過剰」な不安を示す状況を表すネガティブなニュアンスを含む言葉です。医学用語としてのanxiety(不安症/不安神経症)、および日常語としてのanxiety(不安/懸念)に基づく2つの使われ方があると想像されます。いずれにせよ、放射線の安全に何らかの懸念なり不安なりを抱くこと自体はある意味で自然なことであり、恐怖症あるいはphobiaという言葉/ラベルについては、専門家の診断に基づく「病的」な症状がない場合、あるいは極度に過剰な不安があるという共通了解がない場合には使用を慎むべきと考えられます。」

英語を使う時に心がけると良い、たった1つのポイント

 

「何を言っているか分からない」と言われてもめげない
・・・ということに尽きます。

 

 

頑張って一生懸命頭の中で考えてひねり出した英文なのに、
「えっ?」と聞き返された
「意味が理解できない」と言われたら怯んでしまいますよね。

「せっかく頑張っているのに・・・」と
英語を話すのが一気に嫌になってしまったり。

しかし、ここで怯まずに、
違う表現や言い回しで伝わるまで伝えようとするか否かが
英語力が上達するか否かの分水嶺です。

シドニーやオークランドなどの都会のエリアでは、
非英語圏出身の人間がたくさんいます。

小さい頃に親に連れられて移民してきた人、
留学生や、ワーキングホリデービザで来ている人や、
ニュージーランド人の配偶者として住んでいる人など
様々な人がいます。

そういう人達は外国語を使うことが
どれほど難しいかを知っている人達です。

だから、英語が不得意な人を見ても
よほど意地悪な人でなければ
「まだ英語がうまくないのだな」と暖かく見守ってくれます。

英語が下手だからと言って嫌な顔をしたり
邪険にしたりなどしてきません。

また、都市部に住むニュージーランド人は
英語が母語でない非英語圏出身の人達と話すのに慣れていて
英語が下手な人に嫌な態度を取る人はとても少ないです。

ですので、意味を分かってもらえず聞き返されたとしても、
違う表現や言い回しで伝えようとすると
ちゃんと待ってくれて、最大限理解しようとしてくれます。

そして、大抵の場合は理解してくれた後に
自分の語彙が足りなくて回りくどくなっていた表現を
「こういうこと?」と、あっけないほど簡単な英文で
要約してくれます。

その要約してくれた文章がまた勉強になります。

私はシドニーに住み始めてすぐ、
「どんな仕事を探すの?」とオーストラリア人に聞かれて
「どんな仕事でもいい」と答えたかったのですが
それを英語でどう言うかが分からないことがありました。

「ええと、手に職がないから技能のある仕事はできないし、
家から近くても遠くてもいいし、・・・」などと
長文でモゴモゴ言っていると、
話していたそのオーストラリア人に
「“Any job is fine!”ね!」と言われ、
「なるほど、そう言うのか!」とすごく納得しました。

こういうことの積み重ねが私の英語表現の幅を
間違いなく広げてくれました。

一度で分かってもらえなかったからと諦めてしまうと、
このような機会を得られないのでとてももったいないです。

海外移住は「失敗」する方が難しい

 

海外移住には挑戦してみたいけれども、
失敗したら取り返しが付かないのではないか?

と考える人が多いのではないでしょうか?

現地で仕事が見つからなかったら、
貯金を大量に失って終わるのでは?

永住権を取れなければ、何年もの徒労に終わるのではないか?

英語が話せなければ外国には住めないのでは?

・・・考えれば考えるほど不安になりますよね。

それでは、そもそも「海外移住に失敗する」ということの定義
何なのでしょうか。

個人的には、
「自分の人生を幸せにするものを何も得られない」
というのが失敗だと思います。

抽象的ですが・・・。

失敗例としてパッと思いつくのは、
例えば以下のようなケースです。

 

日本人ばかりと過ごして、
行く場所も日本食レストランや日本語が通じる場所ばかりで
語学的収穫が得られなかった。

言葉に自信がないあまり対人恐怖症のようになり、
部屋に引きこもってしまい人間関係を作れなかった。

正直、これくらいしか浮かびません。

というのも、失敗する方が難しいと私は思うからです。

海外移住を失敗する「難しさ」

永住権を取れなくとも、私のように放射能が理由の海外避難の人間には、
被爆防御という観点から考えると
海外に長期間いるというだけで体には大変な保養となります。

また、言葉がそうできなくとも、
「現地の言語が不得手でも
外国でたくましく生き延びることができた」と
自分に自信がつきます。

いったん「言葉ができなくても別に外国で生きていける」と分かると
外国に住むことへの精神的なバリアが外れて、
日本に住むことが選択肢の一つでしかないことに気づけます。

また、英語ができない自分の話を忍耐強く聞いてくれる
他人の優しさに感動し、
また日本よりも人との距離が近いので色んな人が話しかけてきて、
「人間は暖かいのだなあ」としみじみ感じることができます。

 

貯金を大量に失ったとしても、
残業に日々追われて有給もなかなか取れないような
労働環境から抜け出せ、
日本をいったん外から見ることができます。

現地で仕事が見つからなくても1000件ほど応募をし続ければ、
「現地で1000件の求人に応募しました」と
日本での就職の際に武勇伝のようにすることができます
(例え仕事をもらえなかったとしても、
落ち続けても1000件応募できる根性があると示せるわけです)。

現地で引きこもらずに人と触れあい、
日々の雑事をこなしてたくましく生き抜いていくうちに
半年、一年後には自分が心配していたこと全てに
「何であんなことを一生懸命心配していたんだろう?」
気がつけば自然に思える日が来ます。

私は英語は読み書きは割とできたものの
話すのがまるでダメな状態で日本を出て、
言葉が通じなくても国を超えて通用する手に職もなく
ワーキングホリデービザでの滞在だったため
当初の手持ちの貯金は50万円弱でした。

それでも、周りの人に助けられて
五年弱何とかたくましく生き抜いています。

永住権を取れるかはまだ分かりませんが、
「もし自分があのまま日本にいたら?」と思うとゾッとします。

 

・・・と、このように、実は海外移住というのは
失敗する方がハードルが高い
のです。

永住権を取れるという「成功」に到達しなくても、
基本的に得るものしかないわけですから。

英語力がどんどん伸びる環境とは?

 

日本にいた頃の英語力

日本にいた頃の自分は、
英語を伸ばしたいのになかなか伸ばせませんでした。

 

 

専門分野の学術論文を英語で読むのに、
見開き2ページで40分かかっていたほど。

リスニングは海外ドラマやBBCなどを毎日聞いていて
そこそこ理解できるものの、
日本語字幕なしでは詳細を理解できないレベル。

スピーキングなんて英語を話す機会もないし、
文章が全く口から出てきませんでした。

ライティングも、簡単な英文メールを書くのに
30分はかかっていた始末・・・。

大学院生としては大変恥ずかしい英語力でした。

ひたすら英語漬けの日々

ところが、日本を出て五年弱経ち、気が付けば
英語の新聞を斜め読みできるようになり、
ニュースはそう集中して聞かなくても理解できるようになり、
スピーキングもまだまだ文法などの間違いが多いものの
自分の考えをすらすらと話せるようになり、
英文メールで仕事のやり取りを毎日何十通と行っています。

「そう若くない29歳から海外に出て
どうしてここまで英語を伸ばせたのか?」
と考えてみると、
英語を常に使うしかない環境にほぼ置かれたから、といえます。

私は文法の基礎ができていたので、
後は実地で実践して慣れていくのと
スラングなど実地ではよく使うものの
学校で習わない表現の吸収をするだけだったので、
ある程度の時間さえかければ英語はどんどん伸びていきました。

日本を出て三ヶ月で英語しか話せない彼ができて
毎日英語を話さなければならなかったり、
最初の一年は貧乏だったのでスマホを買えなくて
国際電話をかけて日本語を話せるのは月に一回ほどだった、
という環境でひたすら英語漬けの日々でした。

そうしているうちに三年たち、英語に自信がついてきた頃に
トップだけが駐在員で後は誰も日本語を話さない今の職場に入り、
秘書という肩書ですがほぼ社内翻訳の仕事に就きました。

それ以来、日本語で読んでもなかなか分からないような内容の文章を
毎日ひたすら英語で読み続けなければならず、
業界の技術的な話は上司に質問して背景知識の獲得に努め、
英語は分からない単語を逐一ネットで検索して調べ単語帳を作る日々です。

「英語が分からない」と言うことが許されない毎日が続いています。

そして仕事を始めて半年ほどして、
ある日気が付くと新聞を斜め読みしている自分がいました。

英語力を伸ばすポイント

自分の経験から、英語力を向上させるポイントを
まとめると以下のようになると思います。

 

・会話での実践も大事だけれども、
机に向かって勉強して基礎を固めておく

・量をこなす

・分からない単語や表現を面倒がらずに調べる。
例文をきちんと読み、覚えた後すぐに使ってみる

・「英語が分からない」と言うことが
絶対に許されない環境に身を置く

 

 

「外国語」として意識すると難しく感じるかもしれませんが、
しょせん現地では鼻水を垂らした小学生が
走り回りながら話している言葉なので難しいはずはなく、
ようは誰でも勉強と練習さえすれば使えるようになります。

あっさりとワークビザ更新ができた秘訣

 

彼のWork Visa (Employer specified)が新しく三年分出たので、
その顛末をシェアします。

 

 

これまでの経緯

以前の記事にも書きましたが、
彼は元々ワーキングホリデービザでニュージーランドに渡航、
その時に働いていた会社にスポンサーをしてもらい
2年のWork Visa (Employer specified)をもらえました。

ところがそのスポンサーの会社の副社長が
違法滞在のトンガ人を雇うという違法行為を犯したため、
会社に移民局の監査が入り
新たに外国人をスポンサーすることが不可能な状態に・・・。

それから彼は転職活動を行い、
同じ現場で働いている同業他社の人のコネで転職先を見つけ、
転職先の会社にスポンサーになってもらえました。

転職先は何と” Accredited Employer”だった

転職先の会社は大手で、Accredited Employerです。

Accredited Employerというのは移民局の監査を受け、
きちんとした会社であると証明されている雇用主です。

どうすればAccredited Employerになれるかというのは
移民局のこのページに書いてありますが、
過去二年分の年次レポート、財務諸表、事業計画、
会社のプロフィールと登録詳細を提出等色々と大変なようです。

Accredited Employerになると、ビザの審査期間が短くなったり
Work VisaだけではなくWork to Resident Visaという
被雇用者が二年間働いた後仮永住権を申請できる
ビザを被雇用者に出せるようになります。

ニュージーランドでは、永住権獲得の前にResident Visaという
二年間の仮永住権ビザを経なければなりません。

その二年の間は飲酒運転のような小さな犯罪でも
犯したら即ビザ取り消し、
家も購入できるけれども自分達が住むためだけのもので、
シェアなどをして他の人に貸してはいけない、
二年のうち半分の一年間は
ニュージーランド国内に滞せねばならないという制約があります。

その二年が終われば晴れて永住権に移行でき、
永住権取得後は五年で市民権が取れます。

転職のための段取りなど

前回のビザ申請は彼が自分で行いましたが
今回はさすが大手の会社といったところで、
お抱えの移民弁護士を雇っていて、
ビザ申請にはその移民弁護士を通さないといけなかったので
彼が自分ですることはあまりありませんでした。

 

 

彼が準備した書類は以下です。

・現在の会社の社長からのレファレンス
・現在働いている現場の監督からのレファレンス

その他に、したことは以下です。

・サインした雇用契約書をスキャンして移民弁護士にメールで送る
・移民弁護士からメールで送られてきた質問に
 メールで回答して返信する
・白い壁を背景に顔写真を撮って移民弁護士に送る
・ビザ申請料支払い($298)
・移民弁護士料金($50)支払い

移民局のHPによると、
現在のWork Visaの審査期間は23-25営業日なのですが
何と8営業日ほどで審査が終了しあっさりビザが下りました。

同じ人間が同じジョブタイトルで出して前回は二年、
今回は三年のビザが下りたので驚きました。

何かの参考になるかもしれないので、
前回と今回の違いをまとめてみます。

 

前回
・ニュージーランドでの職歴が一年弱
・スポンサーはAccoredited Employerではない
・全て自力で申請

今回
・ニュージーランドでの職歴が三年弱
・スポンサーがAccoredited Employer
・ビザ申請を移民弁護士に依頼

 

他にも、大きな地震が発生して大工への需要が高まったなどの
要因もあるのかもしれません。

 

 

私は同時に申請しなかったため
あと一ヶ月ほどでビザが切れてしまうので、
今日申請書類を移民局に提出してきました。

そちらもビザが下りてからまた報告しようと思います。