元博士課程学生が語る外国のファームでの肉体労働経験談

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肉体労働をすることになった経緯

オーストラリアのワーキングホリデービザは基本的に一年ですが、
政府の指定する過疎地域で三ヶ月以上のファーム労働に従事すると
もう一年ビザがもらえて、合計二年間滞在することができます。

放射能からの避難のためにワーキングホリデービザにて
オーストラリアに渡った私は、
少しでもオーストラリアに長く滞在するべく
最初から二年目のビザを取る予定でした。

渡豪後最初の10週間はシドニーで語学学校に通い、
その後クイーンズランド州北東部にあるInnisfailという町へ飛び
そこのバナナファームで働きました。

なぜそこの町を選んだかというと、シドニー時代に出会った彼氏の
ワーキングホリデービザが先に切れそうだったので
知り合いのツテを辿って先にファーム仕事を探しに旅立った彼を
追いかけていったからです。

町についてから仕事をもらうまで

私はシドニーからTownsville、そこからグレイハウンドバスで
Innisfailへ到着しました。

Innisfailはクイーンズランド州北部にあり、
州都のケアンズから車で一時間ほどの場所にある小さな町です。

町の産業はバナナ生産で、
たくさんの人がバナナファームで働いています。

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その町で彼が滞在していたのは、ワーキングホステルでした。

ワーキングホステルというのはバックパッカーなのですが、
そこに宿泊すると仕事を斡旋してもらえて、
チェックイン時に仕事が欲しい旨を伝えると
仕事待ちリストに入れてもらえます。

しかし仕事がもらえたとしても、
仕事が週5日あるかどうかは分かりません。

農業の仕事はその年、その日の天候に非常に左右されるので
自分が行った町のファームの作物がその年は不作だったり、
天気が悪く大雨ばかりで仕事ができる日が少なかったり、
安定した収入が得られるとは限らないからです。

私達の場合は、私達がその町に着いた前年に
その地域一体がサイクロンの被害に遭っていたため
どのファームも全体的に不作でした。

だから仕事量が少なくてなかなか仕事がなく
たくさんのバックパッカーが長い間待機していました。

本当ならそうして待機している間にも
レント、食費、雑費等が発生してお金は出て行くので
じっと待っているのはよくありません。

他の街に移動したかったのですが、
私が到着した翌日から彼に仕事が回ってきたので
私も結局同じバッパーで待機することに・・・。

 

二年目のビザを得られる条件は
同じファームで13週連続で働くか
(その間の仕事が週5や週3などは問われない)、
違うファームを転々として88日間きっちり働くかです。

彼のビザの残り日数が働き始めた時点で後四ヶ月ほどだったので、
一旦仕事を始めてしまった彼はファームを変えられませんでした。

また、私達は永住権獲得後に事実婚をする予定だったので、
別居をするという選択肢がありませんでした。

なので彼と同居するために私も同じバッパーに滞在し、
私は一ヶ月の待機後に
彼と違うバナナファームで仕事を始められました。

鬼畜のようなファームでの仕事内容

男は基本的に屋外でのバナナ収穫作業に振り分けられますが、
女は屋根がある場所(シェッド)での
作業に振り分けられることが多いです。

シェッドでは収穫されたてのバナナの大きな房を
持ち上げて上から吊るすハンギング、
適当な大きさに切り分けるカッティング、
その切り分けられた房の大きさや状態を見て
グレードの選別をするソーティング、
選別されたバナナを梱包するパッキングに分かれていました。

 

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私は最初の一週間はパッキング(梱包)で、
ベルトに載って流れてくるバナナを
ひたすら箱に積める作業に割り当てられました。

ずっと同じ場所での立ち仕事なので
体が慣れていない最初の一週間は足がすぐに痛くなり、
また熱帯地方だったので蒸し暑く、
仕事中ずっと汗をかいていました。

 

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二週間目になるとソーティングに回され、
自分が配置されているラインで決められている
特定の大きさのバナナだけをより分け、
それ以外を自分の目の前にあるベルトに載せて流します。

無農薬のオーガニックなファームのバナナではなかったので、
手袋をしているとはいえ自分が手をずっと入れている水には
溶け出した農薬やネズミの糞、ゴキブリの死骸、
バナナを洗浄するために現場監督が投入する食器用洗剤など
色んな物が混ざっていました。

 

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私は手を動かすのが早く、
頑張って働いたので現場監督に気に入られ
辞める時も惜しまれたほどでした(笑)

ただし、少しでも手を動かすのが遅かったりすると
すぐに容赦なくクビにするファームだったので、
次にクビにされるのは自分かもしれない・・・
という緊張感が常にありました。

同じラインで働いていた子を今週見ないな、と
不思議に思っていたらクビにされていたり、
「もう少しで88日が終わる!
一年目のビザがもうすぐ切れるし
今から他のファームを探すのは難しいから嬉しい」と
話していた子達も何の温情もなくクビを切られていました。

どういうルートでかは分かりませんが、
大量解雇の前日や当日には
「あのファームが大量解雇をする」という噂がバッパーに流れ
解雇をされる人はバッパーのオーナーから通知されていました。

オーナーが解雇を伝えるために各部屋を回っている時に、
「自分じゃありませんように・・・」と祈るような気持ちで
彼の手を握り、部屋でじっと座っていたことを覚えています。

ソーティングの作業を頑張っていた私でしたが、
水に含まれている何かの成分のアレルギーになったようで
ある日いきなり手の皮膚が強い痒みを持って腫れ始め、
どこにも傷口がないのに謎の分泌液が染み出て
止まらなくなりました。

休みの日に町の薬局へ行ったところ、
アレルギーを起こしているのでできれば仕事を休むように、
それが無理なら配置を換えてもらうようにと薬剤師に言われ
飲み薬と塗り薬を処方されました。

ファームでは現場監督に事情を説明して
パッキングに回してもらうよう頼んだのですが、
私のソーティングの作業がとても早くて良いからと
一時間だけのパッキング作業の後に
結局またソーティングに戻されました。

すると症状は悪化する一方で手が更に腫れ上がったので
包帯をぐるぐる巻きにした状態で翌日もう一度頼んだところ
別の作業に回してもらえました。

その別の作業というのはパッキングされ
色んな大きさの箱に詰められたバナナが
ベルトに載って左から自分の所に流れてくるので
その箱に蓋を被せて右に流すというものでした。

 

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そのファームの時給は税込みで19.28ドルだったので、
「世の中にはこんな仕事もあるのだな・・・」と驚きました。

こんな単純作業で一時間19.28ドル貰えるとは、と(笑)

とはいえシェッドのどの作業も単純作業で、
一旦仕事に体が慣れてしまうと
手は忙しいのですが頭が暇になり、
たくさんの考え事をする時間が生まれました。

 

「裕福でない親のお金で博士課程にまで行かせてもらったのに、
オーストラリアのこんな田舎で自分は一体何をしているんだろう?」

「放射能から逃げたい自分は親の葬式以外は日本に帰らないから、
もう生きて親に会えることはない。何て親不孝なんだろう」

「博士課程まで出たのに誰にでもできるこんな単純作業をするなんて、
自分の人生は何なのだろう」…

色んな考えが浮かんでは消え、
特に親のことを考えると涙が出てきました。

でも仕事中で周りに人がいましたし、
泣いているのがバレて人が集まったら
体調不良とでも思われてクビになるかもしれないと思い、
汗を拭うふりをして自分の肩で涙を拭いていました。

そうこうしているうちに三ヶ月が経ち、
二年目のビザを取ることができました。

 

 

ファームを辞めて再びシドニーへ

私が働いていたファームは他の所より比較的仕事がありましたが
彼が働いていたファームは仕事が少なく、
週3日ほどしか仕事がありませんでした。

最初は週5だった私の仕事も徐々に減っていき、
最後の方にはほぼ週3になっていました。

田舎なのにその地域のバッパーはどこもレントが異常に高く、
仕事が週3だとかろうじて赤字にはならないものの、
貯金が全くできない状態です。

私が13週間のファーム労働を終えた時点で
私より一ヶ月前から働き始めた彼は
二年目ビザの権利を得ており、
稼げないのならもうここにいる意味はない、と判断し
とにかく貯金がなかった私達は
彼が前の仕事にすぐ就けるシドニーに戻ることにしました。

 

 

ファーム生活をしている途中は
「二年目のビザの権利をもらうためではなければ
こんな仕事は絶対しないのに」としか思わず、
13週を早く終えたい気持ちでいっぱいでした。

せめてたくさん稼げて貯金できていたのなら
また違った気持ちだと思いますが・・・。

しかしそれでも、今となっては
自分にとって良い経験になったと思います。

スーパーで並んでいる小奇麗な野菜や果物の背景には
劣悪な環境で働いているワーホリがいること、
人間ではなく使い捨ての労働者としてワーホリを扱う
悪徳ファームもあること、
収穫量に応じた賃金支払いの所では
時給に換算すると法定最低時給を軽く割る場合もよくあること・・・

全て、シドニーのような都市部に滞在し続けていたら
知りえなかったことです。

また、今でも何か辛いことがあっても、
「あの経験に比べればはるかに楽」と思えるようになりました。

私は良く言えば向上心が強く、
悪く言えば現状に満足しない癖があるので
現状に不満を持ち始めると
「あの時と比べて、今の自分がどんなに恵まれているか考えてみろ!」と
自分に言い聞かせています。

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博士課程を棒に振って海外避難
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