Jokerという最高に面白かった映画を見てきました

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今日は映画館でJokerという映画を見てきました。

英語だと字幕なしで内容を理解するのが難しいこともあるので
日本を離れた後は映画館からしばらく足が遠のいていましたが、
パートナーが観たいというのでふらりと二人で観てきました。

私は前評判など何も知らずに見たのですが、
とても良くて、正義と悪の境界が揺らぐような映画でした。

以下ネタバレですが…。

時代背景は1980年代のアメリカ・ニューヨークで、
富裕層と貧困層の格差が拡大していった時代で、
主人公は脳と神経の損傷があるため突然笑いだしてしまい
止まらなくなるという精神疾患を持つ中年男性です。

派遣でピエロの仕事をし、年老いた母を養い介護をしながら
つつましく暮らす善良な人です。

カウンセリングと投薬でぎりぎり保っていた状態だったのに、
政府が精神疾患への補助を打ち切って治療が全く受けられなくなります。

そこから不運が重なり仕事を解雇されたり、
心の拠り所だった母が実は精神疾患の持ち主で自分は養子で
小さい頃に母のボーイフレンドから虐待され脳と神経が損傷を受けたから
自分では制御できない笑いという苦しみを負ったのだと知ったり
同じアパートに住んでいるシングルマザーとのうまくいっていたと思っていた恋愛も
実は自分の精神疾患から来る妄想であったと気づいたりと
まさに「失うものは何もない」という状態になります。

主人公がしたことだけを見ると、3人の未来ある若者を殺し、
母親を殺し、元同僚を殺し、自分が呼ばれたテレビ番組の司会者を生放送で殺し…
とただのシリアルキラーなのですが、彼を完全に悪と言い切れない
のです。

政府からは予算カットで精神疾患の治療を打ち切られた。

3人の若者は地下鉄で主人公に絡み不条理にリンチをした。

母親は、自分の苦しみの元である精神疾患を負わせる原因となった
虐待をしたボーイフレンドから子供である自分を守ってくれなかった。

仲が良かった元同僚は、皆の目の前で保身のために主人公を切り捨てた…。

もし自分が彼と同じ立場になったらと想像すると、
自分は彼のような行動をしない、と言い切れない
のです。

彼がした行為は悪なのですが、そもそも彼がそんな行為をするに至らせたのは
社会の不正義が大きな原因としてあるからです。

主人公が若者たちを殺した時にたまたまピエロの格好をしていたのですが、
その若者たちがウォール街で働く裕福な会社員だったので
大衆はその殺人事件を持つ者と持たざる者との闘いとして解釈し
持たざる者たちがピエロの紛争をして街へ出てデモを行うのもリアルでした。

そしてピエロが持たざる者の間で持つ者に対する戦いのシンボルとなります。

ピエロの扮装をした主人公がテレビ番組の生放送に出演し
司会者と話をするシーンが映画の最後近くにあるのですが
そこでのセリフが圧巻でしたので、紹介します。

かなりの意訳と要約をしましたが…。

3人の若者を自分が殺したと言い笑っている主人公を、
何が面白いんだと司会者が咎め、主人公はこう言います。

コメディーは主観的なもので、
システムが何が正しく間違っているか決めるように、
何が面白いかは自分が決める。

自分が若者たちを殺したのは、彼らが酷い人間だったからで、
最近は誰もが酷い人間であり、誰しもが狂うほど皆酷い人間である。

若者たちが酷い人間だったから殺した。

さらに、この言葉にブーイングを始めた観客に主人公はこう言います。

 

 

どうしてそんなに腹を立てているんだ?

もし歩道で死んでいたのが僕なら、お前たちは僕を無視するだろう。

お前たちは僕と毎日すれ違っているのに、僕に気づかない。

それなのに何だ、僕が殺した若者たちを気にかけるのは
街一番の大富豪がテレビ出演してそこで嘆いていたからか?

誰もが皆お互いに叫んでいて、不作法だ。

自分がその他人の立場だったらと考えない。

大富豪が、僕や自分以外の誰かであったらどんな感じか考えると思うか?

考えないだろう。

あいつらは、僕たちがただ座って良い子みたいに境遇を受け取ると考え、
狼人間になり荒れ狂うと考えないんだ。

それに対し、番組の司会者がそれは自己憐憫で、
若者たちを殺した言い訳をしているように聞こえる、
全ての人間が酷いわけではないと言います。

主人公は、司会者も酷い人間であり、
自分のコメディーショーのビデオを番組で流して馬鹿にして、
この番組に呼んで笑いものにしようとしたと反論します。

そしてさらに少し司会者とやり取りした後、
冗談をもう一つどうだ、と申し出ます。

そして自分を捨て、ゴミのように扱ってくる社会にいる
精神的に病んだ一匹狼を怒らせるとお前の身に何が起こる?

と言い、司会者を射殺するのです。

 

 

彼が言ってることは正しいんですよね…。

人が社会や共同体のルールを尊重し守るのは、
そこで自分の話にきちんと耳を傾けてくれる人がいたり、
丁重に扱われ尊厳を傷つけられず、理不尽な扱いをされない時です。

理不尽に扱われ、酷い扱いを受けた人が
その社会や共同体のルールを守ろうと思うはずがない
んです。

主人公がやったこと=殺人は正当化できませんが、
主人公もまた境遇の犠牲者な訳で…。

たくさん考えさせられる映画でした。

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