プロフィール


菊川美代子

2012年3月に同志社大学大学院博士課程単位取得退学、2012年5月にオーストラリアへワーホリビザで渡航。
オーストラリアで2年間のワーホリ、NZで1年のワーホリを経て、現在はパートナービザ(Work Visa Based on Partnership)にてNZに滞在しています。
オーストラリアで出会ったアイリッシュのパートナーと永住権目指して奮闘中。
私のオーストラリアワーホリ体験談はこちら

→詳しいプロフィール

ご連絡はmiyoko.kikukawa★gmail.comまでどうぞ。(★を@に変えてください)

「普通の事務職」で永住権を取得できるという事実

 

現在の私はオークランドの街中心部にある会社で
秘書として働いています。

雇用された当初のJob Title(肩書き)は
Reception and Administration Support
(受付兼事務補助)でした。

その後、移民弁護士のコンサルを受けた時に

「そのポジションから昇進の機会はありますか?
というのも、Secretary(秘書)だとニュージーランド政府の
技能職リストに載っているので、
秘書だと三年の業務経験の後にワークビザが申請可能になります。

あるいはその三年の間に
オンラインコースでDiploma of Businessを取得すると
スポンサーをしてくれる会社さえ見つかれば
三年後に自力での永住権取得が可能になります」

とアドバイスを受けました。

受付のキャリアパスとしては、

受付

個人付秘書(Personal Assistant)
あるいは重役付秘書(Executive Assistant)

秘書

というように昇進していくのだそうです。

学位を取るためには学校で授業を受けねばなりませんが、
物理的に学校に足を運び教室に座って授業を受けるとなると
三ヶ月以上通うことはワークビザだとできません。

ワークビザはあくまでも就労のためのビザであって、
学校に通うには原則的に学生ビザが必要なので、
学校に通える期間は三ヶ月以内に限られます。

しかし、オンラインコースであれば
自分の都合の良い時に勉強できるので、
学校に通った期間を厳密に計算することは不可能。

そのため、オンラインコースだと
ワークビザで受講しても問題がないそうです。

秘書の業務内容がどんなものかネットで調べたところ、
私がしている業務内容と似たようなものでした。

そこで、従業員をスポンサーしない方針である現在の勤務先に

「こういう事情があるので、
昇給を求めるわけではなくただ肩書きを変えて欲しい。
そしてお金が貯まり次第コースを受講して学位を取る」

と会社の上司と人事部長に相談したところ、

「スポンサーはできませんが、できるだけのことはします」

と言ってもらえて、Job Description(職務内容)はそのままに
何と肩書きだけ変えてもらえました。

人事部長からも

「あなたのJob Descriptionは秘書としての職務内容と言っても
おかしくない内容なので、職務内容はそのままにしておきます」

とのことでした。

「外国で永住権を取るなんて、事務職の自分には無理なのでは?」
と思っている人が多いかと思いますが、
実はニュージーランドでは秘書を始めとして
かなりの事務職が技能職とみなされています。

自分のこれまでの仕事や職位が技能職リストに入っているかは
移民局のこのページからチェックできますので、
ぜひ見てみてください。

案外、道は開けているかもしれません。

日本語教師になってみた



 

「『は』と『が』の違いは何ですか?」

「何で『よんふん』じゃなくて『よんぷん』なんですか?」

ワーキングホリデービザにてニュージーランドに渡って一月後、
日本語を教えた経験もなく、
日本語教師の資格もなしの私は
パートタイムの日本語教師として教壇に立っていました。

 

 

ニュージーランドにワーキングホリデービザで来て
すぐに仕事を探し始め、
「大学院で高度な日本語運用能力を身に付けたので
日本語を教える仕事ができるかもしれない」と思いつき、
オークランドの日本語コースがある語学学校に
手当たり次第メールで履歴書を送っていました。

そのうちの一校から返信があり面接に呼ばれ、
何とパートタイムの日本語教師として採用されました。

当時、その語学学校は開校したばかりの
新しい学校でした。

元英語教師として日本を含めた色んな国に住んだ経験がある
20代後半のニュージーランド人女性が校長で、
今度新しく日本語のコースを開設するので、
そのコースの日本語教師第一号になって欲しいとのことでした。

その当時は学校の生徒数がまだまだ少なく、
フルタイムで人を雇う余裕もなかったため
その校長が受付もしていました。

今は生徒数がかなり増え軌道に乗ってきたので、
フルタイムの従業員を二人雇い、
新しい教師募集の面接の際にも模擬授業をやらせたりと
かなり本格的になってきているようです。

私の時は校長が面接の仕方を良く分かっておらず、
ほぼ世間話をしただけで採用になったようなもので
模擬授業など一切ありませんでした。

というか、模擬授業があったら採用されなかったと思います(笑)

これも縁ですね。

お給料は60分の個別レッスンだと時給25ドルで、
90分授業でなぜか30ドルでした。

採用から数ヶ月経った後荷値上げ交渉をして時給27ドル
90分授業で32.5ドルとなりました。

【「いきなり先生」就任】

 

幸か不幸か日本語コースが私の採用と共に開講されたので、
生徒数が最初は一人でした。

一人だとその生徒に合わせて教えればいいので、
日本での塾講師経験すらない自分には幸運でした。

いきなり何人もの生徒相手に団体授業というのは
外国語としての日本語を知らない自分には
無理だったと思います。

その生徒は20代のニュージーランド人の男子大学生で、
JET Programを利用して英語教師として日本に滞在したいので
日本語を学んでいるとのことでした。

その数ヶ月前に友達と日本の北海道へ旅行に行き、
その際の滞在先のホストファミリーと仲良くなり、
日本が大好きになったのだとか。

その彼は日本語をそれまで全く学んだことがなかったというのも、
私には幸運でした。

一緒に一から学んでいけますから・・・。

私は日本人なので日本語を母語として話せますが、
第二言語として日本語を学ぶ人相手に理詰めで教えられるような
知識を持ち合わせていません。

例えば、なぜ「練習試合」を「れんしゅうしあい」ではなく
「れんしゅうじあい」と読むか、など。

日本語ネイティブは子供の時から日本語に囲まれて
大量に記憶して脳が勝手に規則性を見つけて
自然に法則を身に付けますが、
外国語として日本語を学ぶ人にはルールが分からなければ
なぜ「1分」が「いちふん」ではなく「いっぷん」なのかなど
分からないのですね。

日本人が英語を学ぶ際に
「英語の語順は主語、動詞、目的語」
「副詞は形容詞の前に置く」
「命令形は主語を抜いて原型の動詞から文を始める」など
運用のルールを学ばないといけないのと同じです。

【「いきなり先生」辞任騒ぎ】



 

最初は1人だった生徒が3人、4人と増えていき、
日本語コースを開講した翌年の一月、
爆発的に生徒が増え9人のクラス1つと6人のクラス2つを
教えることになりました。

生徒が1人や2、3人なら何とかなってきましたが、
9人となると飲み込みが早い生徒と遅い生徒がいたり、
また一番下の初級のクラスは5週間でしたが
5週間で上のクラスに上げても問題がない生徒と
10週間経っても上のクラスに上げられない生徒が出てきたりと
クラス運営がとても難しくなってきました。

かといって、日本語の教師は自分一人なので
周りの教師に助言を求めてみるも、
ドイツ語やイタリア語など似た系統の言語の教師は
ひらがなやカタカナ、漢字などを教える必要がないので
あまり参考にならず。

韓国語、中国語、アラビア語の教師は同じ時間帯に授業がないので
顔を合わせる機会がなく助言を得られませんでした。

校長に相談すると、スペイン語の教師がベテランなので
彼女から助言を得られるよう場を設けると言われたのですが、
二ヶ月経っても実現の兆しがありませんでした。

何時間もかけて授業の準備をしているのに
うまくいかない授業計画しか作ることができず、
教室で生徒の分からなさそうな顔を見ながら
毎週三回の授業をすることに耐えきれなくなりました。

ある日、校長にメールで

「経験も資格もない自分にはうまく授業が出来なくて、
生徒に申し訳ないため辞任したい。
後任が見つかるまでは続けるので、
出来るだけ早く後任を見つけて欲しい」

と伝えると、すぐに半泣きの校長から電話が来て慰留されました。

「あなたはとても良い先生だからやめないで!
本当にあなたが自分で言う通りのダメな先生なら
生徒はとっくに退学してるはず!
パートタイムの学校だから生徒はいつでも辞められるのに
それでも彼らが残ってるのはあなたの授業に満足してるからよ!」

と言われ、少し心が揺れたので一日考える時間をもらいました。

確かに欠席率が高かったとはいえ、
それまでの生徒でやめたのは一人だけだったし、
生徒は大半が社会人となると仕事も忙しいだろうし、
週1回1時間半のレッスンなので
単に面倒になりやすいというのもあるのかなとも思いました。

 

 

さらに冷静に考えてみると、
バナナファーム倉庫でのような人手仕事じゃない限り、
仕事に何らかの困難は絶対についてくるものだし、
プロでも不十分な環境でパフォーマンスをすることが多いだろう、
それでは今後いわゆるReal Jobに就いた際の練習になるのでは?
と思い直し、辞めずに続けることにしました。

結局、その騒動の後すぐにスペイン語の教師から研修を受けられ、
たくさんの役立つヒントを貰って
多人数の生徒の授業をこなせるようになっていきました。

【辞任騒動から学んだ文化の違い】

 

校長から引き止められた時に言われたことは、
私は何でも真剣に捉えすぎている、ということでした。

いくらプロであってもいつでも100%出来るわけじゃないし、
訓練を受けてないとか資格がないというのは本当だけど、
毎回学んでいってるじゃない!と。

よく考えてみれば、これが本当のOJTだったという・・・。

日本では上述の私のような状況になった時には
頑張るか、辞めるか、手の抜き方を覚えるか、ですが、
西欧圏には「不貞腐れる」というオプションがあるそうです。

自分に出来ることであればフォローをして挽回しようと
頑張ったり謝罪をしたりして何とかしようとするのですが、
フォローが不可能となると、不貞腐れて何もしないのだそうです。

「自分に出来ることはやった。
だから、今の状況は自分のせいじゃない」
と。

そして、そのまま平気で仕事を破綻させてしまうのだそうです。

私のアイルランド人の彼氏も、

「君は最善を尽くしてるんだから、
あとはもううまくいかなくても仕方ない。

自分のせいじゃないんだし、堂々としてたらいい。

授業がうまくいかないとか、色々と真剣に捉えすぎ。

その学校はフルタイムじゃなくてパートタイムなんだし、
学生ビザも出してないんだから、みんな気軽に来て、
何か楽しいアクティビティーでもして学んだ気になりたいんだよ。

本気で勉強したいなら多分フルタイムの学校に行くよ。

別に生徒の出席率が悪くても退学さえしてないんなら
生徒は在籍し続けることに文句はないわけで生徒はハッピー、
学校にお金が入り続けるわけだし学校はハッピー、
君もお給料が入るからハッピー。ほら!Win-win-win!」

…と、その時の私に以下のアドバイスをしてくれました。

これが西洋の仕事に対する考え方か、と。

その時点で海外に出て約二年半経ち、
あらかた西洋文化を知ったつもりでいましたが
毎日新しいことの勉強だと改めて感じました。

だから、この場合の私の対応は
「授業やってて上手くいかなくても、私のせいじゃない」と
傲然としておく、というのが何と正解だったようです。

日本人にはなかなか難しいですが・・・。

文句言われるかもしれないけど、
文句を言っている人も仕事に人格や能力をリンクさせないので、
そこまで気にしていないからこちらが気にする必要もないと。

 

 

【円満退社にて「いきなり先生」辞任】

 

結局、日本語教師は一年半続けたのですが、
やはりパートタイムで貯金をすることが困難だったので、
フルタイムの仕事が決まったことをきっかけに辞めました。

といっても、そのフルタイムの仕事は
校長が紹介してくれたおかげで決まったのですが・・・。

フルタイムの仕事を探していると話していた私に、
日系の会社がバイリンガルの日本人を探しているという話を
私に持ってきてくれたのです。

校長には本当に良くしてもらってばかりでした。

フルタイムの仕事が決まってからも
しばらくは掛け持ちで日本語教師の仕事も続けていたのですが、
新しい仕事が始まって二週間目に
色々あってその当時住んでいたシェアを追い出されることになり
バックパッカーに引越しか、
そうでなければホームレスになるかという状況になりました。

自分は仕事を始めたばかりで休みが取れず物件の見学に行けない、
彼氏は追い出されて気落ちしていて
動けずあてにならないという状態で、
私はストレスで発狂しそうになっていました。

そんな私の状況を知った校長が、何と

「私とパートナーは数日後から一か月間日本旅行でいないから、
その間行くところがないならタダで住んでいい。
どうせもともと誰も住まわせる予定がなかったから
家賃は自分たちで払うつもりだったし」

と申し出てくれました。

校長がその申し出をしてくれた時に
学校で話していたのですが、

「外国に住んでいると、家族から何も助けを得られないでしょう。
家族はとっても役に立つの。いっぱい助けてくれるし。
あそこにある教室にあるテーブルは、
私が子供の頃に夕食を食べていたテーブルなの。
私がこの学校を始めた時も家族はたくさん助けてくれた。
助けが必要だったら何でも言って。
あなたは家族なしで外国に住んでいて、それはとてもしんどいこと。
だから私が助けてあげる」

とニコニコと言われて、涙を堪えるのが大変でした。

その後すぐに授業があったので
泣いて顔をぐちゃぐちゃには出来ない、と思い
「ありがとう・・・」と絞り出した涙声でお礼を言うのが精一杯でした。

今でも思い出すと泣きそうになるのですが(笑)、
人ってここまでしてくれるんだ…と暖かかったです。

さすがに家賃は出すと申し出ましたし、
結局は新居が早く見つかったので
校長の家には滞在することはなかったんですが、
そうして助けを申し出てくれたことが嬉しかったです、

辞めることになった時も、
「後任の人が体調不良などで来れない時には
いつでも呼ぶから、まだこの学校の一員だから送別会はなしね!
あなたの最終日は永遠に来ないのよ!」
と言われ、
本当に人に恵まれた職場だったなと胸が温かくなりました。

今の自分があるのは、
その学校で仕事をしていたおかげだと思います。

被爆を気にする人が潔癖症に見える理由とは?

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私を含め、いわゆる「放射脳」の人達は東日本由来の物を徹底的に避けます。

しかし、日本にいる限りいくら気をつけても避け切れないし、
海外に出たとしても私のように日系の会社で働いていると
避け切れません。

「放射脳」の人達が日本または海外でも日本に関連する職場で困るのが
東日本からの郵便物や出版物
です。

現在私はニュージーランドに住んでいますが、
日系の会社で働いているため
仕事上毎朝日本からの郵便物を開封して配らなければならず、
塵が自分の服などに付着しないように
なるべく自分の体から離してそっと開封しています。

配り終えたらすぐに石鹸で手を念入りに洗うか、
それができなければ机の上に常備しているウェットティッシュで拭き、
郵便物が置いてあったのが自分の机ならそこも丁寧に拭きます。

オセアニア地域への郵便はFedEx等の外資系でない限り
全て東京経由で送られてくる
からです。

日本の本や雑誌なんかも、日本の出版社は東京に一極集中なので
もう全て避けています。

本を買いたければ電子書籍版を買うか、
電子書籍版がなければAmazonで本を買い、
いわゆる「自炊業者」を送り先に指定して
本を裁断してスキャンしてPDFデータにして
送ってもらえるサービスを利用しています。

というわけで、職場での私は頻繁に机や手を拭いているので
完全に潔癖症の人のような目で見られています(笑)

しかし他人の目よりも被爆防止のほうが大事なので
何も気にせず今日もせっせと手や机を拭き続けています。

原発事故後五年半経っても声を上げ続けられる秘訣

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早いもので、福島第一原発事故が起こってから約五年半が経過しました。

事故当初から半年間は、放射線に関する知識も何もなかった私は
全く気にせず何でも食べて過ごしていました。

幸いにも関西から出る機会がなかったので、
呼気被爆は相当防げました。

半年経つと原因不明の湿疹のようなものが腕の皮膚に現れだし、
免疫力が下がっていないと出ない病気にかかりました。

それで、「もしかして」と思い至り調べてみるうちに
「放射能が原因なのでは?」という結論に達し、
それから数ヶ月は、全然放射能を気にしない周りの人を心配して
「危ない」「気にした方がいい」と訴えかけていました。

しかし、そうすると理解してもらえなかっただけではなく、
気がおかしくなってしまったような扱いをされたりしました。

自分と近い人達だからこそ心配してつい口に出してしまうのですが・・・。

ほとんどの場合はカルト宗教にはまった人のような扱いを受け、
良くて神経質な人扱いをされるだけだったので
私はそのうち口を噤むようになりました。

自分がどんなに言っても相手の考えは変えられないし、
変人扱いされたり嫌われたり攻撃されるだけ。

どうせ変わらないのが同じなら、
何も言わない方が嫌われないし攻撃されない方がいいと。

相手が日本人でない場合は攻撃はされませんが、
きょとんとされるだけで理解をしてもらえた試しがほぼありません。

散々危険だと話しても、その後に日本の、それも東京に旅行に行って
刺身などの海産物を堪能したと聞かされ脱力したことが何度かありました。

しかし、元からある程度は危険と分かっている人もいるようで、
「震災後に日本に旅行に行ったけど西日本以外行かなかった。
空港も関西国際空港を選んだ」という香港人や、
「日本はこれから甲状腺がんが増えるだろうね。
スイスでもチェルノブイリ後にとても増えたから」というスイス人もいました。

そういう人の絶対数は非常に少ないですが・・・。

幸い、最近では放射能を気にしていないながらも
私の考えを受け入れてくれる仲間に恵まれています。

それで、自分に無理のない範囲で細々とでも危険性を伝えていこうと思い、
オフラインで放射能のことを口にする機会はめったにありませんが、
オンラインの掲示板やこのブログなどで自分の考えを発信することにしました。

「実学でなければ勉強する意味がない」という嘘

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私は日本では大学院生で、専門はキリスト教神学でした。
日本思想史も少し齧りました。

「何でそんな勉強をしたの?何の得があるの?」と
本当に良く聞かれます(苦笑)

神学に限らず、会社に雇用されやすくなる、
お給料が高くなるなどの効果が期待される
工学や医学、会計学などのいわゆる「実学」ではない
文学、歴史学などの「虚学」を学んだ人に対する
風当たりは厳しいものがあります。

研究職などその学問の教職に付くならば別ですが。

オーストラリアに渡り、
自分のような言葉の不自由な短期ビザの外国人は
エンジニアや医療系のスキルなどの「手に職」がなければ
カジュアルではない仕事を見つけるのは難しいと思い知りました。

「実学を学び、手に職をつけていれば」と何度悔やんだか
数え切れないほどです。

しかし、それでも私は「虚学」を勉強して良かったと思っていますし、
後悔は一切ありません。

「何年も掛けて学んだ分野に関連してない職種に就くなんて
君は多大な時間とお金を無駄にした、
専門分野を選ぶ前にきちんと考えるべきだった」
という不要な助言をしてくる人が稀にいるのですが、
そもそも自分が何がしたいかなんていまだに分かりませんし、
将来お金になるかどうかだけで何を勉強するかを
選ぶべきではないと私は思います。

もちろん生計を立てる必要があるので、
そういうことを考えるのも大事ですが・・・。

そもそも、学問は人生を豊かにするためのものであって、
お金になるかならないかという動機で始めるものではないと
私は思います。

別に学んだ分野に直接結び付けられる職種に付かなくとも、
お金になるからという理由だけでしか勉強しないのは空しいです。

しかし、資本主義の社会ではお金を稼がないと生きていけないし、
お金を稼げば稼ぐほど「いい暮らし」ができますので、
「実学」以外は「何の役にも立たない」と軽んじられてしまうのも
悲しいですが必然とも言えます。

しかし、「実学」ではない知がないと世の中は殺伐としてつまらないし、
同時に大変危険だと思います。

それは、「実学」を使うのは人間であり、
人間は感情と思想で動く生き物であるからです。

例えば科学は実学の最たるものですが、
19世紀においては、女性が男性より劣っていることは
「科学的に」証明されていました。

第二次大戦下では、
ユダヤ人がアーリア人よりも劣った存在であると
ナチスの学者たちが「科学的に」証明しました。

まず前提となる思想があり、それを「証明」するために
後から科学が使われたのです。

このように、ある事柄について「実学にて証明された」という合意が
社会で一旦できてしまうと、ひっくり返すことは非常に難しくなり
修正に長い期間がかかります

ですから、これまでの歴史、また歴史を生きた人間の思想に通じることは
実は最大の「実学」
なのではと思います。

私個人の例でいえば、2011年の東日本大震災以降に
日本政府と国民の思想の再右傾化を即座に感じ取ることができ、
気がついてから速やかに日本脱出を図って実行に移せたという
経緯があります。

「実学」が専門の人でも聡明な人は同じように
社会の思想の潮流を感じ取ることができるのでしょうが、
自分のような平凡な人間は「虚学」を専門にしていなければ
感じ取ることができなかったと思います。

ですので、「虚学」の学徒は肩身の狭い思いをせず、
堂々と胸を張っていれば良いと思います。

時代の転換点にいち早く潮流を読むことができるのは
何物にも変えがたい強み
です。

ニュージーランドでの医療が無料とは本当か?

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ニュージーランドでは、国民、永住権者、
二年以上滞在できるワークビザの持ち主は
公共医療を無料で受けられます。

公立の病院だと手術も入院も無料です。

日本では体調が悪くなると専門医に直接足を運びますが
(目の調子が悪いなら眼科、耳なら耳鼻科など)
こちらではGPと呼ばれる一般医にまずかかります。

GPは専門医ではなく、
広く浅く全ての分野を知っている医師です。

GPにより専門医による診断、治療が必要と判断された場合は
GPが紹介状を書き、専門医に紹介をします。

専門医は紹介状がなければ診察をしてくれません。

GPでの診察料はかかるGPによりますが、
大体60-80ドルほどです。

Primary Health Organizationという
ニュージーランドの国民健康保険のようなものに加入し、
さらに特定のGPをかかりつけ医として登録すると、
そのGPでの診察料は15-30ドルほどとなります。

CBDにあるGPはかかりつけ医として登録をしても
診察料が60ドルと高額だったりしますが…
(登録をしなければ80ドル)。

専門医の診察と治療は大変高額で
10分の診療でも300ドルほどしたりします。

手術となると公立病院では無料ですが、
待機期間が長く緊急でなければ診てもらえません。

待機期間が長すぎて患者が死亡してしまうケースも…。

一方、私立病院だと比較的早く診てもらえますが、
治療にかかる費用がすべて自費なので大変高額です。

ですので、経済的に余裕がある人は
民間の保険に入り、私立病院で治療を受けています。

公共医療が無料の国で
そもそも何で民間の保険に入らないといけないのか、
という疑問はありますが。

最近パートナーが手術が必要かもしれないということで
手術代を心配していたので調べてみた結果、
公立病院だと無料ということで安心しました。

自分は一人で生きていけると思っていたのに・・・

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私は日本を出てからというものの、
人間の暖かさをとても感じるようになりました。

居住国の言語である英語をうまく操れないというのは
様々なハンデを背負うことであり、
日本では自分一人で何の問題もなくできていたことができなかったりします。

うまく話せず理解してもらえなかったり
相手が言っていることが分からなかったりして、
一人前の扱いをされない屈辱を受けたりもします。

オーストラリア滞在六ヶ月目に銀行に口座開設に行った時は、
自分が質問しているのに、行員は自分の隣に座っている
ネイティブの配偶者の方ばかり向いて答えていて
自宅に帰ってから悔し泣きし、配偶者に当たり散らしていました。

同じ週に手の皮膚が荒れていたので薬局に行きたかったのですが
説明が分からないかもしれないので配偶者についてきてもらい、
薬の塗り方や頻度など私の横で聞いてもらいました。

自分では3割ほどしか分からなかったので・・・。

29歳にして自分に処方される薬、
自分の体のことなのに説明を理解できないことが
とても情けなく、悲しい気持ちでいっぱいでした。

その一方で、来たばかりの国には家族や親戚、友人がいないので、
自然と見知らぬ他人の好意にすがる機会が多くなります。

方向が分からずに道で地図を広げていると
「大丈夫?」と色んな人からにこやかに声を何度も掛けられました。

降りるべきバス停を乗り過ごしてしまって運転手に尋ねると、
他に乗客がいなかったので
タクシーのように目的地の目の前まで運転してくれました

多くの人が自分の拙い英語を一生懸命理解しようと耳を傾けてくれたり、
ゆっくりと話してくれました。

他人の好意に頼らなければ生きていけない環境に行くことで、
自分は初めて人の温かさに気づきました。

日本では母国で勝手が分かっており、ビザや言語の制約もなく、
「自分は一人で生きていける」と思い込んでいましたので・・・。

日本では道端で知らない人と目が合っても目をそらすだけですが
こちらの人は微笑み合うことが多く、
それがきっかけで少しの間お喋りをすることさえもあります。

とにかく人との距離が近いです。

私は日本にいた頃には知らない人には話しかけませんでしたが、
こちらに来てからはかなり話しかけるようになりました。

全ての人がそうというわけではないですが、
ほとんどの人にとって互いに100%善意で接するのが普通なので
懐に飛び込むのが怖くないという感じです。

日本で「人が冷たいなぁ・・・」と感じている人は
オセアニア地域を訪ねてみても良いかもしれません。

計画通りに行くのが良い人生とは限らない?

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「一年後にどこで何をしているかさっぱり見当がつかない人生」

…というと、日本人的な一般的な感覚では
おそらく非常に不安定な響きでしょう。

計画性というのもがないのか、と。

でも、一度そんな人生を送ってみると、
楽しくて仕方ありません(笑)

未来は分からないことだらけで、
でもだからこそ人生は楽しいのだと。

早いもので、日本を飛び出してから早4年が経ちました。

 

 

私が日本を出たのは2012年5月26日です。

毎年、一年前のその日の自分からは
想像もできない状況に自分が置かれています。

今年の5月26日はシェアメイトがいないユニットに配偶者と住み、
フルタイムでCBDにある日系企業で
受付兼秘書としてオフィスで働いていました。

 

 

一年前の同じ日はWork Visa based on partnershipの申請中で
ビザが降りるか毎日不安でした。

仕事はパートタイムの日本語教師しかなく、
貯金が全くできませんでした。

シティーにあるシェアに住み、
嫌なシェアメイトに当たっていたので
早く引っ越したいと毎日願っていました。

二年前の同じ日はオーストラリアでのワーキングホリデーを終えて
ニュージーランドに来たばかりでした。

彼と二人でバッパーに泊まり、
すぐに引っ越しできるシェアを探していました。

三年前のその日はオーストラリアでの一年目のワーホリを終え、
シドニーで仕事を探していました。

仕事がなかなか見つからず、
彼に養ってもらっていました。

200連敗を覚悟しながら毎日レジュメを配り歩いていました。

四年前のその日はオーストラリアに到着したばかりで
これから外国で、たった一人で自分がやっていけるだろうか…と
緊張していました。

一刻も早く日本を出たかったので、
少ない貯金額で現地に行ったため金銭的余裕がなく
仕事をすぐ見つけなければ、と焦ってもいました。

きっと来年のその日も、
今の自分からは想像できない場所にいて
想像できないことをしているのだろうなと思います。

 

 

そもそも、人生において自分がコントロールできることは
実はとても少なくて、周りの変化や運により
簡単に左右されてしまうのが実情だと思います。

日本にいる時や渡豪当初は
物事が計画通りにいかないことに苛立っていましたが、
あまりに変化が多いので、
変化が起きることに慣れてしまいました(笑)

 

自分が変えられるものは最善を尽くして変え、
自分が変えられないものは受け入れて楽しんでしまおうと。

変化を恐れるのではなく
楽しんでしまえというように考えが変わりました。

同じ国で一年半頑張ってみると得られる意外な果実

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海外に住んでいるというと
「憧れる」「かっこいい」というイメージがありますが、
実際に住んでみるとそのイメージは崩されます。

 
外国に住むというのは、
自分が持っているビザの種類により
就労や就学に制限が課されたり、
言葉の壁や文化の違いといった苦労がありますので
やはり生半可なものではありません。

母国にいる家族と親族、友人と離れ離れになりますし、
人種差別をされることもやはりあります。

しかし、自分の経験では、一年半一つの国に住み続けると
その国に住むことが徐々に楽になってきます。

私はこれまでオーストラリアとニュージーランドに
二年ずつ滞在し、合計で約四年間海外に住んでいます。

 

オーストラリアではAPLaCの田村さんにお世話になったので、
田村さんと、自分の同期の人達と到着初日に繋がりができました。

ニュージーランドではオーストラリアでできた配偶者が
私より先に現地にいてすぐ合流したので
顔見知りすらいない国に完全に一人…
という訳ではありませんでした。

それでも、家族や親戚、友人と同じ国にいないのは
やはり心細いものです。

仕事も手に職がある訳でもない私は、
オーストラリアでは到着当初は
法定最低賃金以下の単純労働のものしか見つからず。

ニュージーランドでも最初の一年半は
パートタイムの日本語教師の仕事しかなく
経済的に余裕のある生活をできませんでした。

また、どちらの国でも最初は新しい生活に慣れるのが精一杯で、
生活にやっと慣れてくると、
ふと「私は何で外国でこんな苦労をしているんだろう?」と
悲しくなることもありました。

「大学院の博士課程まで親のお金で行ったのに、
わざわざ外国でこんな低賃金の単純労働をして…
何て親不孝なのだろう」と。

また、人見知りな私は知り合い程度はたくさんできたものの、
友人となるとなかなかできませんでした。

学校や仕事場で話すくらいの間柄の人はできても、
プライベートで会うほどの仲にはならず。

シェアメイトとは仲良くなれたとしても、
基本的に家具付きの家に暮らしているのは
ワーホリなどの短期ビザの人が中心なので
旅に出たり母国に帰ったりで、運の巡り合わせもあるのか
すぐに離れ離れになることが多かったです。

ところが、一年半ほど住み続けてみると
どちらの国でも友達が少しずつできてきて、
良い仕事も見つかり、物事が軌道に乗ってくるようになりました。

 
オーストラリアでは一年半が経った頃に
とても良いLanguage Exchangeのパートナーに恵まれ、
今でもたまに連絡を取るほど仲の良い友達となりました。

また、仕事も倉庫での単純作業でしたが
それまでの仕事に比べてとても収入が上がった仕事を
フルタイムですることができました。

さらに、その仕事の同僚達が良い人で、
プライベートで遊ぶほど仲の良い友達になれました。

オーストラリアにもっと滞在していたいとは思っていましたが、
残念ながらビザが二年しかなかったので
ニュージーランドに渡りました。

ニュージーランドでは一年半経った頃に
パートタイムでしていた日本語教師の仕事の上司の紹介で
日本語と英語を話せる受付のポジションに応募したところ、
幸運にも採用されることになり、自分には日本でも未経験だった、
正社員としてのフルタイム雇用を手に入れました。

また、オーストラリアと同様苦戦していた友達作りも、
先月に諸事情から短期のシェアメイトを募集したところ
その人がとても良い人で友達になりました。

週末はその人とマーケットに行って美味しい物を食べたり
車の運転を教えてもらったりと、楽しい時間を過ごしています。

基本的には、滞在の予定が長期であればあるほど、
「辛くても自分はこの期間この国で生きていくのだ」と
腹をくくる必要があります。

辛くなり帰国の選択肢が頭をよぎることがあると思いますが、
だまされたと思って、
一年半だけもがいて最善を尽くしてみてください。

そこにいるだけでどんどん現地で人と知り合っていきますし、
その国にも詳しくなっていきますし、
状況はどんどん良くなっていくはずです。

しがらみがなくなれば幸せだと思っていたのに…

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ここ一か月程、パートナーが東南アジアへ一人旅に出かけていて、
その間一人で家賃を払うのは高いため
シェアメイトを期間限定で入れています。

そのシェアメイトは30代前半のポーランド人女性の医師です。

ポーランド出身で4歳の時に両親とカナダへ移民し
カナダで10年過ごした後ポーランドで大学教育を受け、
その後仕事で訪れたニュージーランドでキウイ男性と恋に落ち、
つい最近その男性と別れたという経歴の持ち主。

彼女は医師という、まさに文字通りの「手に職」がある人であり、
その気になれば世界中どこにでも移民できます。

選ぶ国によっては言葉の壁があるとは思いますが…。

彼女は旅行が大好きで、何か月か働いて貯金しては
三か月ほどの世界中を旅行しています。

私からすればうらやましい限りの生活を送っている彼女ですが、
当の本人の心情は少し複雑なようです。

「自分がどの国に住みたいか分からない。
自分の仕事はどの国でもできる仕事だし、
恋人もいないし何の縛りもなくて、
生まれてからずっと過ごした母国というものもないし」
と…。

 

 

なるほど、立場が異なれば違う悩みがあるのだなぁと
私なんかは感心してしまいました。

 

 

私は放射能汚染から逃れたいので、南半球にある英語圏で、
ワーキングホリデービザで最大二年間滞在できる
オーストラリアが最善の避難先だったので
オーストラリア行きを迷いませんでした。

そしてオーストラリアのシドニーに渡ってからは
すぐ語学学校に二か月半申し込んだので、
まず二か月半は絶対にシドニーにいなければなりませんでした。

その二か月半の間に現在の配偶者となる
同じくワーキングホリデービザのアイルランド人の彼と出会い、
どちらかのビザが取れ次第事実婚をしようという話になり、
彼と別居するという選択肢がなくなりました。

事実婚では「事実上、夫婦のように暮らしている」ことを
証明しなければならないので、
事実婚申請を考えるならば原則として長期間の別居はできません。

つまり、一人で行き先を決めることができなくなりました。

それに伴い、その時いた都市以外で仕事を探すという選択肢は消え、
手に職がない自分は彼の仕事がある都市、
つまりシドニーでカジュアルでも何でも
手当たり次第で探すことになりました。

二年目のワーキングホリデービザを取るためのファーム仕事も
彼が先にビザの期限が切れるので、
友達を頼り旅立っていた先へ
別居ができないため何も考えずに私も旅立ちました。

ファーム仕事を終えた後は、
彼がすぐ仕事ができるコネのあるシドニーに再び滞在しました。

その後はパースへ飛び一か月ほど仕事探しをしたりしましたが、
二人とも仕事が見つからずまたまたシドニーに滞在。

そのうち彼はワーホリビザが切れてニュージーランドに行き、
その三か月後私のビザも切れたので私も彼のいる場所へ。

私は放射能汚染からできるだけ逃れたいので
オーストラリアで滞在を延長できなければ、
南半球で英語圏のニュージーランドが次善ですので…。

こうして書き出してみて気づいたのですが、
彼が行きたい場所へ先に旅立ち
私が後から追いかけるパターンが多いです(笑)

別居という選択肢がないので…。

住みたい都市を自分で決めることができなかったので、
彼と付き合い始めてしばらくはよくイライラしていました。

「彼さえいなければ自由で、
自分の行きたい所にどこへでも行けるのに」
と。

しかし、これは翻って考えてみると、
常にどこに行けばよいかが明確なので
どこか足元が定まらなくて覚束ないような、
心許ない感じとは無縁ということで
ある意味では恵まれていたともいえます。

彼の存在は悪く言えば「しがらみ」なのでしょうが、
良く言えば「自分がいるべき場所」であり
全てを相談できる誰かがいつも自分と一緒にいる…
という心強いことでもあります。

現在はニュージーランドにいますが、
彼はありがたいことに私と離れたくないらしいので
頑張ってこちらでワークビザを取ってくれ、
私を配偶者として彼のビザに乗せてくれました。

「君がいなかったら、俺はオーストラリアを出た後は
東南アジアを旅してからアイルランドに戻ってただろうな」と
話しています。

ニュージーランドに来てから
一晩だけ彼と別れたことがあったのですが(笑)、
悲しいのはもちろんのこと
「今後どこに行って何をしたら…」と途方に暮れました。

ただの痴話喧嘩のようなものだったので
翌朝復縁しましたが(笑)

彼は彼で、別れていた間「今の自分は彼女がいなかったら、、
もはやどこで何をしたらいいか分からない」と考えた
そうです。

しがらみは出来るだけない方がいい、と思っていたのですが、
実はしがらみがあるのは幸せなことでもあるのかもしれない、
とふと思いました。