プロフィール


菊川美代子

2012年3月に同志社大学大学院博士課程単位取得退学、2012年5月にオーストラリアへワーホリビザで渡航。
オーストラリアで2年間のワーホリ、NZで1年のワーホリを経て、現在はパートナービザ(Work Visa Based on Partnership)にてNZに滞在しています。
オーストラリアで出会ったアイリッシュのパートナーと永住権目指して奮闘中。
私のオーストラリアワーホリ体験談はこちら

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ご連絡はmiyoko.kikukawa★gmail.comまでどうぞ。(★を@に変えてください)

「ダーリンはアイルランド人」

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オーストラリア人の彼氏を捕まえるはずが、
アイルランド人の事実婚の配偶者になってしまいました。

 

 

何のスキルもない私が永住権を取れる最速かつ簡単な道は
結婚移民のはず・・・。

オーストラリアに二年も滞在していれば、
オーストラリア人の彼氏ができて
そのまま結婚して永住権を手に入れられるかもしれないという
甘い目論見を持っていたこともありました(笑)

 

ところが、実際には彼氏はできたものの、
それはオーストラリアのバッパーで出会った
「ワーキングホリデーの外国人」という同じ立場の
アイルランド人でした。

その二年と少し後には、お隣のニュージーランドで
ワークビザを取った彼の事実婚の配偶者として
ニュージーランドに滞在していますから、
人生わからないものです。

どちらも外国人である国で暮らすのは、
たくさんのハンデを背負うということでもあります。

永住権を手に入れるためにはスキルを持っていなければならず、
ビザ申請費用も二人分で高額だったりします。

片方は母語が英語で言葉の壁がないとはいえ
それでもやはり外国なので法律がわからなかったり、
地元の人なら誰もが知っている当たり前の情報を
二人とも持っていないというのが不便です。

さらに、お互いにとって外国である国で暮らすというのは
どちらからの家族の助けもないので簡単ではありません。

二人とも外国人状態になり苦労が見えてる相手と
どうして事実婚の配偶者にまでなったのか?とたまに聞かれますが
「そういう縁だったから」としか言いようがありません(笑)

【「ド貧乏インテンシブコース」履修】

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私は日本ではずっと実家暮らしで、
学生だったので貯金する余裕がなかったものの
お金に苦労したことがありませんでした。

 

放射能からの避難のために
ワーキングホリデービザでの渡豪を決めた時点で、
私は博士課程三年目の学生でした。

「これまで実家から出たことすらないのに
海外でやっていけるだろうか?」という不安がありましたが、
後に渡豪以来人生のメンターとなる田村さんから
「日本食レストランですぐに仕事を見つければ
黒字は無理でも赤字にはならない」と背中を押してもらい
渡豪を決めました。

そしてシドニー到着後10日以内にシェアに引越し、
二週間以内に近所の日本食レストランで
ウエイトレスの仕事が見つかりました。

これでもう赤字にはならないと一瞬思いましたが、
これが本当の試練の始まりでした。

バイトの初日に仕事を終えて23時に帰宅すると、
オーナーが毎晩21時に静かな環境で寝たいので
このシェアは門限が21時であること、
21時までに必ず帰宅して欲しいことを伝えられました。

これはこの時に初めて言われたのではなく、
実は見学の際に言われていました。

それなのに、当時の私の英語力ではそれが理解できず
シェアがなかなか決まらずあせっていたので
ただ「OK」や「Yes」などと言って
分かったふりをしてしまっていたのです。

当時通っていた語学学校では中上級のクラスでしたが
読み書きはそこそこできたものの会話が問題でした。

そんな状態でさらに特に技能があるわけでもない
1つの職場で最大半年しか働けない人間を
いくらたくさんの所に応募し続けているとはいえ、
非日系のローカルの職場が雇ってくれるはずもありません。

平日は語学学校が朝から16時まであり、
夕方からしか働くことが出来ません。

どのレストランもディナーのための営業開始は
17時か18時から。

唯一雇ってくれた日本食レストランは18時開店で、
その門限でクビにされるということはありませんでしたが
21時15分に上がるしかなくなってしまいました。

そもそも、研修中のスタッフを毎日入らせてくれるはずもなく
週2日や3日ほどの勤務が続き、一回3時間15分のみの勤務。

さらにそのレストランは政府に税金を払っておらず
最低時給15ドルのところを違法低賃金の基本給10ドル、
しかも研修中だからと何の断りもなく8ドルにされていました。

他の日本食レストランを当たっても、
結局はどこも忙しい22時か23時まで入ってくれる人材が欲しい、
ということで断られたり、
雇ってもらってもシフトに入れてもらえないことが続きました。

そうこうしているうちに赤字はどんどん大きくなり、
渡豪から二ヶ月が経つととうとう有り金が尽きて、
近所のバックパッカーに移動しました。

シェアだと家賃を現金払いか口座振込みで払う必要がありますが、
バックパッカーだと日本から持ってきたクレジットカードで支払え、
バイトでもらう現金を手元に残しておけるからです。

といっても日本円でも手持ちもなかったので
親に頭を下げて私の日本の銀行口座にお金を振り込んでもらい、
宿泊費を何とか払っていました。

さらに、その時点で田村さんから
700ドルも貸していただいていましたが、
それも尽きて移動したという借金持ちにもなっていました。

 

普通はバックパッカーの宿泊費の方が
シェアの家賃より高いのですが、
その当時、そのバックパッカーは初回の宿泊者に限り
10日間まで一泊10ドルというキャンペーンを行っていました。

 

 

【救いの手が差し伸べられた瞬間】

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人生初のバックパッカー暮らしになったその日の夕方、
出入り口近くのガレージに置いてあるソファーに座っていると
ギターを持った青年がたまたま通りかかりました。

 

「今日引っ越してきたの?俺ブライアン!よろしくね!
スキヤキっていう日本の歌知ってるよ」と人懐っこい笑顔で語り、
「上を向いて歩こう」という邦題の歌を弾き語りし始めました。

興味のない歌の弾き語り終了後に「どうだった?」と聞かれたので
「その歌を知らないけど、良かったと思う」と適当に答えると
「日本人がこの歌を知らないなんて嘘だ!」と粘着され、
「あっち行ってくれないかな・・・」と内心鬱陶しかったのですが、
この青年が私の未来の事実婚の配偶者になるとは
人生とはわからないものです。

その翌日と翌々日に泥酔した彼が私に失礼な振る舞いをしたので
彼を避けよう、できれば二度と話すまいと思っていたのですが、
語学学校の帰りにスーパーで買い物をしていると
仕事帰りの彼に声を掛けられました。

 

「なぜここに・・・逃げないと」と必死で考えていると
「良かったら、今日俺が夕食作るから一緒に食べない?」と
何故か室内なのに大量に汗をかいている彼に誘われ、
貧乏だった私は三秒ほど迷いましたが
タダ飯につられOKを出しました。

あとから聞いた話では、
料理が得意な彼は先日の無礼を料理で挽回しようと考え、
私に夕食をご馳走してお詫びしようと
仕事帰りに職場近くのスーパーに行き、
材料を買い出ししていたんだそうです。

 

すると買い出しに行ったスーパーにたまたま私がいて
思わず話しかけたそうです。

つい話しかけたものの、嫌われてるだろうな・・・と思うと
緊張して汗をかき始めてしまったのだとか(笑)

その日を境に一緒に晩御飯を食べるようになり、
気がつけばそれが私の仕事がある日以外は
ほぼ毎日になっていました。

彼が材料の買い出し、料理、洗い物の全てをしてくれるという
至れり尽くせりの状態でした。

といっても私は心を開かず、
彼の質問に答えるだけで自分からは質問せず、
タダ飯を堪能するとすぐに自分の部屋に戻るという
失礼な態度でしたが・・・。

その当時は今よりも英語が出来なかったので
英語でどう会話していいか分からなかったというのもありました。

一緒に食事をするようになり何日か経ち、
食事中にふと「今日仕事はどうだった?」と聞くと、
彼が驚いた顔で食べるのを止めてフォークをお皿に置き
「やっと俺に質問してくれたね!!」と感激していました(笑)

 

 

当時私はバックパッカーからバスで1時間ほどの場所にある
日本食レストランでバイトをしていましたので、
私がバックパッカーに帰る時間には
朝が早い仕事の彼はすでに寝てしまっていました。

そんな日は、彼は台所に作った夕食を取って置いてくれていました。

慣れないウエイトレス仕事で疲れた帰り道に携帯電話を見ると

「台所に今日の夕飯があります。
アルミホイルをかけてあるボウルの中に入っているので、
帰ってきたら暖めて食べてください」

などという彼のテキストがいつも入っていました。

「母親みたい。何でここまでしてくれるんだろう・・・」と
心を動かされる日々が続き、次第に心を開いていくようになりました。
その間の週末は、私が貧乏なことを知っていた彼が
全部支払ってくれてデートに出かける日々でした。

こうして書くと長い期間のように見えますが
結局は出会ってから一ヶ月で付き合うことになり、
その二週間後にはバックパッカーを出て同棲を始めました。

同棲を始めて一ヵ月半ほどで
ワーキングホリデービザの二年目の権利を取りに
彼はクイーンズランド州にあるバナナファームへと飛び立ち、
その一ヵ月後に私も彼を追って同じ所に行きました。

【リアル「細腕繁盛記」】

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彼は「ワーキングホステル」という、
宿泊することで仕事の斡旋が受けられるバックパッカーに
滞在していました。

 

オーストラリアでは、政府の指定する田舎へ行き
そこで季節労働をすると二年目のワーキングホリデービザの
権利がもらえます。

彼の一年目のビザの期限があと五ヶ月と迫っていたので
彼は私より早くファームへと旅立ったのでした。

私と彼はそれぞれ違うバナナファームで仕事をもらって
働き始めました。

私が働いているファームは仕事が週5日ありましたが、
彼が働いているファームは不作で
仕事が徐々に少なくなっていきました。

仕事が減り続け彼のお給料が少なくなり
最後の一ヶ月はシドニーでの立場が逆転し、
私が彼を養っていました。

しかし、滞在していたバックパッカーのレントは高額で、
彼を養うと貯金が全く出来ないどころか
崩していかないといけないほどでした。

 

毎日金欠で二人とも余裕がなくなり、
それまでは表面に出ていなかった価値観の違いが露出し始めて
喧嘩ばかりするようになりました。

金欠でストレスを感じると喫煙してストレスを解消し
飲酒して現実逃避をしたい彼と、
金欠の時は煙草やお酒などの嗜好品を止めて
できるだけ節約したいので、散財することがストレスになる私。

お金が入ると、今を楽しむためにパーッと使いたい彼と
できるだけ貯金しておきたい私で毎日喧嘩していました。

金銭問題の他にも、
行動の単位がカップルである文化と個人である文化、
自分のして欲しいことを口に出す文化と
あまり口に出さず空気を読んでもらう文化、
日焼けをすることがかっこいい文化とそうでない文化の違いで
衝突することが多く、お互いに物凄くストレスを貯める日々でした。

 

 

ある日、色々と鬱積していたものが二人の間でついに爆発し、
怒鳴りあいの大喧嘩に発展しました。

その時の私はまだ渡豪後一年も経っておらず
感情が高ぶると英語がつっかえて出てこないことが多々ありました。

うまく話せない私を彼は流暢な母語で罵り、
言い分を伝えきれないもどかしさと彼に対する怒りで
一気に限界に達した私は初めて日本語で怒鳴り返し、
興奮のあまり過呼吸になりました。

過呼吸になった私を見た彼が我に帰り喧嘩が収まりましたが、
過呼吸になっている最中に
「もし自分が単なる風邪だと思って病院に行って
癌で余命一週間と宣告されたらこんな感じなのかな?」と
冷静に眺めているもう一人の自分がいました。

日本語が分からない相手に思わず日本語で怒鳴るほど怒っていても
この程度の冷静さとは保てるのだな・・・と
過呼吸を起こしながらも妙に感心するという新しい体験でした。

付き合い始めて約三年半経った今では
こんなに喧嘩をすることもなくなったので、
今となってはいい思い出の一つです。

 

 

【究極的には、国籍は問題ではない】

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私が書いた彼との衝突の内容を見ると
外国人相手だとやはり日本人が相手だとしなくてもいい苦労があって
国際恋愛・国際結婚は辛いように見えるかもしれません。

実際、上に書いたこと以外にも、
乗り越えなければいけないことはたくさんあります。

魚をほとんど食べずお肉ばかり食べる国の人と暮らすと
意識的に食事を別にする日を作らないと
毎日お肉ばかりになりお腹がもたれます。

どちらの国に住んでも、あるいは第三国に住んでも
どちらにせよ両方の帰省が海外旅行になってしまうので、
飛行機代がどれだけかかるか分かりません。

また、海外に住んでいると
家族に何かあってもすぐに駆けつけることが出来ません

言葉の壁もやはりあり、
細やかなニュアンスが伝えられなかったりして
もどかしい思いをすることもあります。

日本語しか話さない家族と英語しか話せない彼では
私の通訳なしでは一切会話が出来ません。

もちろん、いい点もあります。

愛情表現が豊かで、
他人の前でも謙遜せずに配偶者を褒めてくれます。

人によりますが、家事を積極的にしてくれます。

「家事は妻の管轄で、夫はあくまで手伝い」という意識がなく、
主体的にやってくれます。

 

 

また、いい意味で雑なので
お弁当の彩りなどは一切気にしなくていいのは助かります(笑)

それに、違いがあることが最初から当然とお互い考えるので、
分かってくれて当然という期待が最初からなく
お互いへの許容度が上がります。

今までまったく関わりがなかった、
あるいは興味がなかった国や歴史を
自分に関係の深いものとして見れる面白さもあります。

何と言っても、違う国出身の人相手でも、
言葉の壁があったとしても
お互いの人格をぶつけ合って付き合えるということを
身を持って体験できるのは
私にとって国際恋愛をして良かったなと思える一番のことです。

当然過ぎるほど当然のことですが、
日本にいた頃には外国人というと
「この国の人はこうなのかな・・・」と色眼鏡で見たり
一般化して接しがちだった自分には目が開かれた体験でした。

もちろんお国柄や文化も人格に強い影響を及ぼしますが、
結局は人間対人間の付き合いで、
問題は目の前にいる人がいい人か悪い人かそれだけなのだ、と。

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