プロフィール


菊川美代子

2012年3月に同志社大学大学院博士課程単位取得退学、2012年5月にオーストラリアへワーホリビザで渡航。
オーストラリアで2年間のワーホリ、NZで1年のワーホリを経て、現在はパートナービザ(Work Visa Based on Partnership)にてNZに滞在しています。
オーストラリアで出会ったアイリッシュのパートナーと永住権目指して奮闘中。
私のオーストラリアワーホリ体験談はこちら

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オーストラリアの倉庫仕事で思わず・・・

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コネで倉庫仕事を得るまで

ワーキングホリデービザでオーストラリアに渡り、
毎日履歴書を配り歩いても仕事を貰えない日々が1年続きました。

オーストラリアでは仕事を探す時にはお店に飛び込み、
お店の人に自分の履歴書を渡して仕事がないか聞きます。

しかし日本とは違って皆が適当なオーストラリアでは
履歴書を渡してもマネージャーの手に渡らないこともままあり、
履歴書を渡しても連絡がないことの方が多いです。

マネージャーの手に渡っても連絡がないことがよくあります。

手に職も職歴も運もない私は、
渡豪して一年経っても非日系の仕事はバナナファームのみ、
あとは違法低賃金しか払わないような日本食レストランでの
短時間のバイトの仕事経験しか積めていませんでした。

 

毎日違う場所で履歴書を配り歩いても連絡すらない日々が続き、
ついに200連敗を覚悟したところで、
APLaCの田村さんの昔の卒業生の方のコネで
Manly Valeというサバーブにある倉庫での仕事が決まりました。

Manly Valeはシドニー北部に位置し、
多くの会社の倉庫があるサバーブです。

倉庫の他にはWarringah Mallというショッピングモールがあり
あとは閑静な住宅地が広がっています。

倉庫での仕事内容と待遇

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倉庫での仕事も違法低時給でしたが、
時給$15.50で週40時間きっちりと働けるし、
(当時のNSW州の最低時給は$16.37)、
日本食レストランの時給$10や$12に比べると遥かに良かったです。

その倉庫にはなぜか南米出身の人ばかりが働いていて、
同僚はブラジル人とコロンビア人、
あとは日本人が二人くらいでした。

求人をする時は広告を出さずに労働者のコネで探すので
同じ国籍の人が集まりやすいようでした。

倉庫での仕事は主にインスタントコーヒーやオムツ、
生理用品などのサンプルの梱包作業でした。

「赤ん坊用のオムツS150個とL85個」などの注文が入り
スーパーバイザーから誰がどのサンプルを何個ずつ梱包するか、
また梱包の仕方についての説明を作業場で聞き、
作業場から台車を持って倉庫に行ってサンプルを集め、
作業場に戻って黙々と梱包を行います。

バナナファームと同じく頭は暇な仕事ですが、
手を忙しく動かすと無心になれて
案外時間が早く過ぎて行きました。

梱包は椅子に座ってできるものが多く身体的にはとても楽で、
ラジオも常に流れていて日本の倉庫作業よりは
くつろぎながらできる仕事かもしれません。

その職場のボスは毎日何度も同じ曲をかけるラジオ局が好きだったので、
今でもその時に聞いていた曲をふと耳にすると
倉庫で働いていた時の情景が甦り、懐かしい気持ちになります。

仕事は朝の8時半開始・16時半終了で労働時間は8時間でした。

休憩は午前と午後に15分ずつ、
それとはまた別にお昼休憩が30分ありました。

休憩は全員がきっちりと取り、
15分の休憩二回分には給料が支払われるという
賃金以外はローカルのような条件の職場でした。

仕事時間は厳守、一分たりとも早く始めないし
残業もしないというのが日本と違い、とても新鮮でした。

南米人ばかりの同僚達

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皆気のいい人たちでスーパーバイザーの年齢は20-40代、
それ以外の同僚は20代前半~後半の学生ビザや
ワーキングホリデーの若者たちでした。

皆南米人特有の明るさがあるというか人懐っこい人達で、
仕事中も倉庫に物を取りに行く時に話したり
休憩時間中もお喋りして楽しく過ごすことができました。

特に印象深かったのは、
Lianaという当時22歳のブラジル人の女の子でした。

彼女は同じブラジル人の彼氏Felipeと二人で
学生ビザでオーストラリアに渡り同棲をしていて、
将来はジャーナリストになりたいという夢を持っていました。

冬の寒い倉庫のなかで彼女と二人、
二人でネスレのコーヒーのサンプルを梱包しながら、

「莫大な広告費を支払いながら、
郵送費も取らずにこんなに大量のサンプルを無料で配れるなんて
この多国籍企業は一体どれだけ儲けているのだろう?

最低賃金以下しか労働者に支払っていないうちのような倉庫に
発注することでコストが安く済んでいるんだろうし、
コーヒー豆を収穫する作業も下請けの会社に発注していて
適正賃金を払っていないかもしれない。

資本主義は人間を持つ者と持たざる者に分かつ仕組みだね・・・」

というような事を話していました。

彼女はこのような不正を少しでもなくすために大学で法学を学び、
ブラジル帰国後は大学院の修士課程でジャーナリズムを専攻し、
今では立派なジャーナリストとなりました。

彼女の書いた記事はポルトガル語なので
残念ながら私には読めませんが、
きっとオーストラリアでの彼女の実体験が
生かされた良い記事を書いているのだろうと思います。

LianaとFelipeとは休みの日にブラジリアンBBQをしたりと
とても良い友達になりました。

この倉庫仕事は二階建ての建物の一階で行われ、
二階では経理や物流など倉庫のホワイトカラー仕事をしている
白人のアメリカ人達が働いていました。

社長と副社長は毎日一階に降りてきてお昼を食べていましたが、
それ以外の社員は決して一階に降りてこず
稀に降りてきても一階で働く私達とは目も合わせませんでした。

「この人達と私は同じ空間にいるのに、違う世界に生きている。
この人達からすれば、私達など短期ビザでこの国に滞在している、
現地の言葉が不自由な、違法賃金の仕事にしかありつけない
外国人労働者以外の何者でもないのだろう」

何とも言えない気持ちになりした。

 

しかし、「自分がもし原発事故が起こらずそのまま日本にいて、
もし自分の生活圏内に同じような外国人労働者がいたら
積極的に話しかけようとしただろうか?」
と考えてみると
自分もまた同じように振舞っていただろうとしか思えず、
このような経験をしたことのなかった私は
隣人に対する想像力が乏しく、
仮に学者になったとしても良い研究をできなかっただろうと
今となっては思います。

 

 

倉庫仕事を辞めるまで

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違法低賃金ではありますが、
温かい同僚達に囲まれてとても居心地が良かったため
結局合計して一年ほどこの職場で働きました。

 

 

最初は半年働いたところで
パートナーが鉱山の仕事を探したいからとパースに飛ぶため、
それについていく目的で辞めました。

結局は鉱山での仕事が見つからなかったので
彼はシドニーにその一ヵ月後に戻り、
私はWWOOFをするべくしばらくWA州にいたので
三ヵ月後にシドニーに戻り、
貯金が底を尽きかけていたので再び倉庫での仕事を始めました。

二回とも辞める時には送別会をしてもらって
皆から寄せ書きをもらったり、
一緒に写真を撮ったりと別れを惜しみました。

二回目に辞めたのは自分のワーキングホリデービザが切れて
オーストラリアから出国しなければいけなかったためです。

 

日本で日本人として社会の主流にいた頃の自分からは
想像すらしなかった立場に置かれたことで、
社会の主流にいる者は実はその社会を内側からしか見れず、
実はその社会について知らないことがとても多いのだろうと
身に染みて学ぶことができました。

 

 

一度、大学の研究者や大学図書館への資料封入の作業があり、
一つ一つの宛名を見ながら封入しているうちに、
なぜだか涙がしばらく止まらなくなったことがありました。

「自分がもし日本に残って研究員などをしていたら
これを受け取る側の立場だっただろう。

資料を封入している違法賃金の労働者のことなど何も知らずに
小奇麗な研究室や図書館でこれを読んで
社会の不正義や不平等について考えていたかもしれない」

と考えると、何とも言えない気持ちになりました。

学術的なことを考えられる環境が恋しいこと、
しかしその環境を再び得たところで
自分には才能がないからどうせまた行き詰るのは明らかなこと、
才能があったとしても日本に関わる研究をする以上は
日本に足を運ぶことが避けられないこと、
学会は関東での開催が多いので足を運ぶ先は関東になること、
出版社は東京に一極集中であるから
電子書籍化されていない研究書にはもう触れないこと…

これら全てのことを勘案すると、
どう考えてももう自分は専門分野での研究者になれないので
悲しくなったのかもしれません。

 

 

今となっては、大学という機関に縛られた
職業としての研究者にはあまり魅力を感じていないのですが…。