プロフィール


菊川美代子

2012年3月に同志社大学大学院博士課程単位取得退学、2012年5月にオーストラリアへワーホリビザで渡航。
オーストラリアで2年間のワーホリ、NZで1年のワーホリを経て、現在はパートナービザ(Work Visa Based on Partnership)にてNZに滞在しています。
オーストラリアで出会ったアイリッシュのパートナーと永住権目指して奮闘中。
私のオーストラリアワーホリ体験談はこちら

→詳しいプロフィール

ご連絡はmiyoko.kikukawa★gmail.comまでどうぞ。(★を@に変えてください)

人生で初のマイカーをニュージーランドで購入

 

人生初のマイカーをついに購入しました。

NZ大好きというニュージーランドに住んでいる日本人向けのサイトで
個人売買のセクションで売られていた車を買いました。

2006年製造の、トヨタとダイハツが共同制作したSirionという小型車で
走行距離はわずか60000kmほど、値段は$4800という掘り出し物。

さらに私にとって重要なのは、その車がニュージーランド仕様であり、
2006年からずっとニュージーランドで運転されていて
比較的新しい車ながらも日本を走ったことがない車であること、
つまり放射能汚染がない中古車だったことです。

前のオーナーは日本人なので、
成田空港経由で帰ってきた家族を空港に迎えに行った際に
関東の放射能汚染をくっつけた預け荷物をトランクに載せたり
汚染された衣服を着ている家族がシートに座った可能性がありますが・・・。

エアフィルターの汚染がないのでそこは妥協して、
車内をくまなく水拭きして解決ということにしました。

なぜ水拭きか?というと、水は放射能を吸着するので
水拭きにより汚染をかなり除去できるからです。

チェルノブイリからの知見では水拭きにより
室内の汚染がかなり軽減できるとのことですし、
日本でも原子力災害現地対策本部「自動車除染マニュアル(第1版)」(平成23年12月28日)という
自動車整備工場等向けに策定・公表されたマニュアルに自動車の除染方法が書いてあり、
そこでも水拭きが基本となっているので有効なのでしょう。

ニュージーランドしか走っていないので外装は除染の必要なし、
内装のみの除染で構わないと判断しました。

購入翌日にはシートを拭き終えました。

ニュージーランドは日本からの中古車ばかりが売られていて
BMWなどのヨーロッパ車ですら日本からの中古車で絶望しかけましたが、
ニュージーランド仕様の、
日本で走ったことがない日本車を手に入れられて本当に幸運でした。

ニュージーランド最大の都市とはいえ、
オークランドは公共交通機関が発達していない車社会なので
車がないとバスが一時間に一本だったりするのでとても不便です。

車だと15分の距離も、バスだと大きく迂回するものを乗り継がねばならず
所要時間1時間半ということもザラ。

車を手に入れたので、やっとバスや人の運転に頼ることなく
オークランドの色んな場所に行けそうです。

カーフェアで味わった恐怖体験

 

Restricted Licenceを先日取得したので
早速車を買おうと意気込んで週末に出かけたところ、
とんでもないハズレの車を掴まされそうになったので
私のように車の知識が全くない人が気を付けるべき
注意事項を共有してみます。

また、被曝防御という観点から
ニュージーランドの中古車事情を観察してみました。

 

 

ニュージーランドでの車購入事情

一般的に日本では新車を購入するのが普通ですが、
ニュージーランドでは中古車を買う人が多いです。

ニュージーランドには自動車のメーカーがないので
新車でも中古車でも全て輸入です。

日本では10万km走ったら型落ちとされますが、
ニュージーランドでは10万kmなどはまだまだ低い走行距離の部類で、
「そろそろエンジンがあったまってきた」扱いでしょうか・・・。

走行距離20万kmの中古車も平気で売られています。

20万kmだとさすがにかなり安い値段にはなっていますが・・・。

また、購入先も日本だとトヨタなどのメーカーのカーディーラーに出向きますが、
こちらでは個人売買が大変盛んです。

知り合いや友人から安値で譲ってもらったり、カーフェアに出向いたり、
Trademeというサイトの「売ります」というセクションで探したり、
スーパーの掲示板の掲示板を見たりしてチェックします。

中古車のカーディーラーももちろんあるのですが、
日本の中古車カーディーラーと違って車の状態が信用できるかといえば
「?」です。

ですので、カーディーラーで良さそうな中古車を見つけても、
AAやVTNZなどで購入前の車体検査($100ほど)を自腹で行ってから
購入するのが常識です。

小さいカーディーラーで購入すると、
「購入後1年までは故障した場合の修理費は全額ディーラー持ち」
という保証をつけたはずが、いざ故障すると
「その故障原因は購入後に生じたものだから補償範囲ではない」
と反論してきて、解決に時間がかかったりします。

カーフェアでの恐怖体験

先週日曜に、レース開催日以外は毎週日曜日に開かれている
Ellerslie Carshowに行って来ました。

車に詳しいニュージーランド人の友人についてきてもらい、

・予算は$3000以下
・2000年以降製造のオートマ車
・大きすぎない車

の三点に絞って見てもらいました。

$5000以下の車のエリアをその友人と歩いて見て回ったのですが、
実家の牧場内で12歳から自動車を運転していたその友人の目利きは非常に鋭く
一瞥しただけでいい車か悪い車かを見定め、
彼の目に止まった車があって近寄って見てみると
ことごとくもう売れた後、という正確さでした。

彼が「この中で一番いい」と言ったのは
走行距離10万km以下の日産の2001年製造のPulsarという車で、
車体をチェックした後にした試乗運転でも問題がなく
最後に念のために受けたメカニックによるチェック($140)で
とんでもなく怖い事実を知らされました。

何とその車にはヘッドガスケットに問題があり、
乗るのは非常に危険で、絶対に買ってはいけない
とのこと。

すぐに修理が必要で、修理代は$1800なのだと・・・。

さらにメカニックのお兄さんに

「このカーフェアで売っている車はほとんどがこういう欠陥車ばっかりだよ。
こういう欠陥車はカーディーラーがTrade-inで手に入れたもので
もう壊れていると分かっているのに、儲けようとこうやって売ろうとするんだ。
ほとんどのsellerはよくこのショウの常連で、
ここで売られている車はたくさん人を殺していると思う」

と教えられ、その車を買わないことにしたというか、
もうそのカーショウ自体に二度と行かないことを決意しました

その車を元あった場所に運転して戻す時に
友人から「メカニックのレポートは見えない場所にしまっておきな。
鞄の中に入れた?ならいいけど」と確認され、
なぜだろう?と思っていたら即座に謎が解けました。

その車のオーナーから車を購入するか聞かれたので
友人が「ガスに問題があるから買わない」と答えると
「そのメカニックの名前は何だ?」と聞かれました。

友人は「知らないよ」と言って立ち去りましたが、
ふと歩きながら後ろを振り返ると
三人の男がその車のエンジン室を開け、
懸命に問題の箇所がどこか確認しようとしていて
本当に恐ろしかったです。

メカニックの名前なんか聞いてどうするんだ?
恫喝でもするのか?と・・・。

カーフェアで学んだこと

・$3000という予算は少なすぎるので、
問題を抱えているか走行距離が20万kmなどの車しか買えない。

・ニュージーランドで売られている中古車はほとんどが日本からのもので、
2011年以降に輸入されたものもかなりある。
しかし、日本のどこで登録されていたかは
Carjamというサイトで$40ほどのレポートを通じてしか分からないので、
放射能に汚染された中古車を避けるのは実質としてかなり難しい。

・ヨーロッパ車の中古車であっても日本からのもので
日本のどこで登録されたかは有料のレポートを取らない限り不明。

・2011年以前に輸入されたものも、探せばおそらくまだあるが
型が古すぎたり走行距離が長すぎたりすることがある。

・走行距離をごまかしている車も多いので、
Carjamなどのサイトで走行距離の確認を行う方が良い。($20)

今まで日本車が多いので放射能汚染が気になっていたものの
震災以前に輸入された車は手に入れられるだろうと思っていました。

しかし、おそらく関東近郊から入ってくる車の台数は多そうですし、
安い給料の身としては「この車は良さそう」と思うたびに
45ドルのレポートを頼むのはかなり腰が引けてしまいます・・・。

もちろん、健康には代えられませんが。

また、西日本からの車であっても東京港経由で入ってきたとすると
エアフィルターは大丈夫なものの、車体全体に付着する汚染も気になります。

かといって3万ドル以上する新車をポンと買える経済力もなく。

非常に悩ましいところです。

海外で「放射脳」をしていて変化したこと

 

日本を出てからというものの、
日本の放射能情報をすっかり追わなくなってしまいました。

それは被曝を気にしなくなったのではなく、
海外に出たために日本の物品や食品を避けるのが容易になり、
日本産・日本製のものを全て避ければ防御が済んでしまうので、
日本に住んでいた時のように
「日本国内のどの地域で作られてあの地域で加工されていて
その地域経由で搬送されているこの商品/食品が安全」
というレベルまで考える必要がなくなり情報を追う必要がなくなったということです。

それにしても、この6年間ほどで、日本という国に心底愛想が尽きてしまいました。

多くの健康被害を出したチェルノブイリ事故の教訓がありながら、
それを遥かに上回る放射能汚染について政府は「安全だ」としか言わず
多数派の国民はそれを疑わず、
「危険ではないのか?」と疑問を抱く人が非科学的だと非難され、
人類史上最悪の原発事故から漏れたとてつもない量の放射性物質を
気にするか気にしないかはその人次第
という
愚かとしか言いようがない状況にはほとほと嫌気が差しました。

もちろん、それに抗っている良心的な日本人が少数はとはいえちゃんといて、
奮闘しているのは知っています。

他人の価値を尊重することは重要ですし、
私は放射能を気にしない人に特に何も言わないので
自分の行動は結果として気にしない人の価値を尊重しているように見えます。

しかし実際は、
「これだけの年月が経っても危険性に気づかないのならば
それはもう気づこうとしていないのであって、
それなら好きなように生きて被曝を重ねて健康を損なっても、
最悪の場合は死んでも、
本人に影響はなくても遺伝子が傷ついて
将来の自分の子供に疾患や障害を与えるとしても、
それがこの人の幸せなんだろう」

例外なく考えているだけであったりします。

放射能を気にしない価値観を尊重しているというよりは、
ただ突き放している、見限っているだけという感じです。

もちろん、私も放射線については素人ですし
畑違いの分野で学んだ資料批判の方法を専門外の分野に適用しただけで、
また震災後の自分に生じた身体的症状から仮説を立てているのみで
放射能を気にしない人の考え、価値観全てを愚かと言っている訳ではありません。

私には放射能を気にしない日本人でありながらも、
尊敬できる良い仲間と言える人達がたくさんいます。

ただ、「この人は低くない確率でそのうち病気になるのだろうな。
惜しいことだ」と思ってしまうことは否めません。

今はニュージーランドで数年のうちに永住権が取れそうなので、
永住権を取得後所定の年数を満たした後は
日本国籍を放棄し、ニュージーランド国籍を取得する予定です。

将来もし自分に子供が生まれても、
その子供に日本の地を踏ませることも、
日本産食品を食べさせることも私が死ぬまでにはあり得ません。

今持っている、有効期限が2022年の日本のパスポートの表紙に
いつの日か”VOID”と穴が開けられて、
それを自分の新しいニュージーランドのパスポートと並べて眺めている自分を
何度思い描いたことか。

日本との縁を完全に絶つという夢を実現させるその日まで
私は走り続けます。

命をかけた人生最大の賭け

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気がつくとある日、右腕にいつまでも治らない湿疹ができていた。

薬を飲んでも病気の治りが遅くなった。

自律神経失調症で元々体調が悪かったものの、
極端に調子が悪くなり、起き上がれないほどになった。

これらは福島第一原発事故が起きてから半年後、
ずっと関西に住んでいた私の体に起きた異変です。

 

 

2011年3月11日に東日本大震災が起こり、
それに伴い福島第一原発事故が起きました。

関西では停電することもなく、水道やガスが止まることもなく
何も変わらない一日。

増え続ける死者や行方不明者の数をニュースで見ながらも、
家族、親類、友人、恋人すべてが関西の私には
正直遠い世界の話のようでした。

【半年後に起き始めた不可思議な身体症状】

何も気にせずに日常生活を送っていたある日、
右腕の小さい湿疹がいつまでも治らないことに気づきました。

湿疹というにはとても小さく、見た目には分からないのですが
触るとざらざらした感触が分かるものでした。

痒みも痛みもないので、そのうち治るだろうと
皮膚科にも行かずに放置していたのですが
三ヶ月ほど治らずにいました。

そのうち膀胱炎になり、薬を飲んでもなかなか治らず、
かかっていた医師も首を傾げていました。

 

何とか上記の状態から回復してしばらくすると、
それまで4年ほど患っていた自律神経失調症が
極端に悪化しました。

それまでも睡眠不足やストレスがあると悪化していましたが、
その時は特に悪化する要因もなかったのに
一日に一口ほどしかものを食べられず、
ほとんど起き上がれない状態になってしまいました。

【自分が被爆していたかもしれないという恐怖】

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起き上がれない状態のまま何気なくTwitterを開いていると、
私がフォローしていた東大の島薗進先生が
内部被爆の危険性を述べたツイートを投稿しておられました。

そこで「まさか・・・」と思いスマホで少し調べると、
チェルノブイリでは長期間の低線量被爆により
健康被害が発生した
という記事を見つけました。

 

長期間の=この半年間の
低線量被爆=関西での無頓着な飲食

 

と即座に結びつき、
「まさか・・・」とスマホを持っていた指先が冷たくなり
ショックで一瞬軽い貧血のようになりました。

「体調不良の今は、怖くて直視できない。健康になってから見よう」と思い、
それから漢方薬を飲んで何とか回復した一週間後に
ネットで検索して自分なりに色々と調べてみました。

それで調べて得た知識から、
自分のそれまでの半年間の不思議な身体症状は
内部被爆に由来していたのかもしれないと考えるに至りました。

膀胱炎も、排尿の際に尿道をセシウムが傷つけて起こるという
チェルノブイリではとてもありふれた病気だったそうです。

【自分の身体での実験とその結果】

 
そこで実験をしようと、そこから食材の産地を徹底的に選び、
生鮮食品も加工品も西日本の物のみに。

幸いにも関西に住んでいたので
近くの食料品店に売っている生鮮食品は西日本産ばかりでした。

加工品は西日本産のみの原料で加工も西日本となると
なかなか見つけるのが難しかったですが…。

 

 

その実験を始めてから一ヶ月すると右腕の湿疹が消え、
自律神経失調症の症状も安定してくるようになりました。

この実験により、私の身体症状は内部被爆に由来していたと
確度の高い仮説を得られました。

【周囲の理解を得られない戦い】

 

一度気になりだすと止まらなくなり、自分の健康にも関わるので
大学院での自分の研究を放り出して調べ始めました。

 

 

実家に住んでいた私は、気になり始めてすぐに
家中の加工食品の産地と製造地を確認し始めました。

私がシチューのルウのパッケージを台所で一つ一つ見ていると、
それを見た父に指を差され「アホや」と大笑いされたことは
今でも忘れられません。

 

近所の小さいスーパーで安全な加工食品を求めて
1時間もかけて買い物をしたこともありました。

 

 

大学院の恩師は「愛知県東部まで危ない」という私を
「そこが危ないんだったら関西も危ないことになる」と笑い
同僚は「福島に行かないのなら別に気にしなくても」と
呆れた顔
をしていました。

同い年で仲が良かった優秀な同僚は東京出身で、
東京が危ないという私を
「あなたは西日本出身だからそんなことが言えるんだ。
他人の故郷が汚染されていると言うなんて失礼だ」と
責めました

「他人の故郷が汚染されていると言うなんて失礼」ならば、
危険と分かっているのに何も言わずに見殺しにする方が
親しい友に対して礼儀を欠いているのでは?と思われましたが
本当に周りの誰一人として私に賛同してくれなかったので
「おかしいのは自分なのかもしれない」と思い
下を向いて黙っていました。

当時付き合っていた、結婚を前提にして付き合っていた恋人とも
放射能の危険性に対する見解の相違から別れました。

彼もまた東京出身で、
同僚と同じように東京が危険だという私と意見が一致せず、
将来が見えなくなったからです。

「仕事のためなら健康は犠牲になってもいい。
福島は無理だが、東北になら赴任してもいい」という
彼の価値観には賛同できませんでした。

私の父は私が小さい頃に脳梗塞を起こし、
それ以来右半身が麻痺して病弱になりました。

利き手で文字が書けなくなり、呂律がうまく回らなくなり、
走れなくなり、雨の日は常に右半身が痛み、体力は低下し、
働き盛りの年齢なのに週5日の仕事を
できる体力がなくなってしまいました。

「身体さえ健康だったら」と
いつも悔しがっていた父を見ながら育った
私には
健康を害するかもしれない選択肢を取ることは
できませんでした。

しかし、この彼と付き合っていた時に彼が私に話していた、
オーストラリアのワーキングホリデーに行った彼の友達の話が
結果的に私の運命を変えることになりました。

 

 

【国外避難を決意するまで】

 

食品の汚染が気になりだすと物品の汚染も気になりだし、
調べていくうちに産地や製造地が安全な地域でも
物流の際の経由地や保管場所が危険な地域だったりすることが
分かりました。

食品も物品も気にし始めると、
全ての安全なものを入手することは
西日本であっても難しいか、手間がかかります。

大気も、物流が制限されていないため
一般人が持ち込んだ東日本のゴミが焼却されているし、
季節や風向きによっては福島から風が吹きます。

 

 

外食も限られたお店にしか行けません。

付き合いもあるし、
いつも安全な外食のお店に行けるとも限りません。

行けない場合の方が多いでしょう。

かといって、自律神経失調症でいつも体調が悪く
英語も話せない自分は海外になんて行けないだろう、
大学院留学しかないだろうか、
しかし大学院留学できるほどの能力もない・・・と思い
悶々とした毎日を送っていました。

そんな時、上述の彼と付き合っていた時に聞いた
オーストラリアのワーキングホリデーの話をふと思い出し、
調べてみると私はそのビザを取れることが分かりました。

申請時に29歳以下の日本国籍保持者でさえあれば
働く権利のあるビザが一年もらえて、
オーストラリア政府の定める田舎の地域で
三ヶ月の季節労働をすれば更に一年の合計二年滞在できる、
というお金も手に職もない自分には夢のようなビザ
でした。

ビザの申請はオンラインでできるので早速申請し、
申請からたった二日でビザが降りました。

それでも外国に一人で乗り込むのは勇気がいるので
まずは情報収集を、と思いネットを見ていると
APLaCのページを見つけました。

そこにある過去のエッセイ
APLaCにこれまでお世話になった人の体験談を読み
「この人に頼んだら大丈夫そうだ」と確信してメールを送り、
5月下旬に一括パックの申し込みをしました。

【決意をしてから実際に渡豪するまで】

 

ビザを申請したのが2012年1月3日、
ビザが認可されたのが2012年1月5日、
渡豪したのが2012年5月26日でした。

身体症状が出始めてから7ヶ月、
決意してからおよそ4ヶ月弱で日本から出た計算
 です。

決意してビザを取ったにしても貯金がとにかくなく、
到着当初の資金を貯めなければ、ということで
派遣社員で三ヶ月だけ仕事をしてお金を貯めました。

 

 

一点の迷いもなく着々と日本脱出に向けて準備をしていましたが
それでもふと日本を出ることが怖くなり、
考え出すと全身が小さく震えだすことがありました。

 

英語がろくに話せないのに生きていけるだろうか?
手に職がない自分にどんな仕事ができるだろうか?
たかだか50万円もない貯金が尽きたらどうする?
知り合いすら一人もいない外国でやっていけるのか?
永住権だって取れるとは限らない、取れなければどうする?・・・

 

そんな時はいつも
「論理的に考えて、もう日本を出る以外に
自分が生きられる道はない。このビザに賭けるしかないんだ」

と自分を説得し、奮い立たせていました。

 

不慣れな仕事で忙しく働きつつ貯金をしていると、
あっという間に出発日になりました。

 

 

【オーストラリアに到着してから】

 

オーストラリアに着いてからは、最低時給が15ドルなのに
10ドルしか払わない日本食レストランでしか仕事を貰えず、
とても貧乏でした。

日本食レストランのウエイトレス以外の仕事にありつこうと、
履歴書を一年間配り歩いてかれこそ200枚配ったのに
面接にすら一件も呼ばれず、金銭的に辛い日々を過ごしました。

「親のお金で博士課程にまで行かせてもらったのに、
一体自分はこんな遠い外国まで来て何をやっているんだろう?」
と何度も考えました。

それでも、どんなに裕福であっても成功していても
健康さえなければ全てが水の泡である、という価値観の私は
綺麗な空気を吸えることに感謝していました。

貧乏で外食ができなくても
スーパーで安全な食材を買えることに喜んでいました。

 

「オーストラリアで永住権が取れなくても
29歳の自分は30歳までに申請すれば
ニュージーランドのワーキングホリデービザも取れるから
南半球で二年間半くらい過ごせるし、
永住権が取れなくともせめて良い保養になるだろう」と。

学業、キャリア、家族、恋人、友人、故郷、健康、
どれも大事ですが、それでもなお優先順位をつけて
行動に出ることができた自分を誇らしく思います。

何かを得るためには何かを失わないといけないのですが、
それを仕方のないことだと割り切れる強さが
自分の長所かもしれません。

被爆を気にする人が潔癖症に見える理由とは?

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私を含め、いわゆる「放射脳」の人達は東日本由来の物を徹底的に避けます。

しかし、日本にいる限りいくら気をつけても避け切れないし、
海外に出たとしても私のように日系の会社で働いていると
避け切れません。

「放射脳」の人達が日本または海外でも日本に関連する職場で困るのが
東日本からの郵便物や出版物
です。

現在私はニュージーランドに住んでいますが、
日系の会社で働いているため
仕事上毎朝日本からの郵便物を開封して配らなければならず、
塵が自分の服などに付着しないように
なるべく自分の体から離してそっと開封しています。

配り終えたらすぐに石鹸で手を念入りに洗うか、
それができなければ机の上に常備しているウェットティッシュで拭き、
郵便物が置いてあったのが自分の机ならそこも丁寧に拭きます。

オセアニア地域への郵便はFedEx等の外資系でない限り
全て東京経由で送られてくる
からです。

日本の本や雑誌なんかも、日本の出版社は東京に一極集中なので
もう全て避けています。

本を買いたければ電子書籍版を買うか、
電子書籍版がなければAmazonで本を買い、
いわゆる「自炊業者」を送り先に指定して
本を裁断してスキャンしてPDFデータにして
送ってもらえるサービスを利用しています。

というわけで、職場での私は頻繁に机や手を拭いているので
完全に潔癖症の人のような目で見られています(笑)

しかし他人の目よりも被爆防止のほうが大事なので
何も気にせず今日もせっせと手や机を拭き続けています。

原発事故後五年半経っても声を上げ続けられる秘訣

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早いもので、福島第一原発事故が起こってから約五年半が経過しました。

事故当初から半年間は、放射線に関する知識も何もなかった私は
全く気にせず何でも食べて過ごしていました。

幸いにも関西から出る機会がなかったので、
呼気被爆は相当防げました。

半年経つと原因不明の湿疹のようなものが腕の皮膚に現れだし、
免疫力が下がっていないと出ない病気にかかりました。

それで、「もしかして」と思い至り調べてみるうちに
「放射能が原因なのでは?」という結論に達し、
それから数ヶ月は、全然放射能を気にしない周りの人を心配して
「危ない」「気にした方がいい」と訴えかけていました。

しかし、そうすると理解してもらえなかっただけではなく、
気がおかしくなってしまったような扱いをされたりしました。

自分と近い人達だからこそ心配してつい口に出してしまうのですが・・・。

ほとんどの場合はカルト宗教にはまった人のような扱いを受け、
良くて神経質な人扱いをされるだけだったので
私はそのうち口を噤むようになりました。

自分がどんなに言っても相手の考えは変えられないし、
変人扱いされたり嫌われたり攻撃されるだけ。

どうせ変わらないのが同じなら、
何も言わない方が嫌われないし攻撃されない方がいいと。

相手が日本人でない場合は攻撃はされませんが、
きょとんとされるだけで理解をしてもらえた試しがほぼありません。

散々危険だと話しても、その後に日本の、それも東京に旅行に行って
刺身などの海産物を堪能したと聞かされ脱力したことが何度かありました。

しかし、元からある程度は危険と分かっている人もいるようで、
「震災後に日本に旅行に行ったけど西日本以外行かなかった。
空港も関西国際空港を選んだ」という香港人や、
「日本はこれから甲状腺がんが増えるだろうね。
スイスでもチェルノブイリ後にとても増えたから」というスイス人もいました。

そういう人の絶対数は非常に少ないですが・・・。

幸い、最近では放射能を気にしていないながらも
私の考えを受け入れてくれる仲間に恵まれています。

それで、自分に無理のない範囲で細々とでも危険性を伝えていこうと思い、
オフラインで放射能のことを口にする機会はめったにありませんが、
オンラインの掲示板やこのブログなどで自分の考えを発信することにしました。

南半球で内部被曝を防ぎつつ外食を楽しむ重要なポイント

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オークランドはニュージーランドで一番大きい都市なので、
ニュージーランドで一番レストランの選択肢が多い場所です。

まず中華料理と韓国料理、日本料理のレストランは多いですが、
驚いたのはタイ料理とベトナム料理のレストランの少なさでした。

あるにはあるのですが、
CBDをフラフラと歩いていてもなかなか見つかりません。

ちなみに、CBDとはCentral Business Districtの略語で
官庁や大きい商店、企業の本社が集まっている地域のことです。

日本語では「中心業務地区」という訳があるみたいですが、
単純に「街の中心部」と考えてもらえばいいかと。

話を戻すと、東南アジア料理好きの自分は、
CBDのあまりの東南アジア料理レストランのなさに
オークランドに来た当初は「Thai restaurant auckland」等と
Googleで検索したほどです。

結局、良さそうなレストランは何個かネットで見つけましたが
CBD内になくアクセスが良くないので未だに行かずじまいです。

フードコートには何点か入っているのを見ますが、
あまり美味しくなかったり…。

CBD内のAlbert Street沿いにあるフードコートに入っている
タイ料理のテイクアウェイショップは美味しいのでお気に入りです。

東南アジア料理大好きとはいえ、
放射脳的には魚醤がストロンチウム入りで危ないので
料理を頼む際には慎重にメニューを吟味して選びます。

今までアジア系スーパーに行き魚醤を何種類もチェックしましたが
全て東南アジア産でした。

調べたところ、魚醤の熟成期間は一年から一年半とのことなので、
今となっては日本からの汚染水が到達した後に
作られたものだろうと判断してなるべく避けています。

もちろん東南アジア料理のレシピを全然知らないので、
大丈夫と思って選んだメニューに入っていることは
あるかと思います。

でも頻繁に食べるわけではなく月に一度ほどなので、
月に一度気を付けて食べるなら、ということで妥協しています。

日本からの汚染水がいつどのあたりに到達するのか?
という疑問がありますが、私はこちらのサイトを参考にしています。

この動画はドイツのキールにある
GEOMAR ヘルムホルツ海洋研究センターが発表している、
福島第一原発事故の海洋汚染シミュレーションです。

太平洋全体が2015年までに汚染されきってしまうのが分かります。

せっかく南半球に避難しても気を付けなければ
やはり内部被爆は免れないので食べ物には気を付けています。

ある日いきなり倒れて健康を失ったら

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私が人生で一番大切にしていることは、健康です。

仕事が第一、というのは私には考えられません。 

というのも、私は父が健康を害して苦しんでいる状態を
子供のころから見てきたからです。

私の父は私が小学校低学年の時に脳内出血で倒れ、
命は助かったものの、障害が残りました。

今ではリハビリのかいあって日常生活は送れていますが、
右半身に今でも麻痺が残っています。

倒れた当初は完全に半身不随で、
体の右半分が全て麻痺しているので発話することも難しく、
入浴も一人ではできず、母が懸命に支えていました。

利き手が使えなかったり言葉がうまく出ないなどの苛立ちからか
短気になり怒鳴ることが多くなり、生活が一変しました。

 
私は小さかったので覚えていませんが、
倒れる前の父は気が長く、
決して声を荒げることがない人だったそうです。

私が覚えている父は物心ついた時から
短気ですぐ声を荒げて怒るという人なんですが…。

大きくなってから知ったのですが、
脳の手術後に性格が変わってしまうということはままあるそうです。

当時のことはほとんど覚えていない中で、
一つだけ覚えているエピソードがあります。

脳の手術をした後で、弟の名前を父は忘れてしまったんです。

「えーと…(弟を見て)名前、何やっけ」と
お見舞いに行った時に父が私たちに聞いたのを覚えています。

弟の名前を教えたのですが、手術で脳のどこがどうなったのか、
「かず」という私たちと同年代のはとこの男の子のあだ名で
弟を呼ぶんですね。

そのたびに母や弟、私が訂正していました。

で、「ああ、そうやった。なんでかずって呼ぶんやろうなぁ…」と
本人も不思議がっていたのが衝撃でした。

今では基本的にこれは収まりましたが、
今でも、ふとした時に弟をとっさに
「かず」と呼んでいる時があります。

すぐに気が付いて、自分で訂正するんですけどね。

仕事は祖父が経営していた家族経営の自営業の会社で働いていたので、
祖父が便宜を図ってくれて長期の休みを取れたので
解雇になることもなく、
半年後か一年後だったかに元の条件で復職したので
しばらくは経済的に困ることはありませんでした。

父はエンジニアだったのですが、
利き手が使えなくなった分は口頭で指示を出し、
他の人にできない作業を代わりにやってもらっていました。

 

 
倒れてから10年後、私が高校生になった時に
不況のため祖父が会社を畳み、父は職を失いました。

父はエンジニアだったので、もし右半身に障害がなければ
すぐに他の会社で何の問題もなく職を得られたのですが、
自分は口頭で指示を出すだけで、
他の人にやってもらえるという環境は
自分の親族がやっている家族経営の会社でなければ難しく、
就職活動に苦戦しエンジニア復職をあきらめました。

 

 
しかし私と弟は小さく、これからお金がかかる時期でしたので
父は仕事はせねばならず、
手先の精密な作業が要求されない人手仕事に絞り仕事を探しました。

とはいえ、手術で体力がとても落ちた父の体は
体力が要求されることが多い人手仕事に耐えられず、
やっと仕事がもらえても一日目で倒れてしまったり、
体力的にとても続きそうになかったりということが続き、
フルタイムでの仕事はもう無理だと判断し、
週3~4日の勤務で良い嘱託のタクシーの運転手になりました。

車の運転は問題なくできましたし、
手先の作業はお客さんを乗せた後に
売り上げなどを紙に記入するというものだけでした。

しかし、タクシーを運転していると人が急に飛び出してきて、
それでぶつかったのに車の方が責任が重く、
相手の入院先に謝罪文を持って訪れなければならなかったりと、
父はその仕事が好きではありませんでした。

でも、私と弟の教育費のために
歯を食いしばって仕事を続けてくれました。

母はもともとパートをしていましたが、
父の収入がよかったので生活費に入れずに
家族旅行などのためのお小遣い稼ぎだったのが、
パートを増やして生活費に全部入れるようになりました。

仕事探しの間、たびたび父が「体さえ健康だったらな…」と
言うのを聞いていましたし、
働き出してからも「今日は雨で体が痛い」等と言いながら出勤し、
わずか6時間の仕事終わりに
ぐったりと疲れて横になっている父の姿を見て育ちました。

父は倒れてからは病院に定期的に検査に行き服薬せねばならず、
検査代や薬代が高額だったりして、
病院からの領収書を見てため息をついている
両親の姿をよく見ました(今も見ます)。

父が居間でいつも座っている椅子の横には高さ30センチほど、
幅20センチほどのプラスチックの瓶があり、
そこにたくさんの種類の薬がぎっしりと入っています。

それはたったの一か月分です。

父は生きている限り、
定期的な検査と毎日の服薬を続けなければいけません。

 

 
私はこんな家庭環境で育ったので、
「健康がなければ何にもできない」という価値観を持ちました。

仕事も趣味も大事ですが、それを一番にして健康を失ってしまったら
結果的にその一番大事なものを失うと私は思います。

山下俊一教授が安全論者の中核的位置を占めていると思われる理由

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「危険厨」には「ミスター100ミリシーベルト」でお馴染の
山下俊一教授ですが、放射能を気にしたことがない人には
まだまだその名前が知られていません。

そこで、山下教授の立ち位置について今回は掘り下げてみます。

山下教授は、安全論者の中で
中核的位置を占めている人物のうちの一人です。

他にも安全論者の学者はたくさんいますが…。

安全論を唱える学者は「御用学者」と呼ばれ、
「危険厨」が作成したこのサイト
いわば「御用学者一覧」がリストアップされています。

 

各学者の名前にリンクが張ってあり、
クリックするとなぜその学者が「御用学者」と思われるのかが
検証されています。

検証が甘いものもありますが、
自分で一人一人調べていくのは労力がかかりすぎて
大変というか無理なのでかなり参考になります。

先の投稿で山下教授を取り上げた理由は、次の二つです。

一つめは、山下教授が原子力行政に深い関わりを持つ人物であること、
二つめは福島県放射線健康リスク管理アドバイザーの一人であることです。

 

 
一つめについて、山下教授の経歴をまとめてみます。

現在の所属および役職は長崎大学理事兼副学長、
同大学国際連携研究戦略本部長兼産学官連携戦略本部長、
福島県立医科大学副学長(非常勤)、
福島県立医科大学放射線医学県民健康管理センター
(長崎大学大学院原研医療休職中)、
福島県民健康管理調査検討会座長です。

 

また、日本甲状腺学会理事長、日本内分泌学会監事、
第22期日本学術会議会員でもあります。

以下、Wikipediaを参考にして
年表の体で山下教授の経歴・役職をまとめてみました。

2000年 原子力委員会における「原子力の研究、開発及び利用に関する長期計画」第五分科会構成員
2002年 原子力安全委員会 原子力施設等防災専門部会が作成した「原子力災害時における安定ヨウ素剤予防服用の考え方について」の主査を務める
2003年 長崎大学永井隆国際ヒバクシャ医療センター所長を兼務
2004-2006年 世界保健機構(WHO)本部環境健康局放射線プログラム専門科学官に2年間派遣。(WHOは被曝線量の低減や事故時におけるガイドラインなどの作成を行う)
2006年 長崎大学大学院医歯薬学総合研究科附属原爆後障害医療研究施設教授に復帰
2009年 長崎大学大学院医歯薬学総合研究科長、原子力委員会における原子力安全研究専門部会・環境放射能安全研究分科会構成員。日本甲状腺学会理事長に就任。
2011年3月19日 福島県放射線健康リスク管理アドバイザーに任命され、就任。
同年4月1日 福島県立医科大学特命教授(非常勤)に就任。
同年4月11日-5月31日 文部科学省原子力損害賠償紛争審査会委員
同年7月15日 長崎大大学院教授を研究休職。福島県立医科大学特命教授・副学長(業務担当)(常勤)兼放射線医学県民健康管理センター長就任(神谷研二・広島大原爆放射線医科学研究所長と共に)。
2013年4月1日 研究休職期間満了により長崎大学へ復職。同大学副学長(福島復興担当)及び理事(国際・附置研究所担当)国際連携研究戦略本部長兼産学官連携戦略本部長就任。同時に福島県立医科大学副学長は非常勤となる。

 
WHO(世界保健機構)で被曝線量の低減や
事故時におけるガイドラインを作成していた人物なら、
安全論者ではないのではと思われますが、実はそうではありません。

 
WHOは実はIAEAとの間で、
「世界保健機構はとくに国際原子力機関が全世界の原子力平和利用の研究開発と実用化を促進、支援および調整する一義的責任を負うことを認める」
とする協定(IAEA-WHO協定・第1条2項)を結んでいますので、
原子力推進側だったりします。

IAEAは1957年に「原子力の平和利用」を掲げて
アメリカ主導で設立された組織です。

1955年のソ連の水爆実験成功に危機感を募らせたアメリカが、
核開発の主導権を手放すまいと1957年に設立しました。

二つめについて、山下教授は事故直後から
「100ミリシーベルト以下の被曝なら健康被害はない」
旨の発言を繰り返したことについて、
「彼の発言で避難が遅れた人たちがたくさんいる」として、
刑法第211条第1項前段業務上過失致死傷罪の被疑事実で
福島原発告訴の被告訴・告発人の一人となりました
(週刊金曜日ニュース「11月に福島原発第二次告訴――各地で参加呼びかけ」、福島原発告訴団「『本日の告訴・告発について』(資料)」 いずれも2015年8月30日アクセス)。

 

山下教授は放射線専門医のカテゴリーに入っています。

同カテゴリーには山下教授の他に
同じく福島県放射線健康リスク管理アドバイザーである
神谷研二福島県立医科大学副学長と、
高村昇長崎大学大学院医歯薬学総合研究科教授の名前が並んでおり、
福島県放射線健康リスク管理アドバイザー三名全てが
被告訴・告発人となっています。

福島県放射線健康リスク管理アドバイザーの役割は調べましたが、
はっきりしませんでした。

福島県知事により委嘱される職掌で、
「放射線と健康に関する正しい知識を県民に提供する」
福島民報「放射線管理アドバイザーを委嘱 県、正しい知識提供」)、
「放射線による健康への影響について県民の理解を深めるとともに、
正確な情報を広く提供」(「会議録閲覧」)するという記述を見つけられたのみでした。

 

 
しかし、役割が明確でない職掌とはいえ、
事故が起こった県でたった3名の学者に専門家として委託されるものであり、
県の放射線に関する行政に直接関わるわけですから、
山下教授の言説の影響力は小さくないと思われます。

 

以上のことから、山下教授は安全論者の中でも
中核的な位置にある学者だと思われます。

南半球に避難した元博士課程学生が考えた、放射能安全論側の矛盾

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日本政府は現在の放射線量では
直ちに健康に影響はないと主張しますが、
政府の安全基準はブレていると思います。

 
事故前までは一般公衆の法定被ばく限度が1mSV/年だったのが、
いったん事故が起こると20mSV/年に上げて、安全だというのは…。

 

 
20mSV/年で十分安全ならば、最初からその数字でもよいはずです。

 

 
そうして一般公衆の被ばく許容量を20mSVまで引き上げる一方で、
放射線取扱従事者へのそれは事故前と同じで、
電離放射線障害防止規則4条に基づき1年間で50mSV、
5年間で100mSVを超えてはいけないという規則はそのままです。

 

 
【放射線取扱従事者の年間被ばく許容量】

放射線管理区域の線量レベルは年間5mSV/年であり、
労働基準法では18歳以下が働いてはいけないと定められています。

さらに、20mSV/年は原発労働者が白血病になった際に
労災認定が下りる数字です。

このように、今でも放射線取扱従事者は5mSV/年の上限を守り
20mSV/年被曝したら労災認定が下りるのに、
事故以来全年齢の一般公衆の法定被ばく限度は20mSV/年なのです。

文部科学省の読本と東電のHPでは質論のみが言及されており、
量論については触れられていませんが、
量を考慮すると安全論の主張は矛盾します。

ですので、その矛盾を露呈させないため、
事故前の年間被ばく許容量などの量論について
あえてあまり触れていないのでしょう。

 
【「現在の放射線量/放射能量は質量ともに安全」の嘘】

文部科学省が出した放射線副読本で述べられている
量論の扱われ方について
良い指摘をしているサイトを見つけましたので、
長いですが以下に引用します。

 
 まず、三種類(菊川注――小学生用、中学生用、高校生用)のどれにも原発事故はおろか原発自体の写真が一枚も掲載されていないのだ。
 福島原発事故についての記述は、小学生用で「放射線を出すものが発電所の外に出てしまいました」、中高校生用で「放射性物質(ヨウ素、セシウムなど)が大気中や海中に放出されました」と「はじめに」のページに記載されているだけ。

 代わりに自然界の放射線や、医療、学術研究分野などでの放射線の活用事例が紙幅を割いて丁寧に説明されている。

 「私たちは今も昔も放射線がある中で暮らしています」(小学生用)

 「イランのラムサールやインドのケララ、チェンナイ(旧マドラス)といった地域では、世界平均の倍以上の放射線が大地から出ています」(中学生用)

 産業界での活用例とあわせ、放射線が身近な存在であることを強調している。一方で原爆や原発事故の影響を過小評価しているのも特徴だ。
 小学生用の「放射線を受けると、どうなるの?」の項目には「たくさんの放射線を受けてやけどを負うなどの事故が起きています」「広島と長崎に原爆が落とされ、多くの方々が放射線の影響を受けています」とある。原爆はもとより一九九九年の東海村JCO臨界事故でも被ばくによる死者が出たにもかかわらず、そうした紹介はない。

 放射性物質の半減期についても、図付きの例は「一カ月後に放射性物質の個数が半分になる例」。除染の焦点となっている半減期が半永久的に長い核種には触れない。
 「事故が起こったときの心構え」のページにはこんな文章もある。
 「時間がたてば放射性物質は地面に落ちるなどして、空気中に含まれる量が少なくなっていき、(中略)マスクをしなくてもよくなります」

 
このように、多量の放射線を受けると
体に影響があることについては触れているのですが、
どのような影響を受けえるのか
――精神疾患、ブラブラ病、白血病、癌、死亡など――について
具体的な内容には踏み込んでいません。

放射線を多量に受けた方々が亡くなった
JOC臨界事故という事例があるにもかかわらず、
「やけどを負うなどの事故」
「多くの方々が放射線の影響を受けています」と
述べるにとどまっています。

ですので、これらの被曝の影響を過小評価している記述から、
「質量ともに問題なし」と政府は考えていると先の投稿で書きました。

 

さて、この20mSV/年について
他の専門家がどういう発言をしているかを少し見てみます。

【20mSV/年への評価――――内閣官房参与の抗議の辞任】

2011年4月29日に、当時内閣官房参与であった小佐古敏荘東京大学教授
(原子力学・環境影響評価(含放射線生物学))は
衆議院第一議員会館にて参与辞意を表明する記者会見をしました。

小佐古教授は20mSV/年という基準が決められたことについて、
「容認すれば私の学者生命は終わり。
自分の子どもをそういう目に遭わせたくない」と
抗議の辞任を行いました。

 
「年間20ミリシーベルト近い被ばくをする人は
原子力発電所の放射線業務従事者でも極めて少ない。

この数値を乳児、幼児、小学生に求めることは
学問上の見地からのみならず、
私のヒューマニズムからしても受け入れがたい」と発言しています。
「内閣官房参与辞任,小佐古氏辞意表明全文:年1mSvで運用すべき!」

 

小佐古教授の科研費データベースを見てみると、
科研費の採択件数もそこそこありますので
信頼度に足る研究者と言えると思われます。

同じ20mSV/年の被曝をしても、
放射線取扱従事者に労災認定が下りる一方で
一般公衆には「放射能は自然界にもあるもので安全だから」と
何の保証もなし。

事故直後の暫定的な措置としての許容量引き上げだとしても、
4年半はさすがに長すぎます。