約7年間かけて、日本と無関係な事務仕事にありつけた経緯とは?

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少し前の話になりますが、ついにフルタイム・パーマネントの仕事が見つかりました!

その新しい仕事はもう始まっています。

前の、日系の会社での秘書の仕事をしながら転職活動をしていた時期も入れると
苦節2年くらいかかってしまいました…。

家から車で10分の場所にある、
建設会社での事務補助の仕事です。

オフィスの人員は少なくて、私を入れて7人のみ。

多国籍で、取締役はイギリス人とニュージーランド人、
経理はそのイギリス人の奥さんのイタリア人、もう一人の経理はインド人、
オペレーションマネージャーは南アフリカ人、
エンジニアはニュージーランド人、そして日本人の私です。

Trademeというニュージーランドのサイトで見つけた求人に応募し、
書類選考通過後は電話でのスクリーニングなどなしで一次面接に呼ばれました。

その時に面接官だったイタリア人の経理が私のCVを持っていなくて
私が自分用に持って行ったCVを拝借してきたのと、
面接終わりに質問をする時間が与えられなかった
のが不安要素で、
落ちてもまあいいかと思って帰宅したら数時間後に二時面接への招待が届きました。

その時に「面接ではあなたは緊張していたせいかとてもシャイに見えたから
前の職場環境がどんな感じだったか知りたいので、
直前の会社からも含めてレフェリーの連絡先を二つ教えてほしい。
現場で働くエンジニアにはラフな人もいるから、そういう人達に対応できるか知りたい。
それで問題ないと分かったら二次面接に招待します」
と言われたので、前職の、虐めてきた直属の日本人上司ではなく、
私に調停を勧めてくれた親切なマネージャーの連絡先と、
日本語教師時代の上司の連絡先をメールにて送りました。

その際に、彼らの連絡先をメールで送る前に軽い状況説明と、
連絡先を渡していいかの確認をメールとLinkedInにて行いました。

前職の親切なマネージャーには上記の理由を伝えて、
「そういう訳なので、前職でも時々そういう人達からの電話に対応していたと言ってほしい」
と、会社から問い合わせが来る前に依頼。

マネージャーからは「任せろ」との返事。

それで二次面接に呼ばれたので行ったら、面接というよりは入社の意思確認で
いつから働き始められるかとか、ホリデーをどこかで取る予定があるかとか、
そういう質問ばかりで、あとは雑談でした。

二次面接で前職のマネージャーのレファレンスの内容をちょっと話されて、
「あなたの仕事ぶりを凄く褒めてたよ。出張の手配は正確だったし、
使ってた代理店のマネージャーともきちんと意思疎通できていたって。
それであなたの退職の理由を聞いたら、マネジメントから酷い扱いをされたからで、
常に委縮していた状態で、日本人が上司で日本的なマネジメントされて、
アフターアワーも土日も関係なく出張の予定変更の電話をかけてきたりして
プライベートの時間がなかったと。
だから私達との一次面接の時も心配でシャイだったんだね…」
と言われてちょっと涙が出そうになりました

正直、前職での酷い扱いと一次面接でのシャイぶり
(というか、ただ緊張してそう見えただけ)は一切関係ないのですが、
そのマネージャーに本当に助けてもらってるんだな、ありがたいな…と
思って。

どれだけ良い風に言ってもらったんだろう、と。

「一次面接で退職の理由を聞いた時、
そのマネジメントとの問題についてあなたは言わなかったね。
この会社は皆仲が良くて、問題が起きたら何でもすぐに言ってくれていいからね」
と言われて入社を決めました。

いくら前職でのマネジメントからの扱いが悪かったとはいえ、
面接でそれを正直に言うのは危険な行為なので言わなかっただけなのですが
何だか良い風にとってもらったようで良かったです。

現地での事務経験があるとはいえ、違う業界だし会社の規模も違うので
色々とやり方が違ったりして、毎日新しいことを学んでいます。

勝因は、日系の会社で働いていたことを履歴書では分からないようにし、
レフェリーをニュージーランド人に頼んだこと
でしょうか。

日系の会社で働いていた、と言うと
「じゃあ、職場では英語を話していなかったのですか?」
と英語力をよく心配されることに気づいたので、
履歴書の職務を書く場所から「社内文書の翻訳」などの日系と分かる業務を消し
(私の場合はそれがメインの職務でしたが)、
非日系の会社でもするであろう事務仕事の内容のみを羅列しました。

あとは、レフェリーが私の前職での上司のように英語が怪しい日本人だと
私の英語力まで疑われてしまいますが、
ニュージーランド人に頼むことで
「ニュージーランド人と意思疎通を問題なく行い、働けていた」
ということの証明になったようです。

日本を出てオーストラリアで二年間の違法低賃金ばかりのカジュアル仕事、
ニュージーランドで一年間の法定最低時給でのカジュアル仕事、
三年間の日系の会社でのパーマネントフルタイムの事務仕事、
そして海外生活七年目にしてようやく非日系のフルタイムパーマネント仕事を得られました。

手に職がないので物凄く時間がかかりましたが、
少しずつ階段を上っているようで嬉しいです。

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