目の前の不正義に怒るのは「ネガティブ」なのか?

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パートナーからよく、「君はネガティブだ」と言われます。

 

物や出来事に対してネガティブな方に焦点を当ててしまう自覚は確かにあります。

ニュースを見ていても、ポジティブなニュースよりも
ネガティブなニュースの方に興味を持って、
掘り下げて調べたりしてしまいます。

最近、ニュージーランドで短期ビザの外国人が苦境に立たされているので
そのニュースばかり追っています。

多くの短期ビザの外国人がニュージーランド国外に締め出されていること、
国内にいたとしても多くの短期ビザの外国人が失職したこと、
世界的パンデミックの時に緊急措置として
短期ビザの外国人に生活保護受給権を与えられる法律があるのに
政府がその実施をかたくなに拒んでいること、
そのくせ「私達は一つ」「500万人のチーム」という空虚な言葉を首相が繰り返すこと、
母国に帰りたくても各国の国境封鎖や航空券の価格高騰で帰れないこと、
オンラインでは「移民は帰れ」とバッシングが激しいこと…

そして、ネガティブなニュースを見て一人イライラしています(苦笑)

私は短期ビザの外国人ですが、ニュージーランド国内にいるし、
雇用ではなくパートナーに紐づいたオープンワークビザなので
仕事探しにビザの面で困ることはありません。

自分の貯金を崩して暮らしていますが、
もし貯金が尽きたとしてもパートナーが働いているので、
路頭に迷うことはありません。

だから、「ああ、自分は運が良かった~」と言って
何の関心を持たずにいることもできる訳です。

私のパートナーはそのクチで、彼も短期ビザの外国人ですが
突然の国境封鎖時にニュージーランドに帰ってこれず、
いつ帰ってこれるかも不明でリモートワークもできず無収入で、
こちらで発生している家賃や光熱費を三か月ほど払い続けている人達や、
国境封鎖前に失職して政府からの補助金が貰えず困っている人達の訴えに
「まだ文句言ってるの?」と言っています…。

「自分は大丈夫だし」と無関心なんですよね。

それに対して私は「一歩間違えば、我が身だった」
危機感を持ってニュースを追っています。

この違いは何だろう?と考えてみたのですが、
多分私は嘘や不公平な扱い、不正義に物凄く怒りを感じるのだと気づきました。

法に従い、長年働き税金を納めてきたのに、
百年に一度のパンデミック下でも
法的に既に整備されている、
緊急事態として短期間かつ少額の生活保護すら出さない。

有効なビザも仕事もあり、
家財一切が国内にあるのに短期ビザだからと入国させない。

例外措置としての国外からの入国申請はできるが、
どのような基準を満たせば申請が許可されるか明かさない。

ウイルス対策で全ての短期ビザの外国人の入国を拒否するならまだ理解できるのに、
映画『アバター』の撮影クルーを「経済的効果」のため
エピセンターのアメリカから入国させた。

国境封鎖後ロックダウン下で
既にいる留学生に十分なケアをしてこなかったのに、
留学生が払う高額な学費目当てに新規留学生の入国許可を検討している。

こんな対応をしながら、首相は「私達は一つ」「500万人のチーム」と繰り返す。

選挙権を持たない短期ビザの外国人がどれだけ苦しもうと票には影響しないので、
ニュージーランドの政治家は誰もこの苦境に手を差し伸べません。

パートナーは「君はどうしてそうネガティブなんだ。
どうしてネガティブなニュースばかり見るんだ」と私に言いますが、
目の前で明らかに不正義が横行しているのに、
それから目を逸らすのがポジティブだとは私は思えません。

明らかな不正義が目の前で行われているのに、
「自分には関係ない」とそれから目を逸らして無関心でいるのは
その不正義に加担すること
だと私は考えます。

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