プロフィール


菊川美代子

2012年3月に同志社大学大学院博士課程単位取得退学、2012年5月にオーストラリアへワーホリビザで渡航。
オーストラリアで2年間のワーホリ、NZで1年のワーホリを経て、現在はパートナービザ(Work Visa Based on Partnership)にてNZに滞在しています。
オーストラリアで出会ったアイリッシュのパートナーと永住権目指して奮闘中。
私のオーストラリアワーホリ体験談はこちら

→詳しいプロフィール

ご連絡はmiyoko.kikukawa★gmail.comまでどうぞ。(★を@に変えてください)

海外移住は「失敗」する方が難しい

 

海外移住には挑戦してみたいけれども、
失敗したら取り返しが付かないのではないか?

と考える人が多いのではないでしょうか?

現地で仕事が見つからなかったら、
貯金を大量に失って終わるのでは?

永住権を取れなければ、何年もの徒労に終わるのではないか?

英語が話せなければ外国には住めないのでは?

・・・考えれば考えるほど不安になりますよね。

それでは、そもそも「海外移住に失敗する」ということの定義
何なのでしょうか。

個人的には、
「自分の人生を幸せにするものを何も得られない」
というのが失敗だと思います。

抽象的ですが・・・。

失敗例としてパッと思いつくのは、
例えば以下のようなケースです。

 

日本人ばかりと過ごして、
行く場所も日本食レストランや日本語が通じる場所ばかりで
語学的収穫が得られなかった。

言葉に自信がないあまり対人恐怖症のようになり、
部屋に引きこもってしまい人間関係を作れなかった。

正直、これくらいしか浮かびません。

というのも、失敗する方が難しいと私は思うからです。

海外移住を失敗する「難しさ」

永住権を取れなくとも、私のように放射能が理由の海外避難の人間には、
被爆防御という観点から考えると
海外に長期間いるというだけで体には大変な保養となります。

また、言葉がそうできなくとも、
「現地の言語が不得手でも
外国でたくましく生き延びることができた」と
自分に自信がつきます。

いったん「言葉ができなくても別に外国で生きていける」と分かると
外国に住むことへの精神的なバリアが外れて、
日本に住むことが選択肢の一つでしかないことに気づけます。

また、英語ができない自分の話を忍耐強く聞いてくれる
他人の優しさに感動し、
また日本よりも人との距離が近いので色んな人が話しかけてきて、
「人間は暖かいのだなあ」としみじみ感じることができます。

 

貯金を大量に失ったとしても、
残業に日々追われて有給もなかなか取れないような
労働環境から抜け出せ、
日本をいったん外から見ることができます。

現地で仕事が見つからなくても1000件ほど応募をし続ければ、
「現地で1000件の求人に応募しました」と
日本での就職の際に武勇伝のようにすることができます
(例え仕事をもらえなかったとしても、
落ち続けても1000件応募できる根性があると示せるわけです)。

現地で引きこもらずに人と触れあい、
日々の雑事をこなしてたくましく生き抜いていくうちに
半年、一年後には自分が心配していたこと全てに
「何であんなことを一生懸命心配していたんだろう?」
気がつけば自然に思える日が来ます。

私は英語は読み書きは割とできたものの
話すのがまるでダメな状態で日本を出て、
言葉が通じなくても国を超えて通用する手に職もなく
ワーキングホリデービザでの滞在だったため
当初の手持ちの貯金は50万円弱でした。

それでも、周りの人に助けられて
五年弱何とかたくましく生き抜いています。

永住権を取れるかはまだ分かりませんが、
「もし自分があのまま日本にいたら?」と思うとゾッとします。

 

・・・と、このように、実は海外移住というのは
失敗する方がハードルが高い
のです。

永住権を取れるという「成功」に到達しなくても、
基本的に得るものしかないわけですから。

命をかけた人生最大の賭け

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気がつくとある日、右腕にいつまでも治らない湿疹ができていた。

薬を飲んでも病気の治りが遅くなった。

自律神経失調症で元々体調が悪かったものの、
極端に調子が悪くなり、起き上がれないほどになった。

これらは福島第一原発事故が起きてから半年後、
ずっと関西に住んでいた私の体に起きた異変です。

 

 

2011年3月11日に東日本大震災が起こり、
それに伴い福島第一原発事故が起きました。

関西では停電することもなく、水道やガスが止まることもなく
何も変わらない一日。

増え続ける死者や行方不明者の数をニュースで見ながらも、
家族、親類、友人、恋人すべてが関西の私には
正直遠い世界の話のようでした。

【半年後に起き始めた不可思議な身体症状】

何も気にせずに日常生活を送っていたある日、
右腕の小さい湿疹がいつまでも治らないことに気づきました。

湿疹というにはとても小さく、見た目には分からないのですが
触るとざらざらした感触が分かるものでした。

痒みも痛みもないので、そのうち治るだろうと
皮膚科にも行かずに放置していたのですが
三ヶ月ほど治らずにいました。

そのうち膀胱炎になり、薬を飲んでもなかなか治らず、
かかっていた医師も首を傾げていました。

 

何とか上記の状態から回復してしばらくすると、
それまで4年ほど患っていた自律神経失調症が
極端に悪化しました。

それまでも睡眠不足やストレスがあると悪化していましたが、
その時は特に悪化する要因もなかったのに
一日に一口ほどしかものを食べられず、
ほとんど起き上がれない状態になってしまいました。

【自分が被爆していたかもしれないという恐怖】

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起き上がれない状態のまま何気なくTwitterを開いていると、
私がフォローしていた東大の島薗進先生が
内部被爆の危険性を述べたツイートを投稿しておられました。

そこで「まさか・・・」と思いスマホで少し調べると、
チェルノブイリでは長期間の低線量被爆により
健康被害が発生した
という記事を見つけました。

 

長期間の=この半年間の
低線量被爆=関西での無頓着な飲食

 

と即座に結びつき、
「まさか・・・」とスマホを持っていた指先が冷たくなり
ショックで一瞬軽い貧血のようになりました。

「体調不良の今は、怖くて直視できない。健康になってから見よう」と思い、
それから漢方薬を飲んで何とか回復した一週間後に
ネットで検索して自分なりに色々と調べてみました。

それで調べて得た知識から、
自分のそれまでの半年間の不思議な身体症状は
内部被爆に由来していたのかもしれないと考えるに至りました。

膀胱炎も、排尿の際に尿道をセシウムが傷つけて起こるという
チェルノブイリではとてもありふれた病気だったそうです。

【自分の身体での実験とその結果】

 
そこで実験をしようと、そこから食材の産地を徹底的に選び、
生鮮食品も加工品も西日本の物のみに。

幸いにも関西に住んでいたので
近くの食料品店に売っている生鮮食品は西日本産ばかりでした。

加工品は西日本産のみの原料で加工も西日本となると
なかなか見つけるのが難しかったですが…。

 

 

その実験を始めてから一ヶ月すると右腕の湿疹が消え、
自律神経失調症の症状も安定してくるようになりました。

この実験により、私の身体症状は内部被爆に由来していたと
確度の高い仮説を得られました。

【周囲の理解を得られない戦い】

 

一度気になりだすと止まらなくなり、自分の健康にも関わるので
大学院での自分の研究を放り出して調べ始めました。

 

 

実家に住んでいた私は、気になり始めてすぐに
家中の加工食品の産地と製造地を確認し始めました。

私がシチューのルウのパッケージを台所で一つ一つ見ていると、
それを見た父に指を差され「アホや」と大笑いされたことは
今でも忘れられません。

 

近所の小さいスーパーで安全な加工食品を求めて
1時間もかけて買い物をしたこともありました。

 

 

大学院の恩師は「愛知県東部まで危ない」という私を
「そこが危ないんだったら関西も危ないことになる」と笑い
同僚は「福島に行かないのなら別に気にしなくても」と
呆れた顔
をしていました。

同い年で仲が良かった優秀な同僚は東京出身で、
東京が危ないという私を
「あなたは西日本出身だからそんなことが言えるんだ。
他人の故郷が汚染されていると言うなんて失礼だ」と
責めました

「他人の故郷が汚染されていると言うなんて失礼」ならば、
危険と分かっているのに何も言わずに見殺しにする方が
親しい友に対して礼儀を欠いているのでは?と思われましたが
本当に周りの誰一人として私に賛同してくれなかったので
「おかしいのは自分なのかもしれない」と思い
下を向いて黙っていました。

当時付き合っていた、結婚を前提にして付き合っていた恋人とも
放射能の危険性に対する見解の相違から別れました。

彼もまた東京出身で、
同僚と同じように東京が危険だという私と意見が一致せず、
将来が見えなくなったからです。

「仕事のためなら健康は犠牲になってもいい。
福島は無理だが、東北になら赴任してもいい」という
彼の価値観には賛同できませんでした。

私の父は私が小さい頃に脳梗塞を起こし、
それ以来右半身が麻痺して病弱になりました。

利き手で文字が書けなくなり、呂律がうまく回らなくなり、
走れなくなり、雨の日は常に右半身が痛み、体力は低下し、
働き盛りの年齢なのに週5日の仕事を
できる体力がなくなってしまいました。

「身体さえ健康だったら」と
いつも悔しがっていた父を見ながら育った
私には
健康を害するかもしれない選択肢を取ることは
できませんでした。

しかし、この彼と付き合っていた時に彼が私に話していた、
オーストラリアのワーキングホリデーに行った彼の友達の話が
結果的に私の運命を変えることになりました。

 

 

【国外避難を決意するまで】

 

食品の汚染が気になりだすと物品の汚染も気になりだし、
調べていくうちに産地や製造地が安全な地域でも
物流の際の経由地や保管場所が危険な地域だったりすることが
分かりました。

食品も物品も気にし始めると、
全ての安全なものを入手することは
西日本であっても難しいか、手間がかかります。

大気も、物流が制限されていないため
一般人が持ち込んだ東日本のゴミが焼却されているし、
季節や風向きによっては福島から風が吹きます。

 

 

外食も限られたお店にしか行けません。

付き合いもあるし、
いつも安全な外食のお店に行けるとも限りません。

行けない場合の方が多いでしょう。

かといって、自律神経失調症でいつも体調が悪く
英語も話せない自分は海外になんて行けないだろう、
大学院留学しかないだろうか、
しかし大学院留学できるほどの能力もない・・・と思い
悶々とした毎日を送っていました。

そんな時、上述の彼と付き合っていた時に聞いた
オーストラリアのワーキングホリデーの話をふと思い出し、
調べてみると私はそのビザを取れることが分かりました。

申請時に29歳以下の日本国籍保持者でさえあれば
働く権利のあるビザが一年もらえて、
オーストラリア政府の定める田舎の地域で
三ヶ月の季節労働をすれば更に一年の合計二年滞在できる、
というお金も手に職もない自分には夢のようなビザ
でした。

ビザの申請はオンラインでできるので早速申請し、
申請からたった二日でビザが降りました。

それでも外国に一人で乗り込むのは勇気がいるので
まずは情報収集を、と思いネットを見ていると
APLaCのページを見つけました。

そこにある過去のエッセイ
APLaCにこれまでお世話になった人の体験談を読み
「この人に頼んだら大丈夫そうだ」と確信してメールを送り、
5月下旬に一括パックの申し込みをしました。

【決意をしてから実際に渡豪するまで】

 

ビザを申請したのが2012年1月3日、
ビザが認可されたのが2012年1月5日、
渡豪したのが2012年5月26日でした。

身体症状が出始めてから7ヶ月、
決意してからおよそ4ヶ月弱で日本から出た計算
 です。

決意してビザを取ったにしても貯金がとにかくなく、
到着当初の資金を貯めなければ、ということで
派遣社員で三ヶ月だけ仕事をしてお金を貯めました。

 

 

一点の迷いもなく着々と日本脱出に向けて準備をしていましたが
それでもふと日本を出ることが怖くなり、
考え出すと全身が小さく震えだすことがありました。

 

英語がろくに話せないのに生きていけるだろうか?
手に職がない自分にどんな仕事ができるだろうか?
たかだか50万円もない貯金が尽きたらどうする?
知り合いすら一人もいない外国でやっていけるのか?
永住権だって取れるとは限らない、取れなければどうする?・・・

 

そんな時はいつも
「論理的に考えて、もう日本を出る以外に
自分が生きられる道はない。このビザに賭けるしかないんだ」

と自分を説得し、奮い立たせていました。

 

不慣れな仕事で忙しく働きつつ貯金をしていると、
あっという間に出発日になりました。

 

 

【オーストラリアに到着してから】

 

オーストラリアに着いてからは、最低時給が15ドルなのに
10ドルしか払わない日本食レストランでしか仕事を貰えず、
とても貧乏でした。

日本食レストランのウエイトレス以外の仕事にありつこうと、
履歴書を一年間配り歩いてかれこそ200枚配ったのに
面接にすら一件も呼ばれず、金銭的に辛い日々を過ごしました。

「親のお金で博士課程にまで行かせてもらったのに、
一体自分はこんな遠い外国まで来て何をやっているんだろう?」
と何度も考えました。

それでも、どんなに裕福であっても成功していても
健康さえなければ全てが水の泡である、という価値観の私は
綺麗な空気を吸えることに感謝していました。

貧乏で外食ができなくても
スーパーで安全な食材を買えることに喜んでいました。

 

「オーストラリアで永住権が取れなくても
29歳の自分は30歳までに申請すれば
ニュージーランドのワーキングホリデービザも取れるから
南半球で二年間半くらい過ごせるし、
永住権が取れなくともせめて良い保養になるだろう」と。

学業、キャリア、家族、恋人、友人、故郷、健康、
どれも大事ですが、それでもなお優先順位をつけて
行動に出ることができた自分を誇らしく思います。

何かを得るためには何かを失わないといけないのですが、
それを仕方のないことだと割り切れる強さが
自分の長所かもしれません。

土地に縛られなくなる

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ワーキングホリデービザで日本を出ると、
基本的に土地に縛られなくなります。

 

私の場合は家族も親戚もみんな日本なので、
血縁関係の人間が周りにいない状態です。

海外での引っ越し先にいきなり地縁が生じるはずもなく…。

仕事もワーキングホリデービザという短期ビザの状態では、
ウエイトレスなどの人手仕事以外に就くことは難しいです。

もちろん、母国でのスキルや経験がある人や、
すでに英語が堪能な人には高度な職に就くチャンスもあります。

基本的に、就職すると移動の自由がなくなりますが、
オーストラリアとニュージーランドは転職社会なので、
長くとも2~3年で転職し、引っ越しをすることが多いです。

持ち家があるというのでなければ、
2~3年ごとに異なる都市間で引越しをすることもできます。

日本では引っ越しというと家具など全てを運ぶ大移動ですが、
こちらは家具付きの物件が多いので
引っ越しにかかる費用が段違いに安く済みます。

家具付きシェア物件に引っ越すのであれば、
5万円もかからないかもしれません。

友人と離れてしまうというのも、
今の時代だとFacebookやSkype、LINEなどのSNSで
無料で連絡を取り合うことができますので心配ないかと。

友人がいなくて寂しい、となれば
元の都市に引っ越せばいいわけですから…。

また、住んでみた都市が肌に合わなければ、
その時にしている仕事がカジュアルジョブであれば
また引っ越して、次の都市を試してみれば良いです。

自分にとって心地いい土地を求めて、
ふらふらと根なし草生活もいいものです。

日本でこれをやると、白い目で見られますが(笑)

自分に合わない土地に住んでしまったとしても、
それによって自分にとって妥協できない条件などが
浮かび上がってくるので、そう悪いものでもありません。

全てのしがらみから逃れて、
「来年はどこに住もうかなあ」とワクワクする生活です。

人間関係の悩みがなくなる素晴らしさ

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人間関係というのは、多くの人にとって悩みの種です。

しかし、オーストラリアとニュージーランドでは、
人間関係の煩わしさがあまりありません。

もちろんゼロではありませんが、
日本に比べると、煩わしさは断然下がります。

それはどうしてなのでしょうか?

 
20代後半の人間にとって人間関係が問題になるのは、
まず職場だと思います。

日本社会ではまだまだ終身雇用が主流なので、
会社の人間関係が悪くなると、
定年退職まで毎日が憂鬱になってしまいます。

とはいえ、仲良しグループの集まりでもないので、
当然気が合わない人がいますが、
うまくやっていかねばなりません。

でも、オーストラリアとニュージーランドは
転職社会です。

 
3年ほど勤めたら他の会社にキャリアアップのために
転職します。

業界や職種にもよりますが、
ずっと同じ会社に勤め続けていると
「あの人は向上心がない」と言われることも…。

日本とは真逆です。

 
さすがに数か月や一年単位で転職すると、
務めても長く続かない人だとみなされてしまいますが。

2、3年一つの所に勤めればそれで大丈夫です。

日本人にとっては楽勝の短さですよね(笑)

また、こちらでは有給休暇の取得率が高く、
6週間有休をとって東南アジアを一周旅行する…というのも
全く珍しくありません。

ですので、苦手な人が職場にいても、
長い有給があるので顔を合わせずに済む期間が
結構あったりします。

しかも転職社会ということは、
相手もやがては転職するでしょうから、
おそらく2年ほどの我慢で済みます。

自分か相手の定年退職まで…という気の長い話ではありません。

日本だと長期休暇と言えばゴールデンウィークとお盆、
年末年始くらいで、最大でも一週間前後じゃないでしょうか?

22歳で就職したら、一か月の休みを取れるのは定年退職後。

終身雇用だから、自分の立場を悪くしないために
職場の気の合わない人にも気を使って合わせないといけない…。

そんな人間関係の煩わしさから逃れると、
本当にストレスフリーな生活ですよ。

個性を尊重してもらえるのが当たり前なんて…

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常に空気を読み、周りから浮かないように
気をつけなければいけない…。

そんな状況から解放されるのは夢ではありません。

 
オーストラリアとニュージーランドでは
あなたの個性が尊重されます。

一人一人が違うことが当たり前という考えが
共有されているからです。

特にオーストラリアは多文化主義を掲げており、
国民もそれを誇りに思っています。

“Celebrate diversity”(差異を祝福しよう)とよく言われており、
違うことはいいことだ、と認識されます。

日本と真逆なのですね。

日本では、人と違うことは悪で、
自分を貫くと「変わった人」扱いをされてしまいます。

空気を読み、周りに合わせ続けることの先には
何があるのでしょうか?

みんなが着ているからと、
自分に似合うかどうかを考えずに流行の服を着るのは
何だか悲しくありませんか?

適齢期になったからと空気を読み、
対して好きでもない、条件の良い人と世間体のために結婚して、
死ぬ時に自分の生き様を誇りに思えますか?

私は自分の言いたいことを言い、
自分が思うままに生きていきたいです。

周りの目を気にして生きても、
周りは自分の人生の責任を取ってくれません。

日本で「世間の目を考えろ」と言われた時、私はいつも

「世間とは誰だ、あなたのことではないのか?
世間の目とはあなたの目のことではないのか?」

と言って撥ねつけてきました。

こちらでは、「世間の目を考えろ」という人はいません。

もしそんなことを言う奇特な人がいたら、
「どうして世間の目を気にする必要があるのか?」と
世間から窘められるのは発言者の方です(笑)

日本ほど女性差別がきつくないとは本当か?

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オーストラリアとニュージーランドでは、
日本ほど女性差別がきつくありません。

仕事に応募するときに履歴書を提出しますが、
差別の原因になってはいけないという理由で
性別を記載することができません。

また、容貌差別を防ぐという目的から、
顔写真を載せなくても全く問題がありません。

日本ではどちらも必須ですよね。

とはいえ、ウエイトレスなど接客業に応募するのであれば
顔写真を載せている人も多いです。

見た目の清潔感などが問題になるからでしょうか?

 
こちらでは飛び込みで履歴書を手渡しで配って求職します。

受け取る側も多くの履歴書を受け取りますので、
店側にすると、文字だけの履歴書だとどんな印象の人だったか
忘れてしまうのが正直なところです。

そんな場合には、写真を載せておくと覚えてもらえる確率が
高くなるのかもしれません。

こちらでは女性差別がないわけではないのですが、
日本よりははるかにましです。

独身でも、日本のように結婚の予定を聞かれません。

独身男性は何も言われない一方で、
独身女性だけが売れ残り扱いされることもありません。

女は三歩下がって男性の後ろにいなくても問題ありません。

あまり賢くないふりをして、「男性を立てる」必要もありません。

 
結婚しても家事は分担が当たり前です。

妊娠をしても仕事を辞めなくてよいのが当たり前、
産休を三年取れるのが当たり前、
三年後に復帰できるのも当たり前です。

夢のようですよね(笑)

日本では、女性は独身だと売れ残りと叩かれ、
結婚して専業主婦になると寄生虫と叩かれ、
兼業主婦だと家事を疎かにしていると叩かれ、
子供を産まなければ子供を産めと叩かれ、
子供を産んだら早く働けと叩かれる…

女性にとっては何をしようとダブルバインドで叩かれる、
非常に生き辛い社会です。

 
20代後半で若さも体力も気力もある女性のあなたなら、
女性差別が少ない国に心機一転飛び込んで生活してみるのも
悪くありません。

もう日本には戻れなくなりますよ(笑)

服の流行からまさかの永久脱出

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オーストラリアとニュージーランドでは服の流行がありません。

ですので、自分の好きなスタイルの服を
いつまでも着ていられます。

 
三年ぶりに日本に一時帰国した時に思ったのは、
とにかく日本では小奇麗にしていないと
きちんと扱われないということ。

こちらではよれたTシャツに短パン、
ビーチサンダルでお洒落な服屋さんに行っても誰も気にしません。

そんな恰好でお店に入っても、
店員はにこやかに挨拶をしてくれます。

ところが日本では、きちんとした服を着て化粧をしていなければ、
店員から「いらっしゃいませ」の一声がない時すらありました。

まあ、店員の側にもノルマがあるので、
購入しなさそうな身なりの客は無視する方が
効率がいいのでしょう。

 

自分以外の皆が小奇麗な服を着ているので
きちんとした服を着なければ
段々と恥ずかしい気になってきます。

結局、私も流されて小奇麗な洋服を
日本仕様の身なりにするために一着だけ買いました(苦笑)

後日、声を一切かけられなかった店に日本仕様の身なりで行くと
入店と同時に声をかけられたのには、さすがに驚きました。

店内の服を触るたびに
「そちらは新作です」「ぜひ試着されてくださいね」
などのしつこいほどの声かけをされて、
あまりの露骨さに閉口しました…。

 
日本では流行をどのブランドも追いかけるため
非常に似たデザインの服が多くの店で売られています。

日本のファッション誌を三年間読んでいなかった私でも、
一日大阪のデパートを見て回ると
その時の流行を把握することができたほどです。

常に流行に沿った服を着ていないと
三年間海外にいた私ですら恥ずかしく思えてきてしまう雰囲気。

お洒落さは日本の方が断然上ですが、毎シーズン大金をはたいて
最新のファッションに身を包まなければいけないのは
息苦しいです。

自分の意見を気軽に言えるのはなぜ?

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オーストラリアとニュージーランドでは、
自分の意見を気軽に言うことができます。

これが日本人には、良い意味で
カルチャーショックかもしれません。

 
こちらでは、皆が国や民族など違う背景を持っているので
人によって意見が違うのが当たり前です。

一方で、違いは尊重されるべきだという価値観は
共有されています。

 
ですので、こちらで話していると

「自分は、そう思わない」

「どうして?それは違うと思う。」

と、反論や疑問が率直にぶつけられます。

 
でもそれは喧嘩腰などでは全くなく、
ただ会話の一環として聞いているのですね。

 
日本人だと、自分が賛成できない意見や
理解できない意見を聞いた時にどうするかというと…

おそらく、家族やよほど親しい人相手でなければ
適当に合わせて同調してその場をしのぐことが
多いと思います。

こちらでは初対面でも反論や疑問が
会話の中ですぐに挟まれてきますので、
日本人は慣れるまで戸惑うかもしれません。

 
でも、意見を交換した後で
「自分はそう思わないけど、君はそう思うんだね。」
とこちらの意見を尊重してくれます。

また、こちらも相手の意見を同じように尊重します。

というより、「君の意見は間違っている!」と
正そうとしてくるのでなければ、
すんなりと相手との意見の違いを受け入れられます。

私も最初は戸惑いましたが、
慣れてしまえばこちらの方がずいぶん楽です(笑)

自分が何か言った時に上辺だけ同調されて、
本心を読めないのは個人的には気持ちが悪いです。

 
思えば、こうして違いを尊重する文化があるからこそ
日本と違って同調圧力がないのかもしれません。

空気を読む必要がないという衝撃

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オーストラリアとニュージーランドでは、
空気を読む必要が基本的にありません。

この文化の違いは、日本人の私にとっては衝撃でした。

オーストラリアとニュージーランドは移民の国。

多くの人が国や民族など異なる背景を
持っているのが当たり前です。

だから、日本のように
黙っていてもこちらの気持ちを読み取ってくれる、
ということはまずありません。

また、こちらも相手が黙っていたら
何を考えているか、どう感じているかなど
全くわかりません。

これだけでは分かりにくいと思うので、
私が体験した例を挙げます。

 
私はオーストラリアで
友人の婚約披露パーティーに呼ばれました。

会場は近所にあるお洒落なバーです。

パーティーは7時開始とのことでした。

日本人の私は、7時少し前にバーに着きました。

ところが、バーにはまだパーティーの出席者らしき人が
誰もいませんでした。

7時15分になっても同じ。

 
バーを間違えたのかもしれないと思った私は
慌てて携帯電話でパーティーに来るはずの
友人に連絡を入れました。

「もう7時なのに、誰もいない。
私は違うバーにいるのか?」

すると、電話をした友人が
慌てて駆けつけてくれ、私にこう言いました。

 
「7時開始と言われたら、9時頃に来なくてはいけない。

主役の友人にも今電話したけど、
今シャワーを浴びているからあと2時間ほどで家を出るそうだ。

誰も時間通りには来ないんだ。

日本は違うのかもしれないけど、
こっちでは開始時間というのは、
出かける準備を始める時間なんだよ…。」

 
この時に受けた衝撃はまだ忘れることができません(笑)

一事が万事、こんな調子です。

 
こんな文化差がお互いに常にある状態で、
空気を読むことは可能でしょうか?

答えはもちろん否です。

違う文化がお互いの背景にあるので、
お互いに説明をしないと分からないのです。

空気を読むことが不可能なので、
空気を読む必要がなくて楽ですよ(笑)

見た目に気を使わなくても…

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オーストラリアとニュージーランドでは、
日本ほど見た目に気を使う必要がありません。

 
お化粧をしていなくても誰も気にしないし、
誰にも咎められません。

出かけるときの足元も、
街中じゃない限り裸足でOKです。

 
田舎に行くほど、裸足率が高くなります。

 

 
個人的には、夏のアスファルトは熱くて
とても裸足では歩けません(笑)

それに、もし出先でトイレを利用するとなったら、
裸足なのは抵抗があります。

家に入る前に足をいちいち洗うのも億劫なので…。

なので私はビーチサンダル派です。

 

春の終わりから秋の始まりまで、
みんなビーチサンダルでどこまでも行きます。

さすがにおしゃれなレストランやカフェなどへは
ビーチサンダルで行きませんが。

こちらではファッションの流行がないので、
みんな自分が着たいものを着ています。

自分が気に入っていれば、
汚くなったり古くなったりしない限り
いつまでも着ます。

おしゃれな服を着ている人を
お洒落だとほめることはあっても、
そうでない人を日本のように
「ダサい」と咎めることはありません。

日本ではおしゃれと言われていた私も、
今ではかなりの範囲へビーチサンダルと
スーパーのリサイクルバッグで
出かけるようになってしまいました(笑)

日本ではビシッとしたトレンチコートを着て、
ヒールで颯爽と歩いていたのに…。

海外に滞在するにはどれくらいの費用が掛かるか
気になると思います。

でも、こういう訳なので、
ファッション関係の出費はおそらく劇的に減ります。

人からどう見られたいか、ではなく
ただ自分が好きかどうかという基準で
ファッションを選ぶのは楽しいですよ。

 
たかがファッションかもしれませんが、
日本で頑張って張っていた
見栄という贅肉がそぎ落とされるみたいで気持ちがいいです。