物事の解釈が自分の物語を構成していく

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「人生で起きる物事をどう解釈するかによって、自分の物語が変わる」
「自分という人間の捉え方ががらりと変わる」

というのは、私が日本を出てから気づいたことです。

ニュージーランドに着いてまもない頃、
フランス人のシェアメイトと話したことがきっかけで気づきました。

その時の私は仕事を探していて、
「文系の博士課程を出たから技能がないし、
職歴は単純労働か人手労働のカジュアルな仕事のものしかない。
英語もあまりできないから、言葉のハンデもある。
事務職は博士課程を退学しているからOverqualifiedで書類で落とされるだろうし、
仕事探しが難しい」
と彼女に話したことがあったんです。

すると彼女は、「何を言ってるの!
たった一人で言葉が違う国に飛び出すってすごく勇気がある証拠でしょ。
英語だって私と今こうして話せてるレベルなんだから問題ない。
博士課程に行ったのは、問題の分析や論理的な考えができるって証明になるし、
不安要素どころかむしろ売りになるところじゃない」
と即座に言ってくれたんです。

しかも、それを言った時の彼女は
「そんなに素晴らしい経歴なのに、何を言ってるの?」と半ば呆れていて、
私を励ますために考えて言ったという様子ではありませんでした。

それで、私は「あ、彼女は本当にそう思ってるんだ。
私と彼女は同じ経歴を見てるのに、彼女は全てポジティブに捉えて、
私は全てネガティブに捉えてるんだ
」と目から鱗が落ちたような思いでした。

履歴書を作りながら彼女の言葉を反芻しているうちに、
「仕事探しについてだけではなく、人生についても同じなのでは?」
と考えるに至りました。

例えば私のこれまでの人生は、
「せっかく博士課程まで行ったのに、退学してワーホリで海外へ。
オーストラリアの田舎でファームで人手仕事をしたと思えば、
英語力が足りず単純労働のカジュアル仕事を転々として、
やっとつけたオフィス仕事は給料の良くない事務職ばかり。
受けた高等教育は全くの無駄に終わっている。
技能も職歴もないので外国の永住権が自力で取れるはずもなく、
たまたまシドニーで出会ったパートナーのおんぶにだっこで
ニュージーランドのワークビザを運良く取らせてもらえてきただけ。
いまだに何の技能もない役立たず」

と解釈できます。

そして、「自分の力では何一つ達成できない、情けない人間」
という自画像を描くこともできます。

でも、「博士課程の卒業間近まで行ったのに、
自分の優先順位(健康)をいったん決めたら腹を括って退学したほどの、
損切りできる決断力がある。
大学院で論理的思考能力と資料批判の技術を培ったおかげで、
原発事故が起きた時に日本政府の嘘を見破ることができ、
海外に脱出する決断を下せて自分の命を守れた。
知り合いすらもいない、現地語も不自由な外国に一人で飛び込めたほどの勇気がある。
外国で何の技能も職歴もない状態からカジュアル仕事とはいえ現地で職歴を着実に積んでいって、
今では英語も上達して日本とは何の関係もない現地の企業に就職して
経済的に自立できているし、しかもホワイトカラーの仕事につけている」

という解釈もできます。

そして、「自分には良い属性がたくさんあって、おかげで外国でたくましく暮らしている」
という自画像も描くことができます。

同じ人生の解釈なのに、そこで起こった物事の見方の違いで
180度自画像が変わる
のですよね。

同じ人生を、「自分は情けない人間で、惨めな人生を送っている」
と頭を垂れながら歩むこともできるし、
「自分は素晴らしい人間で、良い人生を送っている」
と頭を上げて歩むこともできると。

人生で起こってきた/これから起こる物事をどう解釈するかで
自分が自分に語る物語が違ってきて、自画像も変わってきます。

幸せな人生を生きるには何が起こるかだけが問題ではなく、
起こることをどう解釈するかがとても重要なのではないでしょうか。

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