「間違いを指摘するのは頑張っている人に失礼」という日本の謎の風潮を思い出す日々

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コロナウイルスのニュースを見ていて、
当時と政権与党が違うのに2011年の原発事故を彷彿とさせる対応ばかりで
毎日驚いています。

私と同じような、いわゆる「危険厨」の人達は
当時のことを色々と思い出す状況ではないでしょうか…。

私にとって何が一番当時を思い出させたかというと、
神戸大学の岩田健太郎教授が行った告発に対する
厚生労働省の高山義浩医師が行った情緒的な反論の内容と
それに一定数の人達がそれに賛同したこと
ですね。

これだけでは何のことか分からないと思うので、
長くなりますが説明してみます。

周知の通り、2月18日に岩田健太郎神戸大学教授(感染症専門)による
「ダイヤモンド・プリンセスはCOVID-19製造機
なぜ船に入って一日で追い出されたのか」
と題した動画がYoutubeにて日本語版と英語版で公開されました。

 

 

この時点で私は岩田教授について何も知らなかったのですが、
岩田教授のYoutubeのアカウントを見てみました。

動画のアップは8年ぶりで動画撮影や編集も不慣れな様子で、
英語版の方を先に撮ってアップしたということから、
腹を決めた渾身の告発だと分かりました。

というのもこの岩田教授は、この動画を出した僅か2週間ほど前まで
「日本の対策は概ね成功している、騒ぎすぎ」
と言っていた人のようでした。

新型コロナウイルス、メディアは危険性を強調しすぎ? 専門家「日本の感染拡大予防策はおおむね成功」、Buzzfeed News、2020年2月7日(2020年2月23日アクセス)

この記事の中で岩田教授は
「絶対にやってはならないのはリスクの過大評価です。
リスクを過大に評価しすぎると、やらなくてもいいことをやってしまう」と発言していて、
未知のウイルスに対して「リスクを過大に評価しすぎ」てはいけないと言っていた側、
つまり、正しい情報がない状態、「正しい」情報が日々変わっていく状態なのに
「正しく怖がろう」と言っていた側の人
です。

自身のブログでも「「『新型肺炎』日本の対策は大間違い」は大間違い」
(2020年2月23日アクセス)という記事を2月5日付で投稿していました。

こんな人が「ダイヤモンド・プリンセスはCOVID-19製造機
なぜ船に入って一日で追い出されたのか」
というタイトルで動画を上げて警告を出したというのが
事態の深刻さを物語っていました。

動画の文字起こしをしているNoteは、こちら

動画はアップされた翌日、岩田教授自身により削除されてしまいました。

2020年2月20日に岩田教授が日本外国特派員協会で行った記者会見によれば、
動画を削除した理由は
クルーズ船内の状況が改善されたこと、
岩田教授が懸念を持っていたゾーニングが改善されたこと、
また国立感染研究所がクルーズ船の感染報告書を出したことにより
動画の役目が終わったため、とのことでした。

また、動画が投稿された翌日には、
厚生労働副大臣が岩田教授の動画に関して
いくつかツイートをしていました

長々と呟いていましたが、
岩田教授の乗船を「侵入」と表現していて、一言でまとめると
「現場責任者の自分に断りなく船に勝手に入ってけしからん」
という内容でした。

岩田教授は厚生労働副大臣の指揮系統下にある
厚労省職員が許可したから船内に入ったのであって、
侵入ではありえません。

許可すべきでなかったという話なら省内の問題であって、
岩田教授に矛先を向けるのはお門違いなのですが…。

この政治家のことは知らなかったので調べてみると、
橋本龍太郎前総理大臣の息子で三世議員、
学歴は慶應大学環境情報学部卒業、
慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科卒業なので
防疫に関する知識は皆無のようです。

ツイートを見るに、この人は岩田教授の動画を見て、
クルーズ船内で適切に防疫がなされていないという事実ではなく、
「自分が与り知らない内に専門家が入った」
ことの方が問題だと認識しているようです。

次に、高山義浩医師が自身のFBに投稿し、
岩田教授への反論
を行いました。

この高山医師は岩田教授が船に入れるよう手配した厚労省の人で、
東京大学医学部保健学科卒業の感染症の専門家です。

このポストもそこそこ長いですが、
要約すると「専門的知識や、正論だけでは現場は動かない」
「頑張っている人達がいるのだから、その人達に気を使え」
「非常時は誰かを非難するのではなく、一致団結するべき」

という内容です。

しかし、「我々はやっているんだ」と主張されても、
防疫は結果こそが全てです。

そして船内での防疫は明らかに失敗している訳で、
この「反論」にまず意味がありません。

言い分としては聞けますが、
日本国外では認められない内容です。

気の毒ですが、失敗した防疫に価値はないので。

この投稿に対し、岩田教授が何件かコメントをしました
(現在は削除されたようです)。

コメントした時の岩田教授は
かなり頭に血が上っていたことが分かりますが、
言ってる内容については私は的を射ていると思いました。

そう長くないのでここに貼りつけます。

「『不安と疑念が交錯するときだからこそ、一致団結』いや、日本社会が一番責任論から遠い社会です。
他の国(それこそ、例えば中国)ならもっと個人責任がクリアです(日本でだれか更迭されましたか?ぼく以外で)、
それがいいと主張しているではありませんが、「日本人はすぐ責任論」は責任に近い官僚的視点だと思います。
どっちかというと、これでまたしても高山先生の感じで「みんながんばってるんだ。その人達の努力を無にするな」論調、、、
いつかきた路、、、を通って、あとになって「みんないろいろあったけどがんばったね、よかったね」になり、CDCの話とかどこいったの?になるのでしょう。高山先生、よかったですね。」

「団結、連帯、信頼みたいな神話で現場は動くのですが、 日本の感染対策の現場は皆が疲れ切っていて、イライラしていて、 意見を言えば「なんでみんなの輪を乱すんだ」といわれてそこで思考が止まります。徹夜を重ねて判断力を低下させた中で連帯的にみなでがんばるのがかっこいい。外国で感染対策をやるとみんなちゃんと休むが徹底的に議論し、意見を言うことで追い出されたりはしない。高山的和と連帯、、、なのですが、典型的働き方改革の真逆で判断力が鈍った形で、現状維持と現状肯定にしがみつきやすくなります。これがあるべき道なのでしょうか。ぼくには60年代の共同体幻想にしか見えないです。
こうやって、他の国が(中国含む)どんどん前進する中でぼくらはぐるぐる同じところを回り続けます。連帯するのは無条件に「いいこと」なので。これでおそらく、SARSでしくじり、新型インフルでしそこなった日本の感染症界の刷新はまたしても止まるでしょう。そして、医療セクター以外もそうであるように日本はどんどん沈没して気がつくと(今より)すごく遅れた国になっていくのです。」

「いや、団結と連帯を希求する高山先生が、今回も勝利を収め、個と自立的岩田はまたしてもだめなのです。そして現状維持のレコードは回り続けます。高山先生はお喜びだと思います。だって今の日本の形が一番良い理想形なのだから。」

 

「頑張っているのだから、間違っていると指摘するな。
空気を読め。頑張っている人達に失礼だ」

というのは原発事故の時でも日本中で広く見られた論調でした。

上が無能だから現場が間違った方法で頑張ってしまって、
それに対して「間違ってるよ」と現場に指摘すると
「頑張りを否定するな」と怒られる構図
ですね。

怒られて話が終わって、そこから間違いの元=正されるべき、
責められるべきトップの無能さや責任の取り方に話が進まない。

原発事故の時だけじゃなくて、アジア・太平洋戦争でも同じでしたが…。

頑張っているのが分かるからこそ、今そこにある問題点を指摘したのに、という。

それにしても、このような危機対策に際して
「専門的知識、正論だけでは現場は動かない」
「頑張っている人達がいるのだから、その人達に気を使え」
「非常時は誰かを非難するのではなく、一致団結するべき」
という理由で専門的な施策導入を却下する国

日本以外にあるのでしょうか?

法的に不可能、あるいは民主的な手続きに則っていなからできない、
などの理由ならまだ理解できます。

現場の人が気分を害するのも分かりますし、
自分だったとしても腹が立つかもしれないとは思いますが、
それと実際に危機にどう対応するかというのは別問題ですよね。

現在、岩田教授に対してインターネット上で人格攻撃が始まっています。

これも原発事故の時と同じで、
誰かが国に歯向かい、そしてそれが反論できない批判だと
人格攻撃をして印象操作して封じ込めようとする流れ
ですね。

そして今では、防疫を失敗した船から乗客が下船し始め、
公共交通機関で帰宅の途に就き始めています。

 

 

国立感染症研究所感染症情報センターが
2008年に作った首都圏の鉄道での感染拡大シミュレーション
によると、
首都圏の鉄道に新型インフルエンザを発症した人が1人乗ったと仮定して、
全く対策が取られなかった場合、
重症軽症を含めた感染者数は1週間で12万人に拡大するとしています。

新型インフルエンザとコロナウイルスでは
感染経路や感染力の強さなど違いますが、
感染症の広がりを示すシミュレーションとして
結構参考になるんじゃないでしょうか?

おそらく今後2・3週間が
日本がパンデミック状態になるかどうかの正念場という感じですね。

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