シドニーで原点回帰の旅

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10月22日から26日までシドニーに四泊五日で滞在し、リフレッシュしてきました。

写真はSusannah Place Museumという18世紀後半~の人々が暮らしていた建物で、
当時の状態を部屋によりそのまま残してある、あるいは再現してある博物館の外観です。

 

 

22日の夕方に空港に到着、
その後LilyfieldにあるAirbnbの宿泊先に直行してチェックイン、
宿泊先までAPLaCの田村さんが車で迎えに来てくれたので、
その車でイタリアンレストランへ向かって一緒に夕食。

夕食後はTramshedで降ろしてもらって朝ご飯やおやつなどの買い出しをして
トラムで宿泊先へ帰って荷解きして就寝。

 

23日は体内時計がまだニュージーランド時間で、
寝たのが遅かったのに六時半に起床、
そのまま準備してHyde Park Barracks Museumへ。

一時間半弱展示を堪能していると疲れて眠くなってきたので
田村さんに声をかけて一緒にコーヒーを飲んでもらい、
解散後はBroadway Shopping Centreで買い物して、
宿泊先へ戻って早い時間に熟睡しました。

 

24日は一日かけて博物館五件を回って、歩き回ってくたくたに。

 

25日は前日に歩き回ったのから来た筋肉痛と疲労に襲われつつも、
コーヒーでカフェインを摂取して元気を出して外出。

ワーホリをしていた時にLanguage exchangeしていた
中国系オージーの子と再会してランチ。

その後はAPLaCのオフ会掲示板を見て連絡をくれた
三谷和葉さんのボンダイの自宅へ遊びに行かせてもらって、色々話して、
赤ちゃんをだっこさせてもらってほんわか。

西洋出身の男性と日本人女性カップルの文化の衝突あるあるを
ゲラゲラ笑いながら話していました。

気が付いたら夕方だったのでお暇して宿泊先に帰って、
翌朝7時前に宿泊先を出て空港に向かわないといけなかったので
急いで荷造りをして、部屋を(Airbnbだったので)手早く掃除。

 

26日は11時10分の飛行機に乗るために8時頃に空港に到着。

ラタム航空というチリ最大手の航空会社を利用したら、
短距離のフライトなのに食事とフリードリンクと機内エンターテイメントがついてきて
照明も基本的に落とされていたので昼寝もできたしとても良かったです。

オークランドに着いたのが夕方で、
自宅が空港から遠いので家に帰り着いたのが19時過ぎ。

宿泊先からオークランドの自宅までDoor to doorで
10時間で2000km超離れてる場所間を移動できるって
なんて便利な世の中だろうと感動しました。

基本的に夜は出歩かなかったのですが
四日目の夕方にボンダイから宿泊先までバスを乗り継いで帰った時に、
「ああ、APLaCの一括パックのシェア見学一件目はボンダイで、
この電車の駅で降りて信号で待っていたら
人種差別的なジェスチャーを通りすがりの車から見せられて
『私、もうボンダイに住みたくありません』と田村さんに言って
『それはボンダイとばっちりだろ!』って笑ってもらったな」
と思い出したり、
ライカートのメインロードを通る頃にはもう暗くなっていて、バスから風景を眺めていたら
「そういえばライカートもレジュメ配りに来たっけ。
レジュメ配ったあの店まだあるんだ…」
としみじみしたり。

夜にジャパレスでバイトが終わった後にバスに乗って
その車窓から眺めていた風景と似ていたので、
当時の気持ちをふと思い出したりしました。

もうオーストラリアにワーキングホリデーで渡ってから六年も経って、
トラムができていたり、中華街の一部が若干お洒落になっていたりして
「変わった」とちょっと寂しく感じました。

公共交通機関の発達ぶりに感動して、店と選択肢の多さに感激して
買い物をして博物館を回って人に会って、したかったことを全部して
「やっぱりシドニーは良いな。また住みたい」と思ったものの、
じゃあまたもう一度明日からこのまま住めるとして
このまま住みたいかというとそうは思えず、
何かが足りない気がして何だろうと考えました。

買い物は楽しいですが、一旦住めばそこは生活の場になり
毎日買い物をするわけではありません。

ワーホリ時代の友達はみんなもう自分の国に帰ってしまいました。

それでもニュージーランドに比べるとお給料は遥かにいいし物価も安いし、
何でだろうと考えていたら、ああそうか、パートナーが足りないんだと気づきました。

彼と一緒でさえあればシドニーでもケアンズでもダブリンでも
トロントでもオークランドでもどこでも住んでいいな、と。

私の場合は、どこに住むかじゃなくて誰と住むかが大事で、
私の家は地理的にどこにあるというのではなくて、彼なんだなあ
と。

私の家は彼だと発見しました。

オークランドは公共交通機関が不便で車が必須の社会なのに
ガソリンが$2.79/リットルで高すぎるし、
買い物の選択肢も少ないし、物価も高いし、
それなのに賃金は安いです。

だからニュージーランドの市民権を取れたらシドニーに戻って住んでもいいかもね、
と彼と少し話していたこともあります。

でも今となっては、友達も少しはできたし、景色がすごく美しいし、
何よりニュージーランドに住んでいる人たちは、
キウイであろうと一時ビザの外国人であろうとどんな職業の人だろうと
皆とても愛想が良くて、驚くほど感じがいいし優しい
から、
ニュージーランドに住み続けるのもありかもしれないと思うようになりました。

 

 

四年半も住んでいると自分もニュージーランドですっかり感化されてしまって、
シドニーで電車やバスの中で目が合う人に微笑んでも全員に無視されて、
「感じが悪い…。ニュージーランドの方が良いな」と何回も思いました。

オークランドに着くと、空港でも早速オフィサーが優しいし、
バスに乗ると運転手が皆とてつもなく親切で
重いキャリーケースを運ぶのを手伝ってくれて、
「帰ってきた!ニュージーランドは最高だ!」と嬉しくなりました。

私の他にオーストラリアにワーホリなどで住んだ後に
ニュージーランドに来た人達も
「キウイはオーストラリア人より優しいよね」と言っているので、
これは私だけが感じていることでもないようです。

帰宅してからは、「もー、みよこがいないと家事が全部自分でお酒飲む暇なかったし、
洗濯物はもう二日くらい外に干しっぱなし。あっはっは」などの彼の話を聞きつつ、
私のリクエストで彼が作ってくれた熱々のラザニアを頬張って
「私の家はここだし、もう六年以上一緒に暮らしてきたこの人だなあ」
と幸せを感じて、何だか実りの多かった旅になりました。

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