見えない放射能が対人関係を破壊する

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私は放射能を避けるために、
半引きこもりなのに博士課程を棒に振ってまで
日本から脱出しました。

私は、それまでの28年間、一人暮らしすらしたことがなかった
箱入り娘でした。

そんな私の背中をそこまで押した理由とは
何だったのでしょうか。

もちろん、食べ物や飲み物、大気の汚染を避けるというのが
一番の目的です。

でも同時に、家族や恋人、友人との埋まらない溝に
苦しんでいたというのも大きな理由でした。

私は、原発事故後半年は何も気にせず過ごしていました。

でも、半年後に原因不明の症状に苦しみ、
寝込みながらネットで原因を調べていたら
「内部被爆かもしれない…」と気づきました。


もちろん、ただの偶然で、そうじゃなかったかもしれません。


でも、そこからは気になり始めて
どんどん調べるのが止まらなくなり、
「出来る限りの安全を追求するなら、海外に出るしかない」と
思い至りました。




そうして調べているうちに知識をつけていった私は、
まわりに「その食材は危険だ、避けたほうがいい」などと
良かれと思って言い始めました。


でも、まったく聞き入れてもらえませんでした。


「もう日本産のキノコは全部危ない」と言っても、
キノコで料理の出汁を取る母親。

自分の未来の子供を守りたいと思って
安全な食品探しに奔走する私を「アホや」と
笑った父親。

「俺の故郷が危険だというのか、無神経だ」と
怒って喧嘩が絶えなくなった当時の恋人。

妊活を頑張っているのに、
産地を気にせず乳製品を毎日食べているという親友。

自分以外は、みんな何事もなかったかのように暮らしている…。

気にしているのは自分だけ…。




もう、限界でした。





まるでホラー映画のようだ、
これは悪夢なのか、そうであれば早く覚めてほしいと
願う日々でした。

何でも話し合えて分かり合える人たちと、
放射能のことだけは平行線。

そうこうしているうちに三か月が経過し、
もう分かり合うのは無理だと判断した私は
日本を永久に出ることにしました。




両親と親友は放射能の危険性を理解してはいませんが、
それでも私の決断を尊重してくれました。

当時の恋人とは、別れてしまいましたが…。

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